それから数十分後やっと泣き止んだ女は、ゆっくりと顔を上げた。
腫れぼったくなってしまった目元に、赤く充血した瞳。
「まだいたんですか」
ぐすと鼻を鳴らした娘は眉を下げた。音一つしないからもうどこかに消えてしまったと思ったと言葉を続ける。
対する男はいつ泣きやむのかとやきもきしていたものだから内心ほっと肩を撫でおろしたのだが、表情はいつもと同じ無で彼女がそんな様子に気づくはずもない。
「ごめんなさい。子どもみたいに泣いて。あと…少し言い過ぎました」
『なぜ謝る』
「ひどいこと言って傷付いたでしょう、だから」
『傷付いてなどいない』
「そうですか。それならよかった」
安堵したのか少し笑みを零した美桜。それを見た風魔は分からないものを見るように、赤茶の瞳にじっと彼女をうつした。
「どうしたんですか?」
『…お前はさっき泣いていた。あれは俺が傷付けたのか』
女は目をぱちくりとさせる。
「え?」
涙の理由を思い返してみれば、確実に男の殺せ発言とあの怖い雰囲気のせいである。
「まぁ…そうですかね」
『じゃあ、俺も謝るのか』
純粋にそう聞いてきた男に、娘は眉を顰めた。
「うーん、そうですね」
歯切れ悪くそう答えると、男の瞳が彼女をとらえる。
『ならば、悪かった』
赤茶の綺麗な瞳に一瞬どこか感情がうつった気がして驚き、ぱちぱちとまばたきをする。…見間違いだろうか。
「いいですよ。おあいこです」
男の言葉になんだかふっと心の中が軽くなった気がして、美桜は小さく微笑んだ。しかし、男にはその微笑みの意味が分からなかったのか、首をかしげる。何だか思ったよりも悪い人ではない気がした。
その時、自分が洗濯物を干しに来ていたのだと思いだした。何枚かを洗濯かごから取り出すと、棒にかけていく。そしてまた洗濯かごの前に戻ってくると、未だ男の姿はそこにあって、数分前と同じように突っ立っていた。それが妙に手持無沙汰に見え、自分の隣りに置いてあった洗濯物カゴの中からバスタオルを取りだし、彼に手渡した。
「よかったらこれ干してもらってもいいですか?ちょっと量が多いので」
バスタオルを差し出すと男は素直にこくりと頷いた男。しかし洗濯竿へのバスタオルの掛け方を知らないのか、あたかも普通に長方形のそれを斜めに掛けようとする。それを目の当たりにした美桜は、斜め上をいく面白さに思わず噴き出した。
「お兄さん!それ、どんな掛け方してるんですか」
くくくといきなり笑いだした女に、男は状況が把握できず何だという視線を送る。
「バスタオルはですね、こうやってこう掛けるんですよ」
女は腹を抱えてヒィヒィ言いながら、洗濯カゴからもう一枚のバスタオルを取りだす。
そして長方形のバスタオルを中心で折るように竿に掛け、両端をぴっぴと伸ばしてみせた。
風魔は納得したように頷くと、斜めに掛けたバスタオルを慎重に掛け直していく。中心で折るようにし、両端をそろえて皺をくっくと引きのばす。どうだというように振り返った男に、美桜は思わず親指を立てた。
「グッジョブ!うまい!」
男の顔は相変わらずのっぺらぼうみたいな無表情だったが、さっきの恐ろしさはどこにもなかった。そうして、二人は洗濯物を手分けして干していった。
ふわりと風が吹き、楠木がざわざわと音を立てる。洗濯物も風に揺られてさらさらと靡く。
「お兄さん、今日のお昼ごはん何がいいですか」
美桜は服をハンガーに掛けながら、隣りで靴下を洗濯バサミで抓んでいる男に声をかけた。ゆるりと向いた彼の表情が、風にあおられて露わになる。少し長い男の赤毛がふわりふわりと靡いた。
その瞬間娘は息を呑む。
やはり男のその顔はあまりにも綺麗だった。
世界の果てで仲直り