真実の見据え方





静かな一室に風に乗って届いたのは、小さな鼻歌だった。
聞いたことのない不思議な歌。


男はとろりと瞼を開いた。

仕事柄眠りは極度に浅く、己の体がどんな状態であろうと小さな物音ひとつで目が覚める。たとえ数十日間軽い睡眠しかとれていなかったとしても、どれだけの重傷を負っていたとしても。そのため一晩中寝たなんて記憶はないに等しく、彼にとって睡眠とはうたた寝の繰り返しのようなものであった。

壁にもたれ掛かっている彼は、音無く欠伸を一つこぼす。そして目の前に引かれた真白い布団に目をやった。今の今まで一度も「布団で寝る」という経験のなかった彼にとっては、粗雑な布団でも眠れない。それどころか目の前のこれといったら、大将首しか使えぬような贅沢品だ。入ることさえ憚られて、使う気など起きるはずもなかった。


そうして、その布団を前に一晩中壁に寄りかかって過ごしたのだった。




真実の見据え方



真っ白な布団の所有者を彼は思い浮かべていた。

柔らかく、温かく、ふしぎな女。自分を介抱したその女は弥勒ではないという。しかし、彼女の纏う雰囲気は男が知っている女どもとはまるで異なっていた。弥勒ではないのなら一体何なのか。

あの柔らかい手がふと脳裏をよぎる。己の手に目をやったが、女のものとは全く別物に見えた。何をせずにいれば、あれほど傷や豆のない手になるのか。彼には毛頭分からなかった。


それにしても、今何をしているのだろうか。

妙にあの姿を見たくなり、気配を探れば外にいる様子で。その時また、耳に届いたのはあの鼻歌だった。つられるように、男は重い体を引きずりながら、縁側から軒下に降りる。そして置いてあった下駄に足をかけ、声のする方向に近づいていった。

大きな楠木の下を抜け、洗濯竿にかけられた分厚く長い手ぬぐいを腕で払いのける。すると、木と洗濯物で見えていなかった景色がいきなり姿を現した。


男は目を見開く。


『何だ、ここ』


それもそのはず。二十数年間生きてきたが、男はこんな景色は生まれて一度も見たことがなかったのだ。

この家は山の中枢に位置しているらしく、見下ろした先には様々な建物が空を遮るように立てられていた。田んぼや茅葺きの家々、城下町、城など彼が知るものはどこにもない。五重塔よりもはるかに高い長細い建物や、一見公家のような成りだが、木材以外で造作されているのか強固そうな屋敷の数々。大きかったり小さかったり、色が赤であったり青であったり、似ているがどれもが違う成りをしている。


―どう見ても戦国の世ではなかった。




prev next
bkm