この胸いっぱいの愛を





微かに残る赤い鳥居の中を、ひとりの娘が潜っていく。
鳥居の文字さえ潰れてしまっているような、古ぼけた神社だった。


サァァァ、と頬を撫でるような風が吹く。

小ぢんまりとした本殿に、色褪せた鈴緒。
そして、両手で抱えられるほど小さな賽銭箱。


娘は合掌すると、静かに目を瞑る。



そして、二年前のこの日を思い出していた。

ちょうど今日と同じように、手を合わせた彼女は神様に一つ願い事をしたのだと。


『かみさま、誰でもいい何でもいいんです。わたしに…――居場所をください』



「美桜」

静かな男声がその場に響いていた。
ふと振り返った娘は、目を開く。


「小太郎さん。どうしてここに」


そこには、二十代後半くらいの和服姿の青年が立っていた。
赤みがかった前髪から、見目麗しい顔がのぞく。

「遅いから迎えにきたんだ」
「もう。来なくていいって言ったのに」

今日は患者さん多い日でしょう、と彼女は口を尖らせた。


「町医者一人いなくなったところで何も変わらないよ」
「誰か怪我してたらどうするの」
「一日いなくなるわけでもないし、少し待ってもらったって罰は当たらないだろう」

ご両親に挨拶もできなかったのに、迎えに来るくらい良いじゃないか、と綺麗な眉を寄せる。
娘は苦笑をこぼすと、彼の元へ歩み寄った。

「お迎え、ありがと」

その言葉に青年はやわらかな微笑みを一つ。

そっと出した彼の手のひらに、娘も手を重ねる。
彼女はその目を見上げた。

「…泣いてると思った?」
「それもあり得るとは思った」
「泣かないよ」


爪先立ちをしてキスをひとつ。
そして、娘はふわりと微笑んだ。


「だって、私には小太郎さんがいるもん」

その言葉に小さく笑みを浮かべた青年は、返答の代わりに甘い口付けをそっと落とした。


この腕いっぱいの愛を

「帰ろうか」
「うん」


――微笑みあった二人の間に、優しい風が吹き抜けた。




       ‐おわり‐



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