「……まさかハワイで温泉に入れるとは思わなかった」

身体から湯気を立ち上らせながら、浜面はぽつりと呟いた。
今彼が居るのは、日本人観光客向けに建てられたホテルだ。
グレムリンによる破壊活動を最小限の被害で食い止めた上条達は、ひたすら消耗していた。
特に上条の消耗ぶりは誰の目にも明らかで、バードウェイ達と別れてからはまともに言葉を発しない程だ。
明らかに、休息が必要。
そう判断したのは一方通行で、彼の行動は早く的確だった。空港近くのホテルに乗り込むと、流暢な英語でフロントに話を付け部屋を二つ用意させたのだ。
丁度男女三人ずつなのだからツインかダブルにしては?と言う身の程知らずな軽口に対し、彼が真っ黒なクレジットカードと射殺すような赤い眼で返答したことは、誰も知らない。
「そりゃ良かったな」
浜面の呟きに、一方通行は興味なさげに返答した。
今、部屋には三人の人間がいる。
上条当麻、一方通行、浜面仕上。
部屋に到着した三人の内、まず一方通行に勧められた上条が、真っ先にシャワーを浴びた。そしてその後、食事も採らずにベッドへと倒れ込んでしまった。この間およそ、十五分。
次に浜面が入ったのだが、彼の予想に反し浴室の内装が果てしなく豪華であった為、ついじっくりと堪能してしまった。
この間およそ、三十分。
その間一方通行は、ベッドの中で微動だにしない上条の隣のベッドに座り、自らの傷の手当てを行っていた。
「うわ、第一位、なんだよそれ」
ボクサーパンツ一枚でタオルを肩に掛けた浜面は、スリッパでカーペットを擦りながら一方通行の元へと歩み寄る。
彼の目線の先には、皮膚の所々が裂けた一方通行の右腕があった。その怪我は肩口まで点々とあり、一部はまだ血が滲んでいるような状態だ。
衣服に付いた血はベクトル操作で落とし、止血などの応急処置は終わっていたものの、この短時間では傷が塞がるには至らなかったのだ。
「……油断してやられたンだよ。そォ言うお前の背中は何なンだ」
「背中?」
言われた本人は、不思議そうに首を傾げながら化粧台の前で振り向いた。浜面の背中、丁度中央の位置に、軽い火傷があるのが見える。
「……あー、これか。あれだ、俺が無茶したの止められたんだよ。お前んとこの子に」
「……そォか」
そう呟いた一方通行は、救急箱から軟膏を取り出し、浜面に投げ渡す。どうやらフロントに電話をし、持ってこさせたようだ。
受け取った浜面は、薬を患部に丁寧に塗り込み、手当をする。
「なぁ第一位。飯買いに行こうと思うんだけど」
「下手に外に出るのは勧めねェな無能力者。腹減ったンならルームサービス取れ。あっちにもそう言ってある」
「……おう」
あっち、とは、もう一つ取った女部屋のことだろう。さり気ない手配の早さに、浜面は思わず見習いたくなってしまう。
ホテルの案内に挟まれていたルームサービスメニューを見ながら、今までより少し量を抑えた声で浜面が言葉を吐く。
「……ずっと?」
「………」
浜面が何に対してその言葉を吐いたか理解している一方通行は、首を小さく縦に振った。
上条はずっと、ベッドから出て来ない。
御坂によれば、バードウェイがグレムリンであったこと、そしてそれを見抜けなかったことにショックを受けている、と言うことらしい。
「慣れて無さそうだもんなぁ」
「あァ」
自らが良かれと思って取った行動が、逆に災いを振り撒いてしまうと言うこと。
仲間だと思っていた存在に裏切られると言うこと。
これまで学園都市の暗部に身を置いていた二人にとっては、良くある当たり前のことだった。
だからバードウェイが裏切ったという言葉を聞いても、彼らは特に動揺しなかった。
酷く冷静に、次に起こる事態に備えて行動を起こす。
「次どうするか、当てはあるのか?」
「今回離脱した機関の内部には知り合いが居るンでなァ。そいつらと連絡取って奴らが接触してくるのを待つだけだ。元学園都市の協力機関なンざ、連中の格好の餌だからな」
「あー、なるほど」
浜面は薬を救急箱の中に戻すと、部屋に設置してある冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
ちらりと上条の様子を窺っては見るものの、やはり先程から全く変わっていない。
軽く頭を掻くと、喉を鳴らして水を飲み込んだ。
「………」
「………」
部屋の中が、不意に静かになった。

そしてその沈黙を破るかのように、ホテルの内線電話が鳴る。

一方通行と浜面が一瞬視線を交わした後、一方通行の手が伸びた。
「何だ」
『あぁ、もしもし第一位?あのね、ミサカ達外出たいんだけど』
電話の向こうの相手は、番外個体。彼女は全く悪びれることなく、しらりとそんなことを言ってのけた。
「……つい一時間前言われたことを忘れるたァ、お粗末な脳ミソだなァ。ァあ?」
挑発を兼ねた低い声で一方通行が彼女に言葉を掛ければ、それに悪意をプラスした言葉が返される。
『そんなこと言ったって、結局ミサカ達のスーツケース回収できなかったから着替えもないんだよ?あー、何、あなたって女に汚れたままの下着とか付けさせて悦ぶ性癖なの?サドなのは知ってるけどミサカ達に押し付けないで欲しいなー』
呆れたように溜息で締めた番外個体の言葉に、一方通行も溜息で返す。
「……そっちに浜面を行かせる。五分待て」
「えっ、ちょっ!?」
『りょーおかーい。良かったねぇクロにゃん、愛しのはまちゃンが迎えに来てくれるってー』
突然巻き込まれた浜面の気持ちなど全く考えずに、一方通行は受話器を置いた。
「おい第一位?!さっきと言ってること違うじゃねーかよ!つーかあいつらならボディガードとか要らねえだろ!」
「おォ、よく判ってンじゃねェか。オマエは荷物持ちだ」
一方通行はパンツのポケットに入っていた財布からクレジットカードを取り出し、浜面に投げて渡す。
「あいつら金も無ェからな。駄賃代わりだ」
暗に好きな物を買っても良いと言われた浜面の脳内に、パシりになっても良いかな、と言う思考がつい過ぎってしまう。
一方通行はそれも見越して、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「なンせ滅多に来れない『外』だ。学園都市のだっせェ服着てる女なンか、喜ぶンじゃねェか?」
誰か、とは特定しなかったが、浜面に特別な存在がいることを一方通行は知っている。
そしてその一言に背中を押された浜面は、あくまでも『無理やり任されて面倒だ』と言うスタンスを崩さないように服を着て、部屋から出て行った。
カチャリとドアが閉まる音を最後に、部屋の中が再び静まり返る。
「………」
一方通行は無言でベッドから立ち上がると、上条が眠っているベッドの端に腰掛けた。
布団に潜り込むように眠っているため、彼から上条の表情を見ることは出来ない。
「寝てンのか」
試しに声を掛けてみるが、上条は何の反応も示さない。眠っていようが居まいが同じか、と判断した一方通行は、静かに言葉を続けることにした。
「……判ってンだろ。もォ悪役一人倒して終わるよォな、単純な段階じゃねェ事くらい」
これは酷く盛大な独り言だ。
静かな部屋の中に響くのは一方通行の声だけで、他に音は存在しない。
「今回の件ではっきりした。奴らは能力者に強制的に魔術を使わせて自滅させる武器を持ってやがる」
床に落としていた視線を天井へと向けて、今日対峙した敵のことを思い出す。
科学を誤作動させる、怪物。
科学技術の粋を集めた一方通行にとっては、もしかすると最も相性が悪い相手なのかもしれない。
「俺ァ、鉛弾を防ぐことは出来るが、魔術を完全に防ぐことは出来ねェ。ちょっと油断しただけでこの様だ」
右腕は神経がじくじくと痛みを訴え始め、ほんの少し指先を動かすだけで電流が走ったように痺れてしまう。
能力者が魔術を使う代償が死だと言うのなら、死ななかっただけ幸運だったのかも知れない。
「つまり」
誰に聴かせるまでもない言葉を一つずつ区切り、続けていく。
「どォしてもオマエの力が要るって事だ」
今更後戻りが出来るわけではないし、事件が起きることをみすみす見逃して知らない振りを決め込むなどということも、出来るわけがない。
奇しくも、バードウェイに言われた言葉のままだ。

「手ェ貸せ、最弱」

一方通行は、いつかの夏の日には想像も付かなかった言葉を吐いた。
あの日から、たった三ヶ月も経過していない。だと言うのに、彼らを取り巻く環境はここまで激変してしまった。
「失敗したなら後悔しろ。ンで繰り返さねェ様に考えろ。一緒に考えるくれェはしてやる」
上条当麻は今日、一方通行に対し「借りは必ず返す」と言った。
ただそれは、ある意味では間違っている。
一方通行が今こうして上条と肩を並べていることこそが、あの夏の日の借りを返すためだったのから。
もしあの程度で上条が一方通行へ借りを作ったと感じたのであれば、一方通行が上条に感じるものは一体どれほどの大きさになると言うのだろうか。
上条にはどうも、他人の問題には首を突っ込むくせに自分の問題に他人は関わらせないという悪癖があるらしい。
ヒーローだからと言って、誰にも弱味を見せられないという訳ではないだろうに。
「泣くなら泣け。……邪魔なら俺も外に、」
一方通行がそう言ってベッドから立ち上がろうとした、その時。
もぞりと布団が動いて、その中から上条の左手が出て来た。
そして、少しだけ腰を浮かせていた一方通行の右手を掴む。
酷く、弱々しい力で。
「………」
一方通行は無言でベッドに再び腰を下ろすと、上条の左手を握り返す。
上条の手はあの日とは異なり、酷く冷たかった。


「……ありがとな、一方通行」


布団の中、くぐもった声でそう言葉が返される。
一方通行は一度舌打ちをしてから、左手で自らの頭を掻いた。



それから少しの後、本当に静かな部屋の中。
微かな音で嗚咽が漏れた。








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