「もう!何でいきなり興奮状態の猫ちゃんに手出したりしたんですか!」
そんなの咬めって言ってるようなものですよ!と泣きそうな顔で怒るのは黒髪の娘。
彼女の前には反省しているのかいないのか相変わらずの無表情で腕を差し出す男が一人。
救急箱を開くと娘は口を開く。
「じゃあ傷口消毒しますね。ちょっと痛むかもしれませんが我慢してくださいね」
男の腕に付けられた三つの噛み傷に消毒液をかけていく。
そしてその傷口の内部を消毒液のガーゼで優しく拭いていった。
「痛みます?」
眉を下げて彼女が問えば、男は静かに頭を振った。
「強いですね」
救急箱から新しいガーゼを取りだすと、はさみで傷の大きさに合わせ切っていく。
そして片手で取り出した軟膏をガーゼに塗り付けた。
『どうして、』
てきぱきと無駄のない動きの娘を前にして、男はゆっくりと口を開いた。
「…はい?何か言いました?」
ひゅうと聞こえた風の音に、彼女は顔を上げる。
『どうして、お前は怖がらない』
確かに彼の唇はそう動いた。
「へ?」
静かに男は言葉を続ける。
『あの猫のように…獣も、人間も、俺を忌み嫌い恐れる。血の臭いがするからだ』
『なのに、なぜお前は俺を怖がらない?』
彼の透き通った赤茶の瞳が、美桜をうつした。
『俺が怖ろしくはないのか』
その表情はいつもと同じ鉄仮面であったが、その中のどこかに小さな小さな感情が隠されているように思えた。
唯物主義者の赤鬼
「怖くない」
美桜はそう告げると、目線を下げた。
そして男の腕をとり、その傷口に軟膏を塗り付けたガーゼを貼り付ける。
「…なんて言ったら嘘になりますかね」
その目を男の腕に向けたまま、ガーゼを紙テープで固定していく。
「刀を振り回されたり怖い目で睨まれたりして、本当はあなたが怖い」
紙テープでガーゼを張っては、ちぎる。
何度も同じことを繰り返した。
「でも、」
彼女がそう言った時ぴたりとその手が止まった。
「何でかなぁ。ほうっておけないんですよね」
顔を上げると透き通るような赤茶色の瞳と視線が交わる。
「そこの、にゃんちゃんたちみたいに」
娘がくすりと笑みをひとつ零すと、彼は瞬きをしそれから首を後ろに向けた。
そこには何処となく申し訳なさそうにした猫が三匹立ち並んでいて。
猫たちはまるで「ごめんなさい」とでも言うように小さくみぅと声を漏らした。
男はといえば、まさしく言葉の通りぽかんとしていた。
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bkm