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時間が傷を癒すというのは、正しくないと思う。
良く晴れた朝、洗面所で顔の半分を埋めたガーゼを外して痣も瘡蓋も消えた自分の顔を眺めながら、そう感じた。
外傷は跡形もなく消えたと言うのに、胸の中は相変わらず重く沈んでいて、どうしようもなかったからだ。


いい加減陰気臭いと英利に家から追い出されてしまったため、仕方なくゲーセンへとやってきた。
相変わらずの騒音は心地よくて、音を追い掛けている間は余計なことを考えなくて済む。
ベンチに座り、思いきり背凭れに寄り掛かりながら時間を潰していた。
「あ、ニクス。久し振り!」
ふと、騒音の中に清音が混ざる。
一週間以上部屋に引きこもり、特に会話をしなかったせいか、咄嗟に返すことができなかった。
すぐ後ろにはエリカが居て、いつものように可愛らしい笑みを浮かべている。
「…あぁ、久し振り」
「もー、英利さんから聞いたよ?ずっと籠ってたって。メールも返してくれないし」
言われて、上着のポケットに入りっぱなしだった携帯を開く。ろくに充電しなかったせいだろう。
画面は暗く、電源ボタンを押しても反応がなかった。
「…悪い。気づかなかった」
「そうだろうなーって思った」
俺が苦笑しても、エリカは満面の笑みで怒ることもなく傍にいる。
そしてそのまま、他愛もない世間話にシフトする。どこのラーメン屋が美味いとか、ゲームの攻略方法だとか、色気もない話題だ。
そんな話をしている間も、相変わらず鳩尾の辺りはずしりと重くて、塊が解れるような気配はなかった。
「――――でね、士朗ったらユーズに負けたからってすごい悔しがっちゃって」
エリカの口からキーワードとも言える人間の名前が溢れてくると、雰囲気の変化に気付いた。
話す仕草が可愛らしくなるし、感情も豊かになる。その一つ一つが本当に可愛らしいし、退屈しない。
ずっと一緒に居られたら、と考えた後、ふと思う。
傍にいると言うことと、手に入れたいと願うこと。
それらはイコールになるものなのか。
「もーニクスったら。ちゃんと聴いてる?」
「え、あぁ。悪い」
エリカは隣で、頬を膨らませている。どうやら考え事をしていたせいで聞き流してしまっていたらしい。
「うむ、謝ったので許しましょう」
少しだけ得意そうな、笑みを浮かべる。本当になぜそんな表情が出来るのか解らないほど、明るく爽やかなものだ。
俺にはそれが眩しくて、辛い。
「なぁエリカ」
「なーに?」
鮮やかな色の長い髪が、さらりと揺れる。手入れが行き届いている、艶やかで綺麗な髪だ。
「…いきなりさぁ、目の前に昔死にそうなくらい欲しかったものが出てきたら、どうする?」
「うーん。…いきなり難しー問題だねぇ」
エリカは俺の隣に座り、腕を組んで考え始める。俺より頭1つは低いせいか、尚更小さく感じてしまう。
「それって、今も欲しい?」
「今?」
「うん。今」
「……今」
まさか問われるとも思わなかったので、また考え込んでしまう。
暫く会話が途切れて、騒音しか耳に入らなくなってしまう。
「…私ならー、うん。私なら、だよ」
返答に迷っている俺を見かねたのだろう。
エリカは念入りに前置きをすると、彼女なりの答えを話す。
「昔、どんなにすっごい欲しくても、今何とも思ってなかったら要らないかなぁ。捨てちゃうって自分でもわかるし」
イエスかノーか。
きっぱり、はっきりとした言い方。
俺は彼女の、下手をすれば残酷とも言えるその潔さが好きだった。
ほんの少しだけ間を開けた後、彼女は続ける。
「…でも。今も欲しかったら、迷わずゲットして、絶対に離さない。大切にする、かな」
似た経験でもしたことがあるのだろうか、と思わせるほど、エリカは高らかに宣言する。
―――――俺は昔、デュエルのことが好きだった。
昔は昔だ。それでいい。
では、今はどうなのか。
改めて切り離して考えてると、頭の中が破裂したように白くなる。
答えに詰まりまた沈黙していると、エリカはベンチから立ち上がる。
それから、こちらを向いてにこりと笑った。
「…ね、それってさ。無いのと有るの。どっちが良い?」
究極的に、突き付けられる。
「…無いのと、有るの」
「そう」
この場合、ここ数日記憶を無くしていたデュエルと、記憶を取り戻したデュエルと、それらに対する俺の気持ちを方程式のように当て嵌めて行けば良いのだろう。
記憶が無くなったデュエルに拒絶された時、俺は素直に空虚さを味わった。
あの夜、明らかな『壁』を目の前にして、俺は胸の辺りが重くなった。
「…無いと、嫌だったな」
「だったら、答えは出てるじゃん」
俺はまだ、デュエルのことが好きだと言うことなのだろうか。
ただ、あの時の感情が恋愛によるものなのか、それとも只単に友人が一人減ったことによる淋しさだったのか。
その結論が出ていない。
「………サンキュ、エリカ」
しかしこれで、1つ胸の支えが無くなったような気もする。
俺も立ち上がり、休憩スペースの横にある自販機で飲み物を買う。
「礼」
「ごちそーさまです。…でもなんか、珍しいね。ニクスがそういう、何か欲しがったりするの」
「そうか?」
「そうだよ」
ウーロン茶を渡すと、エリカは満面の笑みで受け取り、封を開ける。
小さく、空気が抜ける音がした。
「だからさ、大事にしなきゃ。そういうの」
「……あぁ。本当、ありがとな、エリカ」
俺が改めて礼を言うと、エリカはキョトンと目を見開いた後。
「水くさいなー、もう。長い付き合いなんだから、そんなの良いって」
そう言って少しだけ苦笑した。
あの夜のデュエルと同じ、距離のある笑顔だ。
見慣れてしまったせいで麻痺でもしてしまったんだろうか。
同じ笑顔なのに、それほど胸が痛まなかった。




