上条から一方通行に出された一番最初の命令は、『毎食きちんと食事をとること』だった。
次に、『充電の際は上条に頼ること』。
それから、『入浴の際は上条に頼ること』。
何のことはない。
要約してしまえば、『もっと一緒に過ごす時間を増やせ』と言うことだ。
まだ常識的な範囲の命令であったことに安堵していた一方通行は、あれから三日間、言われたとおりに過ごしていた。
ただ一つ問題があるとするならば、上条からの一方通行に対する接し方に微かな異変が起きたことくらいだろうか。


「……っ、…」
「あ、悪い。痛いか?」
「……別に」
太陽光が射し込まないために曖昧ではあったが、確実に真っ昼間と言っても良い時間帯。
そんな時間に、上条と一方通行は一緒に入浴をしていた。
たっぷりと泡立てられたボディーソープが付いた両手で、上条は一方通行の身体を清めている。ぬるついた指が皮膚の薄い部分を撫で上げる度に悪寒のような物が一方通行の背筋を走るが、逆らうことは許されない。
背中を。脇腹を。太腿の内側を。焦らすように確かめるように撫でるその動きは、性交時の愛撫と言っても問題ないものだ。
「(……気持ち悪ィ)」
暫くすれば、上条はシャワーを手に取り一方通行の身体から泡を流し落としてしまう。
上条自身も自らの身体に付いた泡を流し、その後は綺麗に洗濯されたバスタオルで水分を拭う。
湯船に腰を掛けながら、渡されたバスタオルで一方通行も上条と同じ行動を取る。
普段はツンツンとしている上条の髪が真っ直ぐ下りているという状態を、何度見ても一方通行は慣れなかった。
「あ、そうだ。なぁ、お前って本とか読む?」
ふと、唐突に上条からそんな言葉を投げられた。
「あァ。暇つぶし程度には」
くしゃくしゃと乱暴に髪の水分をタオルに吸わせていると、それを上条の手が制し、随分と優しい手付きで同じ意図の行動をとった。
「じゃあさ、風呂から出たらちょっと付き合ってくれよ」
「……あァ」
一方通行は上条の命令に逆らうことができない。
この条件を知っているくせにそうやってわざわざこちらの都合を確認するというのは、随分と皮肉が効いているのではないか。
バスタオルで表情を隠しながらそんなことを思った一方通行は、上条から替えの服を受け取り身に着けた。
今更上条に全裸を見られたところで、恥ずかしいとも思わない。
「じゃ、行こうぜ」
「………」
杖を右腕に取り付けた一方通行の眼前に、上条の右手が差し伸べられた。
彼は無言のままその手に自らの左手を重ねると、ゆっくりと立ち上がる。



「……これ、は」
「すげーよなぁ。全部本なんだぜ」
上条に連れてこられた場所は、書斎と言うにはあまりにも広すぎる空間だった。この古めかしい洋館の隅。本が傷まないようにと遮光されている為に酷く暗く、背の高い本棚が所狭しと並ぶために圧迫されているように感じてしまう。
本棚の背丈は、上条達よりも頭一つ分高い。
そしてその全てに。少しの空きも許さないと言わんばかりに、みっしりと本が詰め込まれていた。
一方通行が一歩前に出、試しにと一冊を引きずり出す。少しだけ塵が積もってはいたが、本文には痛みが無く、十分正視に耐えるものだった。
「ここ、なんもねーだろ?だからお前の暇つぶしになればと思ってさ」
上条も彼の横に立ち、試しに一冊取り出してみる。が、その内容は上条が理解できるようなものではなかった。
だが一方通行にとっては、十分暇を潰せる娯楽になる。
「……そォか」
上条は、俺のことを考えてくれていた。
その事実に気付いた一方通行は、これまで自分が彼にとって来た態度を申し訳無く思う。
食事にしても風呂にしても、確かに今の状態の彼一人ではこれまで通りとは行かない。
この洋館は学園都市のようにバリアフリーが徹底されているわけではないし、まして毎日降り続ける雪の所為で昼夜の境目さえ曖昧だ。
その中で、一方通行に危害が及ばないような娯楽をわざわざ探し出したというのだから。
「……」
「…あー、ダメ、だったか?」
無言で居た一方通行の態度をどう取ったのか、上条は少し残念そうな表情を浮かべて本を元あった場所へと戻した。
そしてその表情に、彼は酷く見覚えがある。
一緒に食事を採っている途中。
一緒に服を見ている途中。
研究所から呼び出され、その場を離れざる得なくなった一方通行を、見送る際の。
「……いや、……助かる」
「…そっか!良かった」
「……」
一方通行が素直に礼を言うと、上条は顔を綻ばせながら安堵した。その様子を見て、彼自身も安堵する。
上条があんな寂しそうな表情をすることをこれまで見ない振りをしていた自分に、腹が立った。
「奥にも色々あるみたいだから見て来いよ。俺も適当にしてるから」
「あァ」
明るくなった声色を確認した一方通行は、手に取っていた本を棚へと戻す。そして上条の横をするりと抜け、暗い図書室の中へと歩みを進めていった。
対する上条はその背中を見送ると、壁に設置されていた電灯のスイッチを入れ、本を読むために必要な明かりを部屋へと供給する。
「……さーて」
誰もいない空間に、上条の独り言が響いた。
彼がこの部屋を見つけたのは昨日のことだ。この、何の娯楽もない館で時間を持て余しているのは上条も同じことであって。
試しに漫画でもないかと探しては見たのだが、如何せん英語ですらない言語で著されている本が大半で、数少ない和書もまるで学校の教科書に引用されている資料のような文体だったので。
「(夕飯の準備でもしますかね)」
この部屋には、上条の娯楽となる物が一つもない。
それでもまぁ、一方通行は気に入ったらしいので。
それで手を打とうと一度背伸びをした彼は、音を立てずにその部屋を後にした。





