真っ暗な中に、ほんのりと明かりがふたつ。
目を細めると、その火と火の間に声の主がいた。
男は暗闇に呑まれながらそこへ足を進める。
そして、その前で膝を崩し、頭を垂れた。
――彼は本能的に分かっていたのだ。
「ほう、おもしろい。主、我が分かるのか」
『よくは存じませんが、人であられぬことくらいは。』
目の前の女が畏怖の存在であることを。
偶然という名の運命
水干に朱袴を穿いた女は、妖美に笑う。
ため息が出るほど艶やかな黒髪が畳に舞っていた。
「何故そう思う?」
『この世の者は、白拍子など着ぬでしょう』
「そうか?」
『ただの推測にございますが』
「…少しうたた寝をしてしもうただけなのだが。いやはや、もうそれほど時は飛んだのか」
ちぃと前は白拍子が流行りだと言っておったのに人間の時の流れは早いのうと、女はあくびを一つこぼす。
そして、束の間して女は男の姿に目をやった。
上から下まで舐めるように見まわし、妖艶に笑う。
それから口を開いた。
「もしやとは思ったが、主はあの時の烏か」
カラスという言葉に、男の隠された目が見開く。
『…それでは』
「ああ。夢の中で我が主を連れてきた。主があまりに…」
女は眉を下げて男を見つめた。
「…可哀そうでな」
「生よりも先に死を教えられ、人殺しの道具とされ。しかし、情操を忘れておるだけで性根は腐っておらぬときた。最初はただ面白いと思うた。だが、生死を彷徨う主を見ておると、次第に死なしてはならぬと思うてきたのだ」
その彼を知りつくしたかのような言葉に、男は眉をひそめる。
「分かるのだ。この千里眼で全てがな」
女はにやりと笑ながら目元を叩いた。
『…なぜ、俺を助けようと?』
女は微笑む。
「切実に人を請う女がひとり。人肌を知らずに死んで行く男がひとり。しかし、その縁は遠い四百年を跨いでおったのだ」
男は何を言っているのか分からず眉根を寄せた。
しかし、それを見て女は口角を上げる。
「未だ分からぬだろうよ、小童」
女は流し目で男を見て笑うと、突然何かに気付いたかのように後ろを振り返った。
男もつられて顔を向ける。
そこには、丸い鏡が置かれていた。
今まで漆黒を映していたはずのそこに、ぼんやりと影が映っていく。
人型になっていったそれは、若い女と男へ。
男は自分の目を疑った。
はっきりと見えてきたのは、真っ青な顔をしている娘が頭巾姿の男に無理やり首輪をつけられている姿だった。
「娘っこの家に悪いものが入ったらしいな」
『これは…美桜?』
信じられず、体から血の気が抜けていく。
「小童。ぐずぐずしておると餓鬼に娘を食われるぞ」
その言葉を理解した瞬間、全身の毛が逆立って。
そして、一枚の黒羽根を残して消えていた。