大きな楠木の前の縁側には男女の姿がひとつ。
二人は向かい合って座り、真剣な目で見つめ合っていた。
その時ちょうど女がおもむろに口を開いたかと思えば、男もそれに続く。
「ウイスキー、ハスキー!」
『ういすきーはすきー』
「はいそのままの姿勢でストップ!」
女は手を伸ばすと、男の口元に指を当てた。
「はい!ここを口角と言って、笑うときに使う筋肉なんです!」
そして口角をぷにと押してみせる。
一体何をするつもりなのかと眉を寄せる男をよそに、女はにこりと微笑んだ。
「じゃあ今から笑顔のマッサージをしていきましょー!」
いちに、いちに、と円を描くように指を回す。
されるがままの男は、彼女の指のおかげでせっかくの男前が台無しである。
「スマイル体操第二〜!」
それからもヘンテコなマッサージは続いていく。
黒猫は変な大人たちを横目に大きな欠伸をひとつこぼした。
すてき笑顔になりませう
「ウイスキーハスキー!」
『…ういすきーはすきー』
それから数十分。
大分お疲れ気味の青年だったが、その顔にはようやく「ぎこちない笑み」が浮かんでいた。
傍から見れば未だに凶悪な笑みであるが、最初と比べれば大分まし。
もっと格上の『極上の笑み』をできれば作り上げたかったが、笑顔初心者の彼にとっては道のりは遠いようであった。
「わああ!おっけー!やっとできましたよ!笑み!」
ぐっと親指を突き出した娘は男に向かって鏡を差し出す。
青年がそれを覗いてみれば、なんとも不気味な笑みを浮かべる男が見返していた。
『……』
「ね!?笑顔できるようになったでしょう!」
やったーと腕を大きく上げる女を目の前にして、男は鏡を砕きたい衝動に駆られた。
「よし!笑顔ができるようになったところで、本題の鳥さんとの交流です!」
何時の間にそんな時間が経っていたのか、気付けば女の後ろから西日が射しこんでいた。ああもう夕方かなどと男はふと思った。
prev next
bkm