「マックスさん、少しいいだろうか」

「ああ、構わないよ。どうしたんだ?」

「夕食はもう…?」

「いや、まだこれからだが」

「それでは、二人で食事でもどうだろう。あなたが忙しくなければ…」

「それはいい、今日は外で食べようと思っていたんだ。一緒に行こうじゃないか」

「本当か!実はオリビアさんにまた良さげな レストランを教えてもらったのだ、出来ればそこに行きたいのだが…」

「ではそこで決まりだな」

珍しくアルベールから誘われて、マックスは頬を緩ませた。気軽に連れ立つ相手として適当な人間であると判断されたことは、単純に嬉しい。見掛ける度に難しい顔をしていた頃を思えば、これはかなりいい変化だ。
マックスを誘う前に、既に店に予約を入れてしまっていたらしく、それを早口で気恥ずかしそうに教えられたのも、少しだけ赤くなった顔も、悪くなかった。誤魔化すように早足で離れていくアルベールの姿に見える幼さに、まだ一緒に住んでいた頃の息子を重ねてしまったのかもしれない、とマックスは昔を思い出して苦笑いをする。

「マックスさん、急ごう」

「すまない、待ってくれ」

ホテルからそう離れてはいないレストランへ、二人は歩いて向かう。予約の時間までは少しあるので、このまま徒歩で、と提案したのはアルベールだった。昼の暑さを和らげようと、陽の沈みかけている街が、ひんやりとした空気を漂わせている。すぐ後ろをついてくる夜から、まるで逃げるようにして、人や音楽で賑わう通りを縫うように進んだ。
レストランへ着く頃には、もう街灯のほうが明るいくらいで、星がいくつか薄く見え始めていたが、話に夢中の二人はそれに気付かない。外に数組だけ並んだ先客たちも、やはり、それには気付かない様子でそれぞれの世界で会話を楽しんでいる。
受け付けに呼ばれ通された席で、渡されたメニューを開くのと同時にアルベールが口を開く。先程までとは違い、微かに翳りのある顔で、苦しそうな声で話はじめたアルベールに、マックスは驚いて顔をあげた。

「マックスさん。前に、質問したことがあっただろう、…アンノウンについて」

「…あぁ」

「どうしても、時々…あのとき私が言った言葉がふと頭を過って、その考えに囚われることがある。夢にまでみて、何度夜中に目が覚めたか知れない…どうすれば私はこんなことを考えずに済むのか、教えてほしい…」

そう言って顔を下に向けたアルベールの目線の先には、不安や迷いで生じた闇が広がっている。メニューを掴む手は小さく震えて、まわりの客たちの楽しげな会話から成る雑音の中で、彼は座っているのがやっとといった表情でマックスに救いを求めた。夜毎こんな風に耐えていたのかと思うと、胸が締め付けられるようだ、とマックスは姿勢を整えてアルベールに向き直る。

「そうだな…こんな生活が続いていては、そういう不安にも繋がる」

「あなたでも…?」

「勿論だ。全く不安じゃないなんてことは、きっと誰もないと思うぞ。その形はそれぞれ違えどな。アンノウンは必要な道具だが、それだけでは無理だ、心が伴わなければ」

「頭では分かっている。…どうにもならないから、こうして、あなたに…」

「そうだな…例えば私は、一人ではないということ、名前も顔も知らない誰かを、この街を、守れているということ、それで頑張れている」

「…私も同じはずなのに、どうしてこんな風に考えてしまうのだろうか。少しでも気を緩めると、都合のいいようにこの力を振るうことを考えてしまって…」

「それだけ、強大だからな。魅力を感じる者も、恐れる者も、いるだろう。元軍人で、人よりは戦闘の心得があり、身体を鍛えてきた私でさえ、この力には圧倒される。飲み込まれないように踏ん張っているよ」

「…その、もし、私が…何か悪いものに取り込まれそうになったら、」

「そうはならんさ」

「…何故そう言い切れるのだ」

思わず笑ってそう答えたマックスに、アルベールはムッとして、睨むように見上げる。それをマックスは笑顔で受け止めて、わざとらしく肩を竦めた。

「君は全く…どうしてそう、悪い方に考える?悪い人間になりたがる?」

「なっ、そういう訳では!」

「私が、いるからな。君は悪人にはならないよ」

「…随分、自信がおありのようだ」

「これに関しては、自信しかないぞ。そうだな…まぁ、君が私に自信をつけさせてくれたといったところか」

「? だが私はあなたに何も…」

「君がそうして人に弱みを見せることを、…私に、頼ることを覚えてくれたから、私は全力でそれに応えることが出来る。君のお陰で、私は君を遠慮なく守ることが出来る」

「…こんなことで、王国の再興など、本当に出来るだろうか。頼りない人間だと思われないだろうか。あなたに守ってもらうだけの弱い男で、」

「それは違うぞアルベール。君はキメラと戦うことで街の平和を陰ながら守っている。我々だって君の力に助けられている。君は守られているばかりじゃない。弱くもないさ、君が強いことは、私が証明しよう」

マックスの言葉で、アルベールは闇から目を逸らし、顔を上げる。それから肺一杯に息を吸い、今度は泣きそうな顔でマックスを見て、涙の落ちるのを堪えながら、仄かに唇だけで笑った。そのゆっくりとした表情の変化に、思わず見惚れる。
大人になりきる前の、まだ僅かに丸みを残した頬や、チェスを楽しんでいるときのあどけない目、自分一人を支えるのがやっとのような線の細い身体に乗し掛かる影が、アルベールの睫毛を震わせている。それに負けじと背筋を伸ばし、毅然とした態度で礼を言う彼の目からは、もうすっかり迷いが消えていた。それに安堵して深く息を吐くマックスの腹が、硬くなった空気を和らげる、なんとも気の抜ける音を出したので、二人は顔を見合わせて同時に吹き出した。

「ふふっ、すまない、私としたことが、注文もまだだったな。マックスさんは何に?」

「はっはっは、いやぁ、現役を退いてから、どうも気が緩んでいかん。気を付けてはいるんだがな…そうだな、私はやはり、肉を頼むとしよう」

「では私も同じものを。…久々に仕事以外で、こんなに人と話した気がする。食事の席でする話ではなかったが…マックスさん、改めて礼を言う。あなたがいなければ、私はきっと私自身の馬鹿馬鹿しい考えに取り込まれてしまっていた。そうなる前に話せてよかった、ありがとう」

「構わんさ、どんなことでも。君と話をするのは楽しいからな」

「わ、私もあなたと話すのは楽しい!」

大きくなった声に自分で驚いて、咳払いをして誤魔化すアルベールに、今度はマックスが礼を言う。嬉しそうに細まったアルベールの目は、明日にはまた、街の隅で異形を前に、曇っているかもしれない。それでもどうか、今だけは、自分を疑わずにいてほしいと、マックスは願う。そして本来の柔らかさを取り戻した頬を上げた、正しい笑顔のアルベールを、どうか、明日も守れているようにと。




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