頑張る
「羅刹様、羅刹様はいらっしゃいませんか?羅刹様ー!」
遠くで私を呼ぶ声が聞こえたので、影をつたって声の主の影の中から、私を呼んだ人物を盗み見る。それは酷く困った顔をした女中であった。女中が私を呼ぶことなど珍しい・・・というか、初めての事だ。三成様直属だから、本当に居るかどうかも分からないから等々、取っ付きにくい理由など湧いて出る程ある私を、何故呼ぶ気になったのだろう?少し、気になった。 自室で、様々な情報の整理をしようと思っていたけれど、後回しにしよう。世の流れが落ち着いている今、さほど重要な情報は無かったことだし。少しドキドキしながら、私は潜んでいた彼女の影の中から姿を現す。
「はい。」
「きゃっ!」
可愛らしい悲鳴を上げて、彼女は振り返った。そして、見開いていた目を更に見開く。こぼれ落ちてしまいそう。
「ほ、本当に居た・・・。」
「居るかどうかも分からない私を呼んだんですか?」
「あっ、も、申し訳ございません・・・!お噂や、伝説なのかなというくらいのお話しか聞かなかったものですから。」
私に深々と頭を下げたまま、慌てたように言う。伝説化されているのは知っていたけれど、こうも真正面から言われると、なんとも言えない気持ちになる。まだ聞かないけれど、そのうち幽霊や妖怪の類とでも言われそうだなあ。 私は彼女に頭を上げるように言った。そもそも、私はただの忍であって、頭を下げられるような者ではないのだ。・・・とは言うけれど、彼女たちにとって、三成様直属というだけでも頭を下げなければならない理由の一つになるのかもしれない。
「本当に、鬼面を被られているのですね・・・。」
「ああ、被ったままでごめんなさい。三成様達に、あまり他人に素顔を晒すなと命令を受けていますので・・・。」
「そんな、私なんかに謝らないでくださいませ!」
「それで、あの、今日は何故私を・・・?」
「そうだ!」
コロコロと変わる彼女の表情は面白い。恐らく私より少し年上であろう彼女は、今度はしょんぼりと眉を下げた。
「三成様が、また食事を食べて下さらないんです。」
「ああ・・・。」
割といつもの事だ。そう言えば、少し前に城を空けたとき、徳川家康に遭遇したと聞いている。それが原因だろう。こうなっては誰が何を言っても、食べないし、寝ないし、下手をすれば暴れまわる。 そこで嫌な予感。逃げるか、と思った時には、私とは違う荒れ方をした手が、私を手をがっしりと掴んでいた。
「羅刹様、お願い致します!」
「い、いや・・・こればっかりは。」
「三成様と幼少の頃から一緒に居られた羅刹様ならば!」
「いやいやいやいや。それなら刑部様に、」
「刑部様怖いじゃないですか・・・。」
「え、私は?」
「左近様から、羅刹様の方が良いとご教授下さいましたので。」
「えええ。」
「最近、左近様は羅刹様のお話ばかりされるのですよ。羅刹様は、あまりお姿をお見せにならないので、やっぱり羅刹様の存在は噂や伝説の域を越えられなかったりするのですが。」
「・・・。」
「左近様のお話、本当かもしれませんね。こうして、私のような女中が呼んでも、来てくださったのですから。」
一体、左近様は何を話しているのだろう。そして、どうして私はお膳を持っているのだろう。 良い匂いのする昼餉。昼餉というには少し時間が遅く、出来立てではないけれど、相変わらず美味しそうだった。温められるものは温めて、残念ながらもう一度温められない白米は、数日食べていない三成様の事を考えて、雑炊になっている。 笑顔で見送ってくれた女中の事を考えると、これは必ず三成様に食べて頂く必要がある。私だって、私だって今の状態の三成様は避けたいのに・・・現に刑部様は避けているのに・・・!
