「その包丁がどうかしました?」
そこには包丁を目の高さまで上げ、じっと眺めている青年がいた。何を考え、どの部分に着目しているのかは分からないが、その姿はどこか専門家を思わせる。
「刃こぼれでも?」
近づいてその刃を見上げる美桜。ちらりと彼女に目を向けた青年は、静かに首を横に振った。そう。彼らのいる場所は台所であり、朝昼食作りに取り掛かろうとしているところであった。
「ね、ちょっとしゃがんでもらえますか」
娘は青年の浴衣を少しひっぱりながらそう言う。そして、彼が素直に腰を曲げるとその長い前髪に手をやった。
「ほらご飯作るときはちょっと邪魔でしょう?」
ポケットからピン止めを取り出し、前髪の束を取るとそのまま掬いあげる。そして髪をひねると脳天辺りでピンをさした。現れたのはモデル並みの整った顔だが、相変わらずそこに表情はない。しかし、おでこ出しスタイルは初めてなのか髪の毛のない額に手をあてた。どことなく不思議そうだ。
「どうですか?ちょっとすっきりしました?」
彼に微笑みながら首を傾け問うてみれば、当の本人も首を傾けた。
並んだ二つの背中
「じゃあよーく見ててくださいね」
トントントンと手際良くナスに切れ目を入れていく。
半分にしたナスに入れられていく斜めの切れ目は、まるで夜空を瞬く流れ星の跡のよう。台所に立った背中はふたつ。一人一つずつ置かれたまな板に向かい、包丁を手にしていた。赤髪の青年は前髪を上げ、黒髪の娘は後ろで髪の毛を縛っている。
「やり方分かりました?」
こくりと頷いた青年は躊躇なくナスに包丁を差し入れる。そして、次の瞬間。まばたきをするような一瞬の間には、ナスの皮面には斜めがかった切れ目が端から端まで入れられていた。
「あ、ゆっくりでいいですよって、ぇええ!?瞬殺!?」
ばっと娘が顔を上げれば、男は先ほどと同じ無表情。一体何者だこの人と美桜は目をぱちくりさせた。
「あの、もしかして料理人の方ですか?」
どこからどう見てもそのナスは芸術品と呼ぶに等しかった。しかし、料理人説が覆されるのも数分後のことだとは今の彼女には知る由もない。
「あれ、肉じゃが真っ黒…ってぎゃあああ!醤油一本入れちゃったんですか!?たしかにちょっと多めとは言いましたけど!」