「久し振り」
『…だから、なんでお前はいつもいきなり来んだよ!』
通い慣れたマンションのフロアで、デュエルの声が響く。
休日の昼間だと言うのに、マンションの住人がエレベーターから降りてくることはない。
幽霊マンションなのではないか、と下らないことを考えた。
「…んー、何となく?みたいな。英利に叩き出されたんだよ、陰気だって」
取り敢えず、客観的な事実を口にする。
それからもう一つ。自分の気持ちを確定的にさせるためということは、伏せておいた。。
『…わかったよ。さっさと来い』
「うぃーす」
溜め息の後、インターホンが切れる音がする。エレベーターに乗り込むと、いつもの階を押した。
目的の階についてから、ドアのノブに手を掛ける。鍵は開けられていたため、なんの抵抗もなく部屋に入ることが出来た。
「入るぞー」
「おー、勝手にしろ」
出迎えが無いため、玄関先でスニーカーを脱いで勝手に侵入する。
家主は、キッチンでコーヒーと紅茶を淹れていた。
慣れた香りが漂うと、何故か酷く落ち着いている自分がいることを自覚する。
俺は大人しくソファに腰を落ち着けて、その様子を眺めていた。
それから五分もしないうちに、マグカップになみなみと注がれたコーヒーと紅茶がリビングのテーブルに置かれる。
デュエルは俺の横に座り、自分の分の紅茶に砂糖とミルクを大量に投入していた。
「何しに来たんだよ。今日は酒ねーぞ」
「…いやー。別に。理由とかはねーんだけど」
冷たく放たれているはずの言葉なのに、そうは感じない。
俺はコーヒーを口に含むと、口の中で泳がせて言葉を練った。

好きです。

違う。そんな言葉が言いたいのではない。
それでは、エリカに言われた言葉を鵜呑みにしているだけだ。
今、こうしている俺自身、サイレンの言葉を鵜呑みにしているだけかもしれないが。
「…ま、飲め。冷めねぇうちに」
「あぁ」
勧められて、コーヒーに口をつける。横にいるデュエルは音も立てずに上品に紅茶を飲んでいた。
その横顔を目に焼き付けた後、仮に隣がサイレンや英利であったなら、と脳内で想像する。
特に何とも思わない。
では逆に。
俺の位置に、他の誰かが居たとしたら。
「…………」
エレキか鉄火か茶倉か孔雀か。
それともサイレンか。
俺以外の誰かがデュエルを犯して、都合良く友人としてその傍らを占領していたら。