「左近様、道連れです。」
「どわあ!!あ!?あ、羅刹ちゃん・・・!」
左近様の影から手を出して、足首をがっちり掴むと、驚いた左近様は無様にも尻餅をついた。いつもよりゆっくりと、這い出るように影から出る。
「そ、その登場の仕方、怖いよ・・・!」
「それは良かったです・・・今からもぉっと、怖いものを見に行くんですよ・・・。」
「あ、あれ?羅刹ちゃん怒ってる?」
「怒ってますとも・・・今から、刑部様でも避けてる三成様の元へ行くんですよ。左近様のせいで。」
「あ、ああ。女中の子が心配してたから、ちょーっとアドバイスをね?」
「左近様も行きますよ、ほら立って。」
「ええ、俺も!?俺が行ったら逆効果っしょ!」
「私が行ってもダメなもんはダメだと教えてあげますよ。上手く避けないと四肢が四肢じゃなくなりますから、注意です。」
「ひいい!あれ!?ちょっといつの間に首輪なんか!引っ張らないで行くから!ねえ!」
影で作った首輪を、同じく影の紐で引っ張る。容赦などするものか。 ずんずんと、大の男を犬のように引っ張りながらやってきた三成様の部屋。もう随分と前から、漏れ出す殺気が私と左近様の背筋を凍らせる。ふざけている場合ではないと、影の鎖と紐は消した。青い顔をしている左近様は、多分逃げ出す元気など無いだろう。私も無い。
「三成様。」
「帰れ。」
徳川家康許さない。徳川家康に会う度に、何かをやらかす度にこのような事になるのだから、もう本当、徳川家康許さない。 帰れという命令に背いて、私は固唾を飲んでから襖を開ける。いつ見ても苦手だ、この時の三成様は。
「帰れと言っている。」
「そろそろ何かを食べて下さい。」
「断る。」
「殺気が凄いです。下の者が怯えて、士気が下がってます。今は誰も攻めてこないから良いでしょうが、もし今攻め込まれたら、」
「私が全て残滅してやる。」
「・・・。」
「家康・・・イエヤスゥ・・・許さない、殺してやる・・・。」
昼餉は多分、昼餉じゃなくなるし、雑炊もふやけきって、冷めてしまうだろう。作ってくれたあの女中には悪いが、約束は破らないように努めたい。これは、短くて半日。長くて三日、かな。
「左近様、少し、お膳を持ってて下さい。帰ってこなくても、片付けないで下さいね。」
「・・・へ?な、何す、」
「三成、いい加減にしてよ。そんなに怖い三成、私は嫌いだよ。」
ぴたり、と三成様の怨み辛みが止まる。忍の羅刹ではなく、幼馴染の羅刹の声は届いたらしい。 それはもう、随分と昔。私や三成様が幼かった頃。理由がなんだったか忘れてしまったけれど、三成様が癇癪を起こして飲まず食わずになった。今思えば、この頃から闇の片鱗を見せていたな、と思う。甘やかさないと言った秀吉様と半兵衛様は、その癇癪を無視。刑部様もそれに倣い、私はどうしたらいつもの三成様に戻るのか考えていた。頭の良くない私は、良い案が浮かばなくて、とうとう暴言に走ったのだ。
「羅刹・・・。」
「どうして食べてくれないの。寝てくれないの。死んじゃったら元も子もないのに。」
「黙れ、口を閉じろ・・・。」
「もう知らない。ずっとそんなのだったら、私、別のところで雇ってもらうからね。」
「口を閉じろと言っているゥウウ!!!」
変わらない。あの時と同じように、私と三成様は、気の済むまで殴り合い・・・というか、斬り合いをするのだった。 変わってしまったのは、三成様の強さと疾さ。なんとか受け止めた刃は、私の短刀と擦れあって火花を散らせる。私は、押された勢いを殺さずに、そのまま背中を倒す。背中に触れたのは、畳ではなく影。最後に見た左近様の焦った顔に、見えないだろうけれど、微笑みを返しておいた。
「・・・。」
「・・・。」
「かっ、帰ってきたぁ・・・!」
「左近、昼餉は何処だ。」
「へぇ?え、あ、部屋に置きっぱなしっすけど・・・ちょっと三成様!?そんな泥だらけで・・・。」
「騒がしい。」
「ちゃんと食べてよね、三成ー。」
「ふん。」
夕餉の時間もすっかり過ぎてしまった頃に、ようやく私たちは帰ってくることが出来た。三日三晩掛からなくて良かったと思うし、なんとか私の四肢はちゃんとある。損害は、私の大事な武器である操り人形が粉々になってしまっただけだ。悲しくなんかない・・・代わりはある。・・・悲しくなんかない。 三成様は、鬱憤を晴らすことが出来れば大抵大人しくなる。ただ、やっぱり段々と強くなられる三成様のお相手をするのは、命懸けになってくるのであんまりやりたくないのだ。随分疲れてしまったので、思わずその場にへたり込むと、左近様が駆け寄って来てくれる。
「羅刹ちゃん、大丈夫・・・じゃない、か。」
「ご、ごめんなさい・・・ちょっと、疲れてしまっただけなので。」
「いやいや、ちょっとどころじゃ無いっしょ!立てる?」
「・・・。緊張の糸が、切れてしまったみたいです、ね。」
「よし。」
「わっ。」
左近様が私を抱き上げる。どうせ歩けないのでそれに甘んじていると、縁側に下ろされた。そこには、色々な手当の道具が転がっている。どうやら、左近様に余計な心配をさせてしまったらしい。・・・それもそうか。四肢が四肢じゃなくなるとか、脅したもんなあ。
「あー、足とか触っちゃうけど、良い?」
「どうぞ。」
濡れた手拭いが気持ちが良い。傷に触れると俄かに疼いたが、これくらいの傷で済んで良かったと、今一度安堵する事が出来た。優しすぎるくらいの力で拭ってくれている左近様の表情は、非常にしょんぼりとしていて、まるで怒られた犬のよう。
「ふふふ。」
「なんで笑うの。」
「いいえ。」
「・・・ごめんね、こんな事になるなんて・・・。」
「大丈夫ですよ。士気が下がっていたのは本当ですし、事が長引くのはいけませんからね。別に、左近様のせいではありませんよ。」
「・・・。」
「最初は怒ってしまいましたけど、もう大丈夫ですから。」
ううん、やっぱりまだしょんぼりしている。私も、もうちょっと余裕のある感じで帰ってこられれば良かったんだけれど、三成様相手ではそうもいかなかったからなあ・・・。 ああ、そう言えばまだアレをしていなかった。少し考えて、私は左近様の目を隠さないまま、鬼面をずらして頬に接吻をした。いつもならすぐに隠してしまうけれど、今回はずらしたまま。笑った口元は見えているだろうか?私は今、彼の顔を見ることが出来ない。
「ただいま、左近様。」
「・・・おかえり!」
鬼面を戻すと、左近様の顔が見える。左近様は笑っていた方が、良い。 20140814
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