鉄火と別れた後、俺は態々冷たい雨に打たれながら帰路に着いた。

鉛色の空から落ちてくる水滴は髪を濡らし服を濡らし、容赦なく体温を奪っていく。
それくらいがちょうど良い。
デュエルを裏切っていた時期、俺はただ単にのぼせていた。

スリルがあるゲームのようなものだと思っていた。
バレたとしても、謝って、いつものようにキスをすれば許してくれると思っていた。


いつだって、現実はそんなに優しいものではないということに、気付かなかった。


日が出ていない日は、街灯の明かりや看板のネオンがやけに明るく感じられる。
恋い焦がれた空はやがて灰色を濃くしていき、最後には真っ黒になる。
そして代わりに、極彩色のネオンが夜空を照らす。
道路に溜まった水までが夜の闇とネオンを映し出すので、夜であることを忘れそうなほど明るかった。

「……………さみーな」

服も靴も髪も、冷たい水を吸い込んで、重くなった。一歩歩く度に靴の中がぐちゃぐちゃと音を立てる。



浮気をした理由は、どっかのドラマで良くある『寂しかった』という理由だ。
デュエルが一月ほどの里帰りをしていた時があった。
実家の様子を見てくる、とだけ告げ、その日のうちに成田経由でロンドン行き。

今まで与えられていた餌がなくなったので、バカな俺はかわりの餌を探したというわけだ。


「………」


ロンドンから帰ってきたデュエルを迎えたのは、裸で眠っている俺と浮気相手。
デュエルは可愛らしく、成田から帰ってすぐ、土産を持って俺(ていうかサイレン)の家にやって来た。
時刻は朝8時。
サイレンは既に仕事に行っていて、夜勤明けの英利は昨夜から泊まり込んでいた浮気相手の存在を知らずにいた。
まだ眠っている俺を二人でビックリさせようと思い、一気に引き戸が開かれる。


そして、沈黙。



いきなりの物音で眼が覚めた俺は体を起こした。
前夜の情事のため、服は着ていなかった。
そして、呆然としている二人と眼が合う。
あの時の英利の「…やべぇ…」という表情は、きっと暫く忘れない。
そして、あの時のデュエルの、なんとも形容しがたい表情は、きっと一生忘れない。


鈍感な俺でもわかった。
取り返しがつかないほど、傷つけてしまったと。



「……あぁ、…畜生」


当時の自分の行動を思い出す度に、吐き気を催す。雨と気温で体の末端は白くなるほど冷えているのに、相反して内臓は煮えくり返っているようだった。

繁華街を過ぎ、住宅街に入ると、これまでの鮮やかなネオンは姿を消し、変わりに青白い街灯が十数メートルおきに暗い道を照らしていた。


たった一度きりの『過ち』として、許してもらえると思っていった。

どれくらい沈黙していたのかは分からない。
デュエルは無言で踵を返すと、来た道を戻っていった。
「…あーぁ。…やっちゃったな」
俺の浮気相手は、極めて冷静に笑っていた。
その一言で我に返り、俺は服を着るとデュエルを追いかけた。
デュエルは100メートル離れたくらいのところを歩いていて、俺はすぐに追い付くことができた。
「……デュエル!」
俺は名前を読んだが、デュエルは聞こえた様子もなく歩き続けていた。焦れた俺はデュエルの前にまわり、腕を掴んだ。
デュエルは表情を崩さずに、俺の顔をまっすぐに見ていた。
飛行機の中で良く眠れなかったのか、少し目蓋が腫れていた。

そして俺は言い訳を開始する。
寂しかったから。(嘘を吐け)
心細かったから。(嘘を吐け)
酔っていたから。(嘘を吐け)
一度だけだから。(嘘を吐け)




(赦してもらえるような嘘を吐け)





自分でも驚くほど沢山の言い訳が出てきた。
それをデュエルは眉一つ動かさずに聞いていた。
そして全て言い終わった後、デュエルは微かに笑っていた。
そして、キスをされた。
唇を重ねるだけの、優しくて乾いたキスだった。
バカな俺は期待する。
赦してもらえたのかと。
デュエルの腕を掴んでいた手を離す。
相変わらずデュエルは微笑みながら、俺の耳元に唇を寄せてきた。
そして一言、告げられる。




「さようなら」





一月もの間のぼせていた俺は脳細胞が焼け切れていたらしく、デュエルの言葉を理解できなかった。
俺が呆けているうちにデュエルはまた歩き始め、距離ができた。

俺は追いかけることもせずに、1人で泣いた。



「………馬鹿だ…」
それからというもの、携帯のメールアドレスも変わり、番号も変わり、連絡のつけようが無くなってしまった。
サイレンに仲介を頼んでみたものの、ウザいくらいに爽やかな笑顔で『自業自得でショ?』と言われてしまった。

それから半年、まともに顔を合わせることをしなかった。
一度だけ、コンビニで買い物をしているところを見たが、別人のようになっていた。
明るい緑色の髪は真っ白に漂白され、目には赤いカラーコンタクトが入っていた。
名前を呼びたかったが、怖くて出来なかった。
外見が、ではなく。
再び拒絶されるのが怖かった。
濡れながら思い出し、過去が現在に到達した時点でマンションの前に着いた。
帽子を脱ぎ、服を絞り水気をできるだけ切ると、中に入る。

「(……そう言えば…携帯ポケットん中入れっぱだったな…)」
もしかしたら水浸しになって再起不能になってしまっているかもしれない。
少し焦ってポケットから取り出すと、青白くLEDが点灯していた。
ぱちん、と開くと、メールが届いていた。
エレキからのメールで、内容は簡単だった。
彩葉を怒らせたみたいなんだけれど、どうやったら許してもらえるだろうか。
そんなの、謝ればすむことだろうに。

簡潔にメールを返すと、また濡れたパンツのポケットに携帯をしまった。
そして、入り込んでくるすきま風を受けながら階段を登っていて、あることに気付いた。





「俺、謝ってなかった」
「はァ?」
ずぶ濡れになった俺を見て、英利は心底怪訝そうな顔をした。
事情をすべて知っている英利は、とうとう気が狂ってしまったのか、とでも思ったんだろう。
「だからさ、謝ってなかったんだよ。デュエルに」
「そうかそうか。…ところで暖かいコーヒーとバスタオル、どっちが欲しい?」
「両方」
フローリングを水浸しにされるまいと、英利はバスタオルを持ってきた。
そして、ミルクがたくさん入った暖かいコーヒーを持ってきた。
俺は身体を拭き終わると、コーヒー片手にリビングで着替えた。
「謝らなかったら、許してもらえないよな。そりゃ」
「……でもな、ニクス」

俺の考えていることが分かるかのように、英利は諌めるように言ってきた。
「お前がやったこと、俺はすげー最低だと思うよ。…今更謝ったって、意味ないだろ。大体、どうやって言うつもりだよ」
「んー…、まぁ、あいつんち行って、ダメなら諦める」

炬燵に入ると、台の上に置いてあるミカンを食べた。


自分のことばかり考えて、人のことは考えない。
俺の悪い癖だが、せめて明日までは、この悪癖を赦してもらいたかった。
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