「……ン?」
一方通行が本棚の森に身を沈めていると、急に視界が明るくなった。ふと頭上を見れば、彼の部屋にある物より幾分かは立派な作りをしたシャンデリアが煌々と光っている。
恐らくは上条が点けたのだろうと自己解決した彼は、本棚から適当に本を引き抜いて、どかりと床に腰を下ろした。
どうせ今夜も上条と一緒に入浴する羽目になるのだから、多少服が汚れようが気にもならない。
「(……どれも五十年以上前の本か。…まァ良ィ)」
タイトルも著者も気にせずに、一方通行は目に付いた物を片っ端から読み漁る。内容は下らない創作小説だったり当時の社会を風刺したイラストだったり、はたまた子供に読み聞かせるようなお伽噺であったりと、全くまとまりがない。
しかしこの5日間、何をするまでもなくただ時間を浪費するだけだった一方通行にはその下らない内容すら娯楽になる。
読み終わった本を片づけた後、また同じ量の本を本棚から取り出し中身を脳に叩き込む。
そんなことを何度繰り返したか。
気付けば、棚一つ分の本を全て読み切ってしまっていた。
「(…熱中しすぎじゃねェか?オナニー覚えた猿か俺ァ)」
自省しながら周囲を見渡すが、この部屋にもやはり時計らしき物はない。取り敢えずは上条の元に戻ろうと立ち上がった一方通行は、杖を突きながら上条と別れた出口付近へとゆっくりと歩く。
「上条、遅くなっ…」
彼は、適当にしていると言っていた。
だから一方通行は、きっと彼が待ってくれているのだろうと思っていた。
しかし。
「……」
ドアの前には、誰も居なかった。
周囲を見回すが、人の気配は感じられない。普通の人間の思考であれば、図書室から出たのだろうと言う推論に辿り着くだろう。
しかし5日間、べったりと上条と過ごしていた一方通行の思考は、『普通』とは言えない程度に歪み始めていた。
「(……まさか)」
この広い図書室の中、どこかで本に埋もれでもしているのではないのか。
自分は、熱中しすぎて何かを聞き逃してしまっていたのではないのか。
一度そう言ったマイナス思考に取り付かれてしまうと、まるで螺旋階段のように脳内がぐるぐると回り、不安に駆られてしまう。
一方通行は一度唇を噛むと、この図書室を隅から隅まで確認すべく一歩足を踏み出した。



「よーし、出来た」
一方、上条は彼の心配など知る由もなく。
台所でのんびりと夕飯を作っていた。
この屋敷に来てからと言うもの、明らかに自分の家事スキルが上がっていることに若干情けなくも思えたが、一方通行が(少なくとも)満足してくれて居るようなので問題ないと調理器具を洗う。
手を拭き、携帯電話で時間を確認すると、彼をあの部屋に置いてから既に四時間以上が経過していた。
そろそろ、迎えに行った方が良いかもしれない。
そう思った上条はエプロンを外すと、図書室に向けて足を運ぶ。



