お風呂から上がった青年を待っていたのは、ベッドの上であぐらをかいたこの部屋の主だった。
心なしか目が三角になっている気がする。体から放つオーラが、どす黒い気もする。
肩のタオルで頭を拭いた体制のまま、思考回路は一旦停止。脳内では一体何をやらかしてしまったのか、という問いが答えを探し駆け回っていた。
――A.不明
「…あ、あの、椿殿。某がなにか」
「幸村!」
「はっ!」
「そこに直れ」
有無を言わさぬその口調に、青年はその場に滑り込むように正座した。
「幸村クンあのねえ、髪ちゃんと洗ってるかなあ?」
なぜだろう。笑っているのに、後ろに般若が見えるのは。
「む、無論!」
「じゃあ何でかなあ?布団に砂が落ちてんのは」
椿はベッドに鋭く指差すと、にっこりと笑う。
「普通に髪洗ってたら落ちるよね落ちるよね砂、ってか人のベッドで寝てるのに普通そういうの気にするよね、普通人のベッドに砂なんて落とさないよね」
「ももも申し訳ござらん!」
あまりの恐怖に甲斐の武将ひれ伏した。なんだあの笑み、
なんなんだ後ろの般若!
「こっちにきなさい」
「はっ!」
「後ろ向いて座れ」
「はっ!」
「じゃドライヤーかけるから」
「はっ!…どらいあ?」
眉をひそめて振り向いた幸村のひたいをぺちんと叩いた椿。
「ほら前向いてなさい」
「む、すまぬ」
青年の正しい正座の後ろに、ベッドに座りあぐらをかいた少女。
「その前に、ムツゴロウさんね」
一体何するのかと思えば、肩にかかった幸村のタオルをとり、椿は彼の頭のおおざっぱに拭きだした。くしゃくしゃと犬をバスタオルで拭くように。
いきなり視界が真っ白になった相手は驚きの声を上げる。
「わ!椿殿!わわ!」
武将様なのに、人に頭を拭かれるのは初らしい。
「なーに」
「そなたがせずともこれ位一人で、」
「できてないから、布団に砂が落ちるんですー」
「…すまぬ」
「怒ってないから、もういいよ」
「椿殿、」
ん?と答えると、幸村がこれはむつごろうと云うのかと不思議そうに問うた。
「そうだよ。頭わしゃわしゃするのは、ムツゴロウさんの得意技だからね」
そう答えると、青年はふむふむと大真面目に頷いた。
それから束の間。ふんふーんと鼻歌を歌いながら幸村の髪の毛を拭いていたが、気づいたときには、幸村はされるがままで声を上げなくなっていた。
怒っちゃったかなあ、なんてした張本人は少し気になって青年の顔を覗き込む。
―まったく予想外。
ぽかんと少女は目を丸くして、それから緩く微笑んだ。
そう幸村はまぶたを閉じて、何だか満足げな顔をしていたのだ。
「そんなに気持ちい?」
その言葉にぱっとまぶたを開いた幸村は、みるみるうちに顔を赤くしていった。
「な、ななにを言うか!そそ某は侍でござるぞ!」
顔を真っ赤にし手をぶんぶんと振って否定しだした。赤くなったり、青くなったり、本当忙しい人だ。
「お侍さんは頭拭かれて喜んじゃだめなの?」
「女々しいではないか!」
幼稚園児のように口を尖らせた青年に、椿はくすりと笑った。
「何いってんの。気持ち良いとか嬉しいとか感情って全世界共通なんだから、侍どうこう関係ないでしょうが」
その言葉にぽかんとする幸村。
「そ、そうなのか?」
「そうなんだよ」
「しかし某は侍だ」
「その前に幸村でしょ」
「…むむ、確かに」
「ね?幸村は幸村らしーく生きなよ。人間素直が一番なんだからね」
少女は笑って、青年の頭を掻き回す。
「ほらドライヤーするから前向いて」
「…御意」
今から風くるからねーと声をかけスイッチを入れた。すると真だ!前から温い風が!と驚嘆の声が聞こえてくる。だからそう言ったでしょうが、なんて椿は噴き出した。
幸村の後ろ髪を留めていた紐を解き、尻尾のような長い襟足を指で解く。
「うわ、長いねえ!」
幸村はくすぐったいばかりに肩を強ばらせた。
「はいはい動かない」
ブォオオーとドライヤーは声を上げる。椿は手で幸村の髪をとかしながら、丹念に乾かしていった。
「椿殿」
「んー?」
「気持ちが良いものだな、どらいやあとやらは」
「はは!ドライヤーね」
機械音が煩く響く中、二人はころころ笑った。
何だかくすぐったい二人
「そういえば類が筋肉痛で死ぬってヒーヒー言ってたけど」
「あやつは少し体力が足らぬのだ」
「…一体何してたの?」
「鍛錬だ。しかし逆立ちして指一本で腕立てをするのも一苦労で、」
「いや、え?ちょ待って。何その凄まじい筋トレのメニュー」