「…なんだ」

答えは本当に呆気ない。
『俺以外の誰かがデュエルを犯したら』、などという、前提条件自体が間違っている。
そんなことを考えた時点で、俺はすでに矛盾していた。
組み敷くような想像をしている時点で、俺はデュエルを友人として見ていない。
エリカでは考えられなかったその妄想が、今、自分のすぐ横に居る男相手に簡単に思い浮かべられる。


つまり俺は、ずっと無意識の中でデュエルのことを追っていた。


「…いきなり独り言言うなよ。びっくりすんだろ」
デュエルは、思わず俺が溢した声に反応したらしい。怪訝そうな表情を浮かべ、こちらを伺っている。
「…あー、悪い」
ソファの前に置いてある机にコーヒーを置くと、少しだけ身体をデュエルに向けた。
「ちょっとさ、こっち向けよ」
「何で」
「良いから」
デュエルは怪訝そうな表情を隠すこともなく、身体をこちらに向ける。
「目ェ瞑って」
「あ?」
「良いから」
「…イタズラしたらボコっからな」
デュエルは、エレキや鉄火に対するような態度で、俺に接している。
それは、友人として居るべきだと言った俺の言葉に対して、非常に従順な態度だ。
そして俺は、自分で言ったことすら遵守できない、馬鹿野郎だ。
デュエルは今日バンダナを巻いていない。そのせいで、酷く幼く見える。
この、バンダナを巻いていない彼の素顔を、俺の顔見知りの中でいったい何人が知っているのだろう。
出来ることなら、俺以外の誰にも見せて欲しくはないものだ。
「……」
俺が何か喋らないからだろう。デュエルも口を閉ざしているため、部屋の中に沈黙が籠る。
酷く、自分が緊張しているのがわかった。心臓が派手な音を立てているのがわかるし、喉が乾いているせいで、きっと声も掠れてしまう。
この緊張から逃れるのは簡単だ。
すべて投げ出して、諦めてしまえばいいのだから。
デュエルに悟られないようにゆっくり大きく息を吸ってから、同じくらいの時間を掛けて息を吐く。

それからやっと、声を出した。

「……なぁ。すげー今更なこと、言って良いか?」
「んー?」
次の言葉を吐き出す前に、俺は、デュエルの腕を取って引き寄せる。バランスを崩したデュエルは、ソファから転げ落ちないために嫌でも俺の服にしがみつく体勢になる。
俺はしがみついているデュエルを抱き締める。紅茶の甘い香りが、すぐ横にある。
「い、きなり…何しやがる!」
「好きなんだ」
噛み付くように見上げてくるデュエルを真正面から見据えて、言葉を吐き出す。
「…俺も、お前のこと好きなんだよ」
こんなにストレートに感情をぶつけたのは、どれくらいぶりのことだろうか。
呆気に取られたらしいデュエルは、直ぐに体勢を立て直して俺から距離をとった。
服の上からでも感じられていた体温が消えて、肌寒く感じられる。
「…………」
デュエルから、返答はない。
俺からそれ以上何かを口に出すことは憚られたため、結果無言になる。
やがて、俯いてしまったデュエルから。
絞り出すような小さな声で返答があった。

「…ふざけんな」

一言で解る、拒絶と否定の単語だ。

「ああ、本当に今更だ!誰に何言われたのか知らねぇけどな、今更ひっくり返すんじゃねぇよ!!」
胸ぐらを思い切り掴まれて、至近距離で叫ばれる。
少しだけ、泣きたくなった。
拒絶されたからではなく、自分が彼をどれだけ深く傷付けていたのか、漸く理解できたからだ。
デュエルは肩で呼吸をしながら、俺の服から手を離す。
「…二度と言うな」

いくら愚かな俺でも、解る。
取り返しはもう、出来ないのだと。

俺は乱れてしまった服を直すと、ソファから立ち上がる。デュエルは逆に、ソファに座り込んだ。
「…帰るわ。…悪かったな、振り回して」
本当に、間の悪いことしか出来ない俺は、謝ることしか出来なかった。
静かな、無言の時間の中。
逃げるように、俺は部屋から飛び出した。






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