生きる意味は己が探せ





あめなるや おとたなばたの 

うながせる たまのみすまる 



耳の奥に子守唄のような歌が届いた。
ふと目を覚ます。


目の前に立っていたのは、後光を射した仏だった。



あめなるや おとたなばたの 

うながせる たまのみすまる 



美しく微笑む弥勒は言う、もう大丈夫だと。
助けてあげるから、大丈夫だと。


俺は奈落に落ちるはずだった。
そりゃあそうだ。数え切れぬぐらい人を殺めたのだ。
なのに、死んで現れたのは閻魔でも餓鬼でもなく弥勒であった。


仏は男に手を伸ばす。
優しい微笑みをたたえながら。


男は怯えた。心底恐ろしかったのだ。
弥勒の持つ、やわらかな光が。


影しか持たぬ己には。



自分の身体が光に吸い込まれるように身体の線がぼやけていく。
かゆいくらい温かかった。


やさしいものはとても怖いから



どこかでセミの鳴く声がした。うるさく、でもどこか静かで。
ああ、心地良いなんて感じながら、そこでふと男は目を覚ました。



柔らかな線香の香が鼻に届く。


ちらりと重い目を動かし、状況を把握していく。

そこは書院造の6畳くらいの小部屋であった。
そして頭の下には座布団が敷かれ、体には軽い布がかけられている。

首が何か冷たくて手を当ててみれば濡れた手拭いが置かれていた。
枕元には水の入った手桶がひとつ。


ここは一体どこだろう。


ふわりと風が頬を撫で、ちらりとそちらに目を向ける。
障子が開け放たれており、縁側から風が吹いてきていた。


縁側の向こうには、大きな楠木がひとつと、青々とした草花が並ぶ。
そして木の下には一本の長い棒がつられており、そこには大きく白い敷布団と変わった形の衣服が数枚かけられていた。

風が吹く度、木と草花が揺れる。白と色とりどりの布も揺れる。



見知らぬ場所であるはずなのに、妙に胸の中が落ち着いていた。



黄泉とはこのようなところを指すのかもしれない


男がぼんやりとそんなことを思った時、小さな音が耳を掠めた。
周りを見回してみて、目を皿にする。


そこには女がいた。

壁に寄り掛かって寝息を立てている二十歳前後の娘が。
黒髪はたらりと垂れ下り、閉じられた瞼に桜色の唇。
その顔にはあどけなさと淡い色気が混じり合っている。

しかし、彼が驚いたのは彼女の存在ではなかった。
彼女は瓜二つだったのだ。

先ほどの夢の中の、仏と。

ごくりと男は息を呑む。
なぜここに弥勒がいるのだ。
畏怖と驚嘆の念が入り混じる。

けれども、その寝顔はひどく優しいもので、彼は自身が呑まれていくのを抗えないでいた。

また、見つめているだけでは足りず、触れてみたくなった。


そっと手を伸ばす。
娘の頬の輪郭に触れようとした、その時。

一陣の風が彼女の髪がなびかせた。
そしてそれが起因となって目が覚めたのか、女は瞼をゆるりと開いていく。

くぁとあくびを一つこぼすと、小さく背伸びをした。
壁に寄り掛かって寝てしまったせいで、体は固くなっていた。


彼女は男に目を向ける。
しかし、彼は相変わらず、静かに眠っていた。


「よーし、この人が起きる前に水換えてあげないとね」


美桜は立ち上がると男に小さく微笑みかけ、和室を後にした。



ぱたんと襖が閉められると同時に、男は目を開ける。
そして幾らか天井を眺めたあと、また瞼を閉じた。


首の上には相変わらず、ぬるい手ぬぐいが置かれている。






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