歩くたび音を立てる年代物の床に、開かれた入り口から朝日が差し込む。
静まり返った道場に人影は二つ。
外では風がざわざわと木を揺らし、鳥が羽ばたく音がした。
正座で向き合った青年たちは、静かに床に手をつき、座礼をした。そして立ち上がると、右側に置かれた竹刀を持ちあげる。上座に立礼、向かい合ってもう一度礼。
二人は竹刀を構えた。
その目は獲物を射るような緊張感漂うもので、先程までの無邪気な彼らは完全に姿を消していた。
「いざ尋常に」
「勝負!」
幸村の構えは現代のものと少し違う。持ち方も、そして角度も。これが時代の変化か、それとも自己流か。
類はいつもより緊張していることに気付いた。こいつは強いと野生の勘が告げてくる。ああ、戦いたいと本能が呻く。背筋がぞくぞくした。
すり足で間合いをとる。視線は相手から離さぬまま。薄く息を吐き出し、狙いを定める。そして、だんっと強く床を打った。
竹刀のぶつかる激しい音。幸村は身軽なのを利用して連続技をかけてくる。動きが速い上、個々の攻撃が重い。腕前は予想以上。類はかろうじて足を踏ん張り、一つ一つの攻撃を防ぐが、徐々に動きが鈍ってきた。あまりの重圧に手が耐えられなくなってきたのに加え、その速さについていけなくなったのだ。
しまった!
そう思った時既に遅し。見えたのは振りかぶった幸村の姿だった。
パァン!
―類に綺麗な面が入った。
「まだまだあ!」
類は竹刀を構え直すと、ぎっと幸村を睨み付けた。間合いに入り、呼吸を落ち着ける。何も考えるな。全体を見ろ。剣先が交わったまま、すり足で隙を狙う。幸村は瞼を閉じ、薄く息を吐いた。
今だ!隙が出来た!類はここぞとばかりに剣先を振り上げた。
とった!
しかしその瞬間、視界に広がったのは目を瞑っていたはずの幸村の、振りかぶった姿だった。
目を見開く類。
次の瞬間、パァン!と激しい音が道場に響き渡り、胴が入っていた。
「悪い、加減はできぬ性なのだ」
幸村は竹刀を持ち直す。纏めた一房の後ろ髪が揺れた。
「…こりゃ強敵だ」
「息が荒れておるが止めるか」
この優男のどこに、あの身を潰すような怪力が篭もっているのか。
「何か失礼なことを思うておるな」
「あ、バレた?」
類はへらりと笑う。そして、まだ行けると答えた。誰がやめるか。県大会2位なめんじゃねえ。あまりの強さに、類の闘志はむしろ燃え上がってきていた。
「本気で来てもいいよ」
遠間に立ち直して、中段に構える。
「俺も本気で行くからさ」
目の前の青年が少し笑った気がした。
―試合再開。
一足一刀の間合いで睨み合う二人。幸村のすり足がひたりと止まった刹那、竹刀が飛んでくる。速い!類はそれをとっさに防ぐ。途端、竹刀に鉛のような重みがかかった。ぐぐぐぐ、あまりの力に手が震える。やばい。なんて力してんだ、こいつ。さっきまでとは段違いの怪力に類の顔は歪んだ。正面打ちの余勢で、前進し体当たりされる。二三歩下がると、かかった重みでミシミシと木板が鳴いた。
くそ!返しさえできねえ。
類が奥歯をぎしりと噛んだ瞬間、幸村が動いた。
―来る!
幸村はギシ、と床を思いっきり踏み込んだ。目が合った瞬間ピリとした痛みと共に、体中に電流が走る。ぞわり!
駄目だ、まぶたを閉じるな!
気合いで目を開いた類が見たのは、振りかぶった鬼の姿。
般若がいた。
―体中の毛が逆立ち、目が皿になる。
綺麗な面が類の頭上に落ちた。
武将に弟子入り
「っくしょー!何で一本も取れねえんだよー!」
類は唸り声を上げると床に倒れ込み、大の字になった。そして心底悔しそうな表情を浮かべる。
「墨は餓鬼に磨らせ、筆は鬼に持たせよ」
幸村が傍にしゃがみこんだかと思えば、いきなり口を開いた。
「は?」
「この言葉を知っておるか?」
「…知らない」
「字を書く際に言われる言葉なのだが、某は剣術にも当てはまると思うのだ」
「で、どういう意味なの?」
「ここぞというときに力を出し、そうでなくは抑えておけ。そういうことだ」
類は何の話だと疑問符を飛ばした。
「――要するに、お主には無駄が多すぎるのだ。だから其様に疲れ、技も見切れぬ」
分かるかと幸村は優しい目で問うた。
「…うん」
少ししょげた類を見て、幸村はしかし!と元気に言葉を続けた。
「類殿は良い剣筋をしておる。踏み込みもなかなかだ。十年未満でよくここまで上達したな。相当努力したのであろう?」
少し笑いかけると、幸村は類の頭をくしゃりと撫でる。何故か類は泣きそうになったが、必死で堪えた。こんなところで感極まるなんておかしい。
「…うん」
「お主は教えがいがありそうだ。捕手術は今度にして、今日は類殿の苦手克服の鍛錬にせぬか?」
類は飛び起きると、力強く頷く。一瞬で元気を取り戻した少年に、幸村は刹那目を丸めたが、声を上げて笑った。