猿飛佐助参上
「「ただいまー」」
椿と幸村の声が玄関先に響いた。手には抱えきれないほどのビニール袋。
「幸村のお陰で荷物三倍だよ」
「よいではないか買い物の手間が省けたのだ」
なんて会話をしながら靴を脱いでいると、中からパタパタと足音が駆け寄ってきた。
不意に顔をあげた幸村が、目を剥く。
「さ、佐助!」
「旦那ぁ!」
少女もはっと顔を上げると、そこには深い緑色の小袖に袴を穿いた青年が立っていた。色素が薄いのかオレンジがかった髪が特徴的な、まだ若い男だ。
「久しいな佐助!元気だったか?」
幸村は屈託なく笑いかけると、佐助と呼ばれた青年が徐々に心配げな顔つきから、般若に変化していく。
しまったと幸村が後悔した時既に遅し。次の瞬間、破壊的な怒鳴り声がその場に響いていた。
「ふざけんなっ!」
「な、に、が…元気だったかだっ!アンタ人をどんだけ心配させたら気が済むわけ!?一週間も姿眩まして、俺たちがどんだけ…どんだけ心配したと思ってんだよ!忍隊は全国駆け回ってアンタのこと探してるし、将たちは幸村殿がおらぬのならもう無理出家するとか言うし、侍女たちは旦那様はどこだって大混乱だし、しまい目には正気じゃない噂まで流れて!女天狗に連れていかれたの見たとか、川に落ちたとか、本物の鬼になったとか、城主に嫌気が差して出家したとか!気分転換に城下に出ても源次郎さまは今日はいらっしゃらないの?何で今日は一人なの?想い人が出来て伏せっておられるって本当?って町娘に何人止められたか!ああぁあ!もう!嫌になる!分かった!?上田がどれだけアンタ中心に回ってるか!俺様がこの一週間どんだけの心労に耐えてきたか!」
佐助は幸村に思いっきり指を差すと、肩を揺らし荒い息を吐いた。
なんて弾丸トークだ。
この話を聞くだけで、この人の一週間が頭の中に簡単に浮かび上がった。そうとう大変だったに違いない。
「す、すまなかったな佐助」
幸村はその勢いに押されると、心底申し訳なさそうに謝った。
「本当!給料上げてよね!」
「仕方あるまい今月は倍だ」
「それで妥当!」
佐助は膝をつくと、幸村の顔をじっと見た。そして目を細める。
「何、おでこ怪我してんの?」
鋭い目が、青年に突き刺さった。
「あ、ほっぺたにも擦り傷、鼻の頭も…腕も?」
にこり、と氷点下の微笑みが浮かぶ。
「旦那一体何してたの?」
端から見ても分かるほどたじろぎ、目を泳がせる幸村。何この二人の関係。
「…ころんだ」
「嘘おっしゃい」
「…じてんしゃの練習で擦りむいた」
目を逸らしてポツポツと言葉を紡ぐ幸村は、母に怒られるのを怖がる子どものようだ。
「しょうもないことで顔に傷作るなっていつも言ってるでしょうが!」
「しかしこれは不可抗力で…」
「不可抗力も何もありません!簡単に大将首が傷作ってたら、下の者に示しがつかないでしょうが!部下に敵に舐められるでしょうが!ただでさえ若いって見くびられがちなのに!要らない敵増やしたくないだろ!」
「一戦交えれば相手も分かろう」
「刀で戦うことだけが戦法じゃないんだからね!」
「知っておる。敵を目で殺すくらいできねばならぬのだろう?」
「分かってんなら言わせないでよ!刀傷は勲章だけど、平生の擦り傷はただの不注意でしかないんだから!」
「分かったもう作らぬから、あまり怒るな佐助。愚痴なら後で幾らでも聞こう。兎に角中に入らぬか?皆呆然としておる」
顔を苦くしながら白旗をあげる幸村はちらりと目線を移した。
ぽかん、としている椿に類、そして父順次に母雪子。佐助は周りを見回して、あ、すみませんと頭を下げる。
「ま、とりあえずご飯にしましょ」
しんとした空気をぶち破ったのは、母雪子の一言だった。積もる話もあるでしょうし、と続け、佐助に笑いかけた。
猿飛佐助参上カレーにするはずだったが、二人の帰りがあまりにも遅かったため、急きょ残りものの鍋になったらしい。
ぐつぐつと煙を立てる鍋を囲んでこたつに入る、6人の姿。今か今かと唾を呑む幸村と高宮姉弟を横目に、母は新入り佐助に話しかける。
「いやー良かったわあ!白菜いっぱい残ってたし、大根もお肉も買ってきてくれてるし!佐助くんも沢山食べてね!」
「本当に、僕らのことはあまりお気になさらないで下さい!」
ぶんぶんと手を振って遠慮する佐助。
「いいのよー!お鍋は大人数のほうが美味しいし!」
にこにこと笑う母親は、どちらかと言えば幸村よりも佐助のほうが好みなのではないだろうか。
「はい!できたわよー!」
母の合図に、鍋をつつく幸村と高宮姉弟プラス父順次。それを傍目に母が笑っていると、佐助が申し訳なさそうに眉を下げた。
「なんかすみません本当」
「そんな何度も謝らなくていいのよー、本当に。幸村くん見てると兄弟が一人増えたみたいで楽しいしね」
「そう言って頂けると恐縮です」
こら旦那お肉ばっかり取らないの、と佐助が叱ると、椿と類も肩をびくりと揺らした。
「もう君たちも!?ちゃんと野菜も取らなきゃ駄目でしょ」
「豆腐はお箸で掴んじゃだめ、ほらお玉使って」
幸村と同じタイプの子どもたちがいると、ついつい母口調になってしまう佐助であった。