全ての物が、ただそこにあるだけで完結していたドガの家のなかに、ジェシーは住むなり生活感を生んだ。必要なものが、必要なときに使われるのを待つ。シンプルで機能的と言えば聞こえはいいが、ドガに使われる物たちは全て、規則正しく整列し、少しの歪みも許されないので、無機物であっても息苦しそうだった。
そういう場所に、ジェシーは酸素を送り込む。やや乱暴に、けれど調和をもって。
ジェシーの企みを受け入れ、ドガ以外の存在を認めた部屋のちいさな暗がりに、それは来た。
少々無理があるのでは?そんな声が、古びて取手の欠けた、しかし上品な陶器のシュガーポットから聞こえる気がする。
そしてそんな昔馴染みの変わり果てた姿に、持ち主であるドガは眉間の皺を更に深くして、微かに開いた口をそのままに、キッチンの戸棚の前で固まっている。

「…ジェシー、この角砂糖にしたのには何か理由が?」

「ん?特にないけど。お気に召さなかった?」

「いや…ファンに貰ったものかね?」

「ううん、僕が買ったんだよ」

「ハートの…」

「うん、ハートの」

「あー……そうか、まぁいい。味は変わらん」

「うん」


戸棚に対して背を向けて座っていたジェシーからは、ドガの他意を探る訝しげな顔は見えなかった。それでも何とか、自分のしたことを受け入れようとしているらしい戸惑いの残る声だけははっきり聞こえて、笑いを堪えるのに必死だ。

ジェシーがきてから、この家には色が増えた。
そもそもジェシーがいるというだけでぐんと色は増えるのに、彼の服で蹂躙されたクローゼットの中は、初日にわっと短く叫び声をあげたドガ曰く「ペンキを撒き散らされたのかと思った」程であるし、ジェシー自身は“僕の”宝石箱と言って憚らない。
初めの一週間は毎日のように、扉を開く度に刺の残る言い方で、パーティーの後片付けなら手伝ってやろうだの、これがメアリーの部屋かだの言っていたドガも、今ではすっかり慣れて、今日は寒いからマフラーを借りる、と言ったきり返事を待たずに出掛けることもある。

そうやってこの家に色を教え込んだジェシーの次の手が形だ。彼にとってドガの領域を侵すことは試し行動の一つだった。自覚はある。叱られる覚悟も。ただ、どこまでなら許されるのか知りたかったし、どこまででも許されたいという自分本位な願望を、かなえるために必要なことだった。ドガが本当に嫌だと思うことは絶対にしないというルールは当たり前にあるが、その手前がどこなのかを知りたいのだ。ジェシーは常に、ドガの近くにいたがる。物理的にではなくとも。

この家には凡そ不釣り合いな形の代表とも思えたピンクのハートが、よりにもよって日常で頻繁に使うもののなかに組み込まれた、なんともいえない居心地の悪さをドガは一頻り味わって、少し薄目になり、砂糖をひとつ摘まんでカップに入れた。スプーンで素早く雑に混ぜたハートが、くるくるとまわりながら、段々小さくなっていく。
溶ければただの砂糖なのだ。紅茶は甘くなる。形はなんであれ。
美味しいでしょ?という声で振り返った先に、やたらと嬉しそうな顔のジェシーがいる。


「…美味しいよ」

「僕のハートなんだよ」

「君用の砂糖ということか?」

「違う。僕の気持ち、あなたが飲んだのは」

「あぁ……」

「あぁって!」

「ジェシー、これが無くなったらいつもの砂糖に戻しておくように」

「えぇー!」

「別にわざわざこんな…女性用みたいなものを選ばなくても…」

「僕の気持ちって言ったでしょ?僕の愛を、大好きな紅茶と一緒に飲めるって、凄く素敵じゃない?あなたの身体の内側から僕で満たされるんだ…僕の愛を溶かして飲めるあなたは、特別なんだよ…他の誰でもない、ドガだけができる、」

「はぁ、口説いてもらえるのは光栄だが、砂糖でまで摂取する必要があるのか?いつも通り言葉で頼む」

「もう!ちょっとは付き合ってよ!」

「付き合っているだろう…?見たまえこの服を」

「似合ってるよ、ターコイズブルーのセーター」

「仕事が休みでよかった」

「ちょっと!僕結構妥協したんだからね!スカイブルーが良かったんだから!」

「勘弁してくれ」


何かを隠そうとする大袈裟な身振り手振りに誤魔化されて、ドガは逃げるように書斎へ向かう。
キッチンに充満する余韻のなかで、残されたジェシーは、今度は隠すことなく、満面の笑みでいる。この砂糖が無くなったら。それまでは置いておいて良いのだ。己の愛を。自己満足を。二十四時間以内に、一度も会うことがない時でも、自分の愛は確かにここにあり、ドガに渡る。それを愛しく思う。





タイトルは診断メーカー「あなたのBL本」
https://shindanmaker.com/670596 様より




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