男らしく無駄のない筋肉質な身体と指滑りのいい肌に、顔色の悪さが妙に際立つ。長い指が黒い髪をゆっくりとかきあげ、何もかもを見透かしたような目がうっすら、ゆっくりと細まる。腰に回していたイアンの腕を取り、手のひらを頬に触れさせ、最後に必ず、挑発するように、どうぞ、と語尾を上げて言う。
薄暗い部屋、男ひとりが寝転ぶのにやっとのベッドで、青白く浮かび上がるリチャードはいつも、イアンの上で裸の自分に恥ずかしがる様子もなく、楽しそうに笑うばかりだ。
何故か、意思とは関係なく頬に触れた親指は、目元を、涙をぬぐうように撫でたあと、指を耳の裏まで滑らせ、自分のほうへ、その顔を引き寄せた。
お前とこんなことがしたい訳じゃない。勘弁してくれ、これは夢だ。
最近見始めるようになった夢のおかげで、イアンはこのところ寝不足が続いている。起きると同時に舌打ちをして夢の中のリチャードを消そうとするが、その度に輪郭が濃く浮かび上がるような気がして、どうにも上手くいかない。何がきっかけでこうなったのか、まるで見当もつかないが、悪夢だと思っていたこれに次第に慣れ始めた自分に対してもまた、イアンは舌打ちをする。その舌打ちで頭上から申し訳ありませんというモニカの声が聞こえてからは、事務所で居眠りをしてしまうときは起き上がって、誰もいないことを確認してからするようになり、今度はそんな自分の律儀さに腹が立っている。情けない話だ。
(クソッ…調子が狂う…)
ほぼ毎日、顔を合わせないでいるということがないために気まずさは増すばかりで、夢に出る以外はなんの関係もない現実のリチャードに辛く当たってしまう。それをまたか、という雰囲気を隠しもしない溜め息ひとつにたしなめられて、ますます面白くない。
夢であれ幻であれ、そんなものはウサギ男だけで充分だと思っていても、あれも正体がなんであれ制御できるものではないと分かっているだけに、この夢も果たして、とよくない考えばかりが頭をよぎる。
「もしもし、イアン」
「…なんだよ」
「ここのところ、私と話すときはいつも、上の空ですが。具合が悪いわけではないでしょうね」
「熱も咳もない、聞こえてる。続けろ」
「では。昨日あなたに報告を頂いた件にうつります、」
聞こえてはいる。頭に入っていないだけで。それを伝えないまま、イアンはここにきてから一層癖になった、聞いたふりを続けた。覚えておくのは難しいことじゃないはずなのに、ここ一週間のうちにあったことをわざわざ書面にして読み上げる、イアンにとって無駄と思う作業を嬉々としてこなしているように見えるリチャードの、伏し目がちになっている目を見る。
この目が、あの暗い夢のなかで、ギラリ、と光るのを思い出す。夢だと分かって見ているはずなのに、この目に見つめられるだけで、イアンの身体はまるでリチャードの物のように動く。取られた手は腰に、頬に、それから、
「イアン!」
「っ、」
「はぁ…今日はこれで終わりにしましょう。人形に話しかける趣味も暇も、私にはありませんので」
「チッ…悪かったな」
「そう思っていらっしゃるのなら、次から気を付けてください」
「ああ。…すまん」
「おや、珍しい」
軽く握った手を唇にあてて僅かに笑うリチャードの、嫌味ったらしく上がる口角も、シャツの襟からのびる首の白さも、息をする度に膨らみ、窄む胸も、何ひとつ、変わらない。夢のなかのリチャードを、現実のリチャードがなぞるように、型どるように、鮮明にしていく。喉がゴクリと大袈裟に鳴り、合図かのように膝の上でぴくりと跳ねた人差し指を握りこみ、イアンは決して目は合わせないままで顔をあげた。
「なぁ、お前最近、」
「? なんでしょう」
「いや…、」
「貴方、本当におかしいですよ。まぁ…今に始まったことではありませんが。何かあったのであれば、早めに相談して頂きたい」
そう言って、まだ笑ったままのリチャードの目が一層細まる。夢で見たこの目を、まともに喰らったら終わりだ、認めたら終わりだ。自分の息が白いのを確かめるような、肩の力の抜けない溜め息を吐いて、乱暴に頭を掻く。
「…何でもない」
自分に言い聞かせるようにそう呟いて、イアンは目を瞑った。全く…と吐き出された息のなかから微かに聞こえた言葉のあと、ドアに向かう靴音を耳をそばだてて聞く。これを覚えて、リチャードが自分から離れるイメージを思い浮かべていれば、いずれあの夢も見なくなる。そう思う為に。
これは、何でもないことだ。いて当たり前の人間が、イアンの中でひとり、増えただけ。ただそれだけだ。それだけの、筈だった。