「……どォなってンだ」
呆然とした一方通行の声が、図書室に響く。
室内をゆっくりとしたスピードで見回り、それでも上条を見つけられなかった彼は、ようやく上条は部屋の外に出たのではないかと言う推論にたどり着いた。
全く以て自分らしくない、無駄な時間を費やしてしまったと自らの失態に対する言い訳をしている途中。
一方通行が図書室の深部に居ると言うにも関わらず。
突然音も立てずに全ての照明から光が消えた。
「!?」
光を取り込む行為に慣れていた眼球は突如それが奪われたことに対応できず、様々な色の残像を残したまま暗闇を映す。
ひたすら暗く音のない空間に放り込まれた彼は身体が歪むような錯覚に囚われて、思わず本棚に手をついた。
ただ、暗くなっただけ。音のない暗闇などこれまで何度も体験したことのあるシチュエーションだ。だから何も不安になることなど、無い。
その思考が何処か言い訳じみていることに気付かないまま、一方通行は自らが来た道を戻った。
この本棚を右に。この本棚を左に。
そうして来た時間の倍以上の時間を掛けて入り口に辿り着いた時、無意識に彼の口から安堵の息が漏れた。
金属で造られている重厚なデザインの取っ手に手を掛け、力を籠めて引く。
が。
「…は…?」
開かない。
まるで鍵でも掛けられているかのごとく、ドアが開くことはなかった。思わず力を籠めて引いた所為で、ガチャガチャと錠が擦れる音が響く。
まさか、上条に閉じ込められてしまったとでも言うのだろうか。
何故。何のために。そもそも上条は何処に行ってしまったというのだ。
一方通行は、明らかに混乱していた。
その白い指は震え、緊張から掌には汗が滲み、無意識に呼吸が浅く、早くなる。
彼の視界は前も後ろも右も左も終わりのない、ただただ暗いだけの闇が広がっている。
彼以外この部屋にいる人間は居ないという事実に対し、焦るべきなのか。それとも安堵すべきなのか。そもそも何故こうも不安に駆られてしまうのか。
「………、は」
一度大きく息を吐いた一方通行は、取っ手から手を離して目の前にある暗闇を呆然と見つめていた。
どうやっても、開かない。
絶望的なほど、物理的な壁。
しかし。
どうしようも無くなった彼をあざ笑うかのように、次の瞬間その壁は呆気なく開いてしまった。
「……あ、一方通行!?どうしたんだよ」
「…………ァ」
つい先程別れた上条が、情け程度に付けられている廊下の照明を背負い、一方通行の前に現れた。
「てか、暗っ!もしかして停電したのか?」
上条は大きくドアを開きその身を室内に滑り込ませると、手探りで照明のスイッチを切り替えた。
カチカチと数回堅い音が響いたが、室内に光が戻ることはない。
そして、上条は一方通行がこの真っ暗な闇の中に取り残されていたと言う事実に気付く。
「…悪い。独りにさせちまったな」
上条の右手が、するりと一方通行の頬を撫でる。これまで不快としか捉えられなかったその感触が、何故か酷く温かく、柔らかなものに感じられた。
上条は何も変わっていない。
もし変わったとするならば、それは恐らく。
一方通行はその仮定を否定するように軽く首を振って上条の手を払うと、こつりと杖の先を削りながら図書室から出た。
「あ、待てって。埃付いてんじゃねーか」
置いてきぼりを食らわないように上条もその背中を追うと、一方通行と並んで歩く。
そして、彼の白い髪に付着している埃を払った。
「つーかよく見たらそこら中埃まみれじゃねーか。…飯の前に風呂入らねーとな」
上条の言葉に特に返事をすることもなく、一方通行は歩みを進めていく。彼の言うことは、尤もだと解っていたからだ。
彼の向かう先がダイニングではないことに気付いた上条は、一方通行がきちんと自分の話に耳を傾けてくれていたことを知り、内心で微かに喜んでいた。
少し頬を弛ませ、他愛もない世間話を振る。
「面白い本、あったか?」
「……」
一方通行も、この屋敷に来たばかりの頃よりは上条に対する不信感が和らいでいる。なので、その問いには素直に返答をした。
「まァ、くっだらねェ内容ばっかだったが…無ェよりマシだ」
「そっか。あ、今日の晩飯なんだけど」
下らない内容の会話が途切れないように、と上条は次々と話題を振っていく。気付けばもうバスルームが目の前にあり、上条と一方通行は本日二度目の入浴を行うことになった。
彼を苛んでいた先程までの不安という感情は、すでに消え去ってしまっている。



ちゃぷり、と音を立てて浴槽の湯が揺れる。第二次成長期真っ只中の少年二人が向かい合って足を延ばしながら入っても、スペースには若干の余裕があった。
上条は相変わらず一方通行を後ろから抱え込むようにして、その湯の温かさを受け入れている。
「……」
「……」
両名とも無言のままだったが、不思議とこれまでのようなぴりぴりとした空気はなく。一方通行も、上条に背中を預けるようにしながら揺れる湯を眺めていた。
「……」
その、滑らかな肌の感触に上条が劣情を抱いているとは露ほども思わずに。
ちょうど上条の股の間に一方通行の尻が当たるような状態のために、少しでも熱を持ってしまえば彼に悟られてしまう。
それだけは避けようと体勢を変えて努力をすれば、居心地が良い台座がもぞもぞと動く所為で身体が安定しない一方通行が、上条の様子を窺うために振り返る。

ありふれた行動がもたらすのはある意味必然とも言えるような、偶然だった。

「……」
「………」
二人の身長に差はない。少なくとも、最後にお互いの背丈を自己申告し合ったときは。
だから似たような体勢で顔を付き合わせれば、似たような位置にある器官も重なってしまうのだ。
驚いたように見開かれた黒と赤の瞳が、これ以上無い至近距離で視線を絡ませ合う。
柔らかく、暖かい温度が他に比べて一際薄い皮膚越しに伝わり、一方通行の背筋にぞわりとした感覚を伝わせた。
しかしそれは、悪寒ではない。
「……っは、」
体勢を立て直そうと一方通行が唇を離した瞬間、逃がさないとばかりに上条が距離を詰めた。
そして、上条は今度こそ明確な意志を以て一方通行と唇を重ねる。


唇を押し付け合うだけの幼稚なキスは、酷く長い間続いていた。






→10日目




「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -