「またここにいたのか。ジェシー、出てきなさい」

「……もう少し待って…」

ドガに長時間反応してもらえなかったときや、仕事で落ち込むことがあったとき、ジェシーはドガのクローゼットに引きこもるようになった。ドガが見つけるまでは絶対に出てこないという厄介さまで身に付けた、本来の用途から、まるでかけ離れたクローゼットの使い方に、ドガは普段ならきっかけの一端に自分がいることを棚に上げて呆れる。

「今回はどうしたんだ?話せる範囲でいいから、聞かせてくれないか」

ベッド脇にある小さな木のスツールを、閉じたままの左の戸の前に置き、その戸にもたれるように、そしてジェシーと直接目を合わせないように腰掛け、片足をジェシーが戸を閉めようとしても防げるように、クローゼットの中へ伸ばす。

「仕事で…はぁ……いつものことだよ…。いつものことなのに、慣れない僕が悪いんだ」

ドガのマフラーを頭からフードのように巻き付け、コートを抱き締めて、ジェシーは折り曲げた膝の上で腕を重ね、顔を埋めている。
人気商売には嫉妬が付きまとう。それを分かって、それでもやりがいを感じている彼に、ドガがかける言葉はいつも、言っている自分が情けなくなるような、慰めにもならないありきたりなものだった。これは僕の癖だから。そういって泣きそうな顔で微笑むジェシーを見て、胸が詰まるような思いをしてからは、ドガは余計に何も言えないで、今はもう、彼ときちんと会話をするということを意識しておくのが精一杯だ。

「君を応援する人間のほうが、格段に多いだろう?」

「うん…」

「…同業者か」

「何で…こうなるんだろうね…僕だってこういう世界だって分かってはいるんだよ。でもさ、時々思うんだ、ペルゴラのみんなみたいにどうして出来ないんだろうって」

「というと?」

「お客様のために、みんなで力を合わせてるでしょ。喜んでもらえるように。僕たちだって、仕事を支えてくれるスタッフや仲間と、ファンでいてくれる人たちのために力を合わせてより良い物を作っていこうって、どうしてなれないのかなって。……甘いこと言ってるってのは、自分でも分かってるけど…」

ジェシーと付き合うようになってから、彼に関する情報を、自然と耳や目で拾うようになってしまったドガにも、ありもしない、くだらない噂は届く。普段間近でジェシーを見ている身として、くだらんと鼻で笑う程度で流してはいるが、それが出来るのは自分が彼とは別の人間だからであって、本人にとってはどんな些細なことでも心に響いてしまうのであろうことも、頭では理解はしている。何かあっても、感情が怒りへ向くドガとは違い、繊細で優しいこの男は、ただひたすらに哀しんで、自分を責めることも、知っている。

「…それを好む連中にとっては、自分より何かひとつでも劣る人間を、真偽問わず都合良く作り、拡散して楽しむ為のツールだ。これにも流行がある。廃ればそれまでだ。が、そうなる為に何かしようとはしないことだ。黙っていれば飽きて離れる人間がいる一方で、黙っていれば更に調子にのる人間もいる。どちらにせよ、ジェシー。君に出来るのは関わらないことだ」

「うん…ありがとうドガ…」

「君が噂に聞くような人間でないことは、皆知っているさ。…私が誰より知っている」

「それが何よりの救いだよ」

「我慢もしなくていい、嫌なことがあればまた私に聞かせてくれ。幸い私は頭がいい、どんなことでも君が納得出来る理由を添えて否定しようじゃないか」

「…ふふ、…はぁ、ドガ愛してる……」

「知っているよ。…私が君と同じ気持ちでいることも、知っていてくれると嬉しい」

「それは勿論、」

「そして、どんな噂のなかでも、それだけは信じていてくれ」

「うん、……ドガ、」

小刻みに震えた腕が伸ばされ、ドガは反射的にそれを取って自分の首にまわす。そのまま自分もジェシーの背中に手をまわし、クローゼットから引き摺り出すことに成功しても、きっとこの優しい男はいつかまた黒い靄に捕らわれて冷たい殻に閉じ籠るのだろう。この先、事実無根の悪意にやられても、自分がこうしてジェシーを信じ、必要としているのだと、また思い出せるように、彼のなかの靄を潰すように、ドガはきつく抱き締める。弱音を吐いて、子供のように泣いて、そして彼は、明日も笑う。背筋を伸ばして、顎を上げて、カメラの前で自分を表現することを、そしてそれを目一杯楽しむことを、やり抜くために。




×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -