12/15 A


本当に、今更だと思った。

12月の初頭、特に目的もなくゲーセンで時間を潰しているときにセリカに声を掛けられた。
さりげなく、なんとなく。
人間関係の変化に気付いているようだった。
なんだかんだと言って、ニクスも茶倉もゲーセンの顔馴染みだ。
誰かが欠ければ、何があったのかくらいの予想は付くのかもしれない。
そのままの成り行きで彼女主催の忘年会の協力をすることになり、今に至る。
一月もの間、声すら聞くこともなければ残っているかもしれない芽も枯れるだろうと思っていたのだが、認識が甘かったらしい。
久し振りにあの、低い声を聞いて。
また久し振りに顔を見ると、芽は恐ろしい早さで成長して根を張った。
その事実を認めることも否定することも出来ない俺は、カウンターの隅を陣取り、ちびちびとカクテルを飲んでいた。
「よ。隣良いか?」
「…、おう」
いきなり声を掛けられて、一瞬驚いたことを悟られないように返事をする。
声を掛けてきたのは、士朗だった。まだ始まったばかりであるのにグラスには酒が入っていない。
見慣れた、茶色をしていた。
「なんだ、呑まないのかよ士朗。元取れねーぜ?」
茶化すように言うと、士朗は少し拗ねたようで。
頬を膨らませた。
「いいんだよ。そんなに強い訳じゃないし。…つか、弟が働いている横で酔っぱらうなんて兄としてどうだろうと思ってな」
「…真面目だな」
カクテルを一気にあおって飲み干すと、グラスを置く。
ほんの少しの時間、無言になる。
「…秋から、色々あったじゃん」
沈黙を破る士朗の一言に、少しだけ揺さぶられる。
「…あったな、うん。色々あった」
これまで、やっとの思いでかき混ぜてグレーにしていた関係が、はっきりと白と黒に分かれるような。
そんな出来事が、ほんの二ヶ月の間に起こったのだ。
士朗にしてみれば、心当たりの無いことに巻き込まれて腑に落ちないことの連続だったに違いない。
「俺はほら、鈍いから。…色んな奴から話聞いて、予想するしか出来なかったんだけど」
拙いBGMが流れる店内で、グラス内の氷が崩れる音が聞こえる気がした。
「茶倉はデュエルが好きで、デュエルはニクスが好きで、…ニクスは、エリカが好きだった、って言うので、合ってるか?」
本当に、簡潔な関係の確認だ。
今更、改めて第三者に言われると簡潔すぎて笑ってしまう。
「あぁ。大体は」
空になったグラスを持て余し、手の中でその温度を確かめる。酷く、冷たかった。
「デュエルは知ってたのか?ニクスが、エリカのこと好きだって」
どうやら士朗は、本当に人の気持ちについては鈍さを極めているらしい。そう言えば、さっき士朗の口から出た相関図には、『エリカは士朗のことが好き』、という一番大事な矢印の行き止まりが抜けていた。
「知ってた。…つーか、あんだけ態度に出してて気付かない方が鈍いんだよ」
「はは、それ。エレキにも言われたよ。『何で気付かねーんだ、バカ』って」
士朗は一度苦笑いを浮かべると、烏龍茶を一口飲み込んだ。
「…うん、確かに俺はバカだ。でもさ、ずりーよ皆。本当狡い」
「なんで」
突然、拗ねたような口振りをする士朗に訊ねた。
「誰が誰を好きなんて、結局言わなきゃ伝わるわけないだろ。言わないまま微妙な関係とかそういうの、狡い」
「……」
本当に、真っ直ぐな正論を突きつけられる。そんなに透明で鋭いものを、俺に向けないで欲しかった。
結局のところ、俺は待っていただけだ。自分が動くことで傷つくことが嫌だから。たとえ自分が傷ついてもあくまでも被害者側として立てるように。
自分で動いたせいで傷ついた方が、ずっと気が楽だと言うのに。
士朗は、無言になった俺が何を考えているか予想がついたようだった。
また一口、烏龍茶を飲んだ。
「…俺は人の気持ちが解らない愚か者で、デュエルは傷付きたくない卑怯者で。…ニクスは、」
一つ、言葉を区切った。
「失くしたくない、臆病者」
士朗の言葉は、不思議としっくり心の何処かに当てはまった。
確かに、登場人物に何の感情も抱かない第三者から見れば、そんな風に見えるのかもしれない。
「……なんだそれ。面白いな」
「うん。冴えてるだろ?俺」
椅子を回転させ、身体をカウンター側からブース側へと向ける。フロアの端では、ニクスと茶倉が何やら会話をしている。
心臓の、ほんの小さな場所で。
俺は少しだけ、茶倉を羨ましいと思ってしまった。
「…デュエルはさ、ニクスのこと、まだ好きなのか?」
「はぁ?!」
いきなり突拍子の無い事を尋ねられ、声が裏返ってしまう。危うく、繊細そうなグラスを握り潰してしまうところだった。
「だから、まだ好きなのかって」
真面目な顔で質問されると、こちらも真面目に返答するしか無くなってしまう。
眼を伏せて、あの青い眼に射抜かれないように。
「……ノーとは、言えねぇだろうな」
例えば、腕を捕まれたら。
例えば、名前を呼ばれたら。
今の愚かな俺であれば、素直に受け入れてしまうだろう。
それが解っているから、怖い。
なんせ、生物としての法則に逆らっている感情だ。
いつかは弾ける泡のように不安定な関係に、一時の勢いで巻き込んでしまっても良いものなのだろうか。
ただ一言、後先考えずに素直に気持ちを伝えることが出来たら、どれだけ良いだろう。
「そ、か」
士朗は俺の何とも言えない返事を聞くと、椅子から立ち上がった。
「言ってくれてありがとな、デュエル」
「?…あぁ、うん」
結局、士朗が何を意図していたのかは解らないままだった。ただ今まで起こったことの整理であるならば、態々今でなくても良かっただろうに。
士朗はそのまま、ニクスの方に向かって歩いていった。まさか、と一瞬考えたが、彼がそこまで気の効く人間でないことを思い出して一人で安堵する。
空になったグラスを持て余し、次の飲み物でも取りに行こうかとぼんやり考えていると、目の前に鮮やかな色のカクテルが置かれた。
カクテルを置いた腕を眼で追うと、つい先程までビールをねだっていたユーズが座っていた。
「アタマ、元に戻ったらしいやん。そのお祝いっちゅーことで」
「そりゃどーも」
渡されたカクテルを口に含み、舌で転がす。その前後の記憶は曖昧なのだが、恐らく戸惑わせてしまったのだろう。
アルコールで動きが鈍る脳を動かして何となく話題をを探していると、ユーズの方から声を掛けてきた。
「…無理矢理識から聞いたんやけど。ニクスと色々あったらしいな」
「……まぁ。色々」
カクテルを飲み込んで頬を掻く。頭の中で、ユーズに詰め寄られている識の姿が容易に想像できる。
「難しいなぁ。恋愛っちゅーんは」
タバコを取り出して火を点けられる。香りが漂ってきて、少し落ち着かなかった。
横目でニクスの方を見ると、士朗が横に座って何か会話をしていた。本当に、彼は人当たりが上手な人間だ。
「…普通じゃないからな、特に」
投げ出すように呟くと、ユーズはタバコを灰皿に捩り付けた。それから身体を此方に向けて。
「一回やったからって、一生ホモって訳ないやろ。そんな理屈付ける前に、好きって言ってまえばええのに」
こちらが悩んでやまない部分を、ばっさりと切り落とすように結論付けられる。
「…簡単に言うけどなぁ、」
少しだけ反論をしようと口を開いた瞬間、胸ぐらを掴まれて思い切り引っ張られた。
すぐ目の前にはユーズの赤い眼があり、アルコール臭が混ざった空気が鼻から肺に入ってくる。
辛うじて、唇は触れていなかった。というか、意図してギリギリのところで寸止めしたのだろう。
「どんな男とでもこう言うこと出来るって訳やないんなら、まだまだ普通の範囲やろ」
すぐにその手から解放され、つい距離を取った。
ユーズはそんな俺を見てニヤリと意地悪く笑うと、タバコをポケットから取り出し火を付ける。
「何すんだよ、ビックリすんだろうが!」
「人のこと下らん痴話喧嘩に巻き込んだ仕返しや」
タバコの煙を吹き掛けられ、キレそうになりながら、一瞬ニクスの方を見た。見られてはいないだろうか、と考えるなんて、未練がましいにも程がある。
更に反論しようと口を開いた瞬間、世音内にセリカのアナウンスが響いた。
『はーい!ではでは、私、水城セリカ主催の忘年会ですが、悲しいことに閉会の時間がやってきてしまいました〜…』
もうそんな時間なのか、と腕時計に眼をやる。確かに、一次会が終わるにはちょうど良い時間を指していた。
セリカがホールの中央でまだ何か話しているが、恐らく二次会のことなのだろう。グラスの中身を胃の中に押し込んで空にすると、席を立つ。
「なんや、帰るんか」
「…あぁ。アイツに合わせる顔なんか、ねぇからな」
ユーズはそのまま言葉を続けることもなく、俺と同じようにビールを飲み込んだ。
「まぁ、なんかあったら相談せぇや。人生の先輩として、手取り足取り腰取り教えたるから」
ごと、とジョッキがテーブルに置かれる。なんだかんだ言って面倒見の良いユーズのことだ。
彼なりの、心配なんだろう。
「あぁ。何かあったら頼らせて貰うよ。じゃーな」
ニクスの方を見ないように、世音を後にする。大通りに出ると、同じ様に忘年会帰りの人間でごった返していた。
駅までの、通い慣れた短い道程をを歩く。
初めて日本に来てから、何度目の冬だろうか。大して寒くもないのにコートを着込むニクスが、不思議で堪らなかった。
過去を振り切るように下を向き、歩く速度を早める。駅に続く階段を後少しで昇りきると言うところで突然、腕を引っ張られた。
「…、」
少し驚いて後ろを向くと、ニクスがそこにいた。もしかして、走ってきたのだろうか。
少し息切れをしていた。
自分の感情を抑えて、言葉を吐く。
「……なんだお前、二次会出ないのか?」
ニクスは少しショックを受けたような表情をした後、帽子を取って俺を真っ直ぐ見据えてきた。
「あぁ。…それより、…やりたいことあって」
「…へぇ」
青い眼が、ネオンを反射する。
何を言うつもりなのか、この状況で解らないわけがない。
心臓が、破裂しそうだった。

「…まだ、好きなんだ。…お前、のこと」

ニクスの言葉を聴いた瞬間、ざくり、と胸にナイフを突き立てられたような気がした。もう逃げることは許されないと、頭の中で誰かが呟く。
「…まだ言ってんのか。…だから、」
「今日、お前の隣に士朗が座った時、…すげぇイヤだった!」
今まで聴いたことがないような、聴いているこっちが恥ずかしくなるような声で叫ばれる。
路上パフォーマンスに立ち止まっていた通行人の数人が、こっちを気にしていた。
「…お前の隣に居るのは、どんな時だろうが、…俺じゃなきゃ嫌なんだよ!!」
酒をたらふく呑んだのだろう、最後の方は掠れた声になっていた。
そんな情熱的な告白、相手が俺でなくたって良いじゃないか。
「…ガキみてぇ」
「……悪かったな。ガキみたいで」
「…そうじゃなくて」
「……え?」
例えば、なぜ俺が女ではなかったのか。例えば、なぜニクスを好きになってしまったのか。
長年溜め込んでいた想いが、血のように溢れてくる。
「…………ほんと、」
込み上げてくるものが、涙なのか笑いなのか解らない。
俺は本当に、バカで卑怯だ。
「…返事、は」
「………だから、今更そんなのわかりきってんだよ!」

自分の気持ちも、ニクスの気持ちも、ぐちゃぐちゃに掻き混ざって解らない。ただはっきりしていることは、俺の一言で全て片が付くと言うことだ。

「…俺は、…お前のこと、」

言わなかった。
言えなかった。
ニクスは佇んで、俺からの返答を待っていた。前にも後ろにも、もうどこにも俺の気持ちを隠せる場所はない。

「……俺だって、…っ、」

俺の言葉で、ニクスの可能性を奪うことが嫌だった。
だからせめて、被害者になろうとした。

「…………好きだよ…」

俺の腕を掴んでいるニクスの手を振り払い、襟首を掴んで引き寄せる。

ただその一言を言うだけなのに、死んでしまいそうなほど、遠回りをしてしまった。










人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -