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人というものは、自分が世間の常識から外れていると自覚した場合何通りかの行動を取る。
常識を守れない自分を殺し、正常に機能できるように努めるか、あくまで世間の常識と自分の常識は別物として、これまでと同じように行動するか。
ここまで来て、ようやく俺とデュエルが全くの正反対であることに気付く。
本当に、今さらだ。



サイレンに渡された携帯は、丁度二世代前のものだ。
米軍基地から追い出されて少し経ってから、それまで使い道がなかった金で買ったものだった。
どちらかと言えば、嫌な思い出の方が先に思い出されるのであまり視界に入れたくなかったが、わざわざ充電までして渡してくると言うことは、何かしらの意味があるんだろう。
所々塗装が禿げた部分を指で撫でながら、ぼんやりと考え込む。
時間が経過し太陽が大分高い場所に位置するようになると、体感温度が高くなる。それが少し暑く感じられたため日陰に移動し、また昔の記憶に浸る。
昼間からこうして自堕落に過ごしていると、少しずつ、自分が取り残されていくような錯覚に陥った。
―――それまで殆ど全く立ち入ったことの無いゲーセンに入り浸るようになってから、友人と呼べる人間が数人出来た。
携帯のアドレス登録を見れば、その事実がよくわかる。
連絡先を交換し、ゲームの話題で熱く盛り上がったり、夜通し耐久プレイなど無茶な遊び方をしたりと、酷く楽しい期間だったような気がする。
欲の絡まない、純粋な交遊関係。
正に、理想的な関係だったと言えるかもしれない。
しかしその関係はある日を境に、少しずつ、時間をかけて変形していく。
「………」
やり取りがそのまま残っているメールを眺めながら、一度大きく息を吸い、吐いた。
いくら過去を懐かしんでも、戻ることなどできない。
そもそも、そんな過去自体俺の脳ミソが覚えているだけで、実際はどうだったか、わからない。
今と容量が違う、保存件数の少ない受信箱に収まったメールは、一時間もしないうちに見終わった。次はどこを見ようかとボタンを押していると、一通の未送信メールが目に入った。
メモ帳のかわりにでも使ったのだろう、と考えながら、軽い気持ちで選択し中身を見る。
その中身が、現在の自分を根本から否定するものだと気づいたときには、全てが遅かった。








「…タダイマです。ニクス」
薄暗い部屋の中で、声を掛ける。
どうやら冷蔵庫からビールを取り出して、ストレス発散をしていたらしい。
陽が落ちても電灯も、テレビすら点けずにリビングでそんなことをされては、ただのホラーなのだが。
「…ニクス」
「……聞いてるって。何回も呼ぶなよ」
俺は電灯を点けると、ジャケットを脱いでニクスの横に座る。
目の前に並んでいるビール缶は四本ほど。
ザルに近いニクスにとっては朝飯前程度の量だろう。
酒を飲んでいる彼には感じないだろうが、暖房をつけていない部屋の中は大分冷えていた。
「………ケータイ、見マシたか?」
「…その喋り方やめろ。腹立つ」
「じゃあ普通に喋りましょう。そっちの方が気兼ねしませんからね」
違和感の残る発音を取り払い、『普通』の態度でニクスに接する。
来日して数年。
俺の日本語はかなりネイティブになったと思う。
「…どうでしたか?昔の自分は」
「……どうもこうもねーよ、何だよこれ」
ニクスは弱々しい声を上げながら、目の前の机に突っ伏す。フローリングに敷いてあるカーペットの上には、携帯電話が転がっている。
俺はそれを手に取ると、開いて中身を確認した。
数日前の夜、俺自身が見つけた、ニクスの行動の理由だ。

「…俺が、あいつのこと好きで…?…替わりに、エリカを…?」

数年前、と言っても良いのか微妙な過去。
ニクスはデュエルのことが好きだった。
理由は特に無いらしい。
むしろ、人を愛することに理由などあるのか。俺にはよく判断がつかない。
そう言えば、と過去を思い返してみる。
あの頃、ニクスはしょっちゅうデュエルに喧嘩を吹っ掛けたり、かと思うと距離を取ったりと。
『好意を抱いている』という前提の元に思い返してみると、確かに小学生の恋愛に近い行動が多かったかもしれない。
だがしかし、やはり目の前には『同性である』という、神様でなければ乗り越えられないような大きな壁があった。
まだ成人したばかりの、若かったニクスにとっては、かなりの苦しみだったのかもしれない。
そしてそんな中、当時の彼がとった行動は、あまりにも報われないほど単純だった。
「…今さら、んなこと言われたって知るかよ!!俺には関係ねぇ!!」

つまりのところ、デュエルを手に入れると自分が世界の常識から外れてしまうため、手に入れることができないから。
手近にいる女性で、似た人を見繕ったと言うわけだ。

派手な音を立てて拳が机に打ち付けられたため、その振動でアルミ缶が床に落ちる。
俺は何故か、酷く心の中が落ち着いていた。小さな音を立てて携帯電話を閉じると、またカーペットの上に転がせた。
別に友人が同性愛に走ろうが、犯罪ではないのだから自由だと思う。
多分俺は、普段醒めた顔をして何も欲しがらないニクスがこれだけ表情を乱すのを見て、安堵しているのだ。

「…ねぇ、ニクス」
「…………なんだよ…」
「そんなに否定ばっかりしていたら、いつか空っぽになっちゃいますよ」

いつからか、ふと危惧するようになった。
ニクスはよく、否定をする。
彼自身のことを決める時でさえかなり投げ遣りで、更に人の意見に全てを委ねようとする。
別に否定することは悪いことではない。自分にとって受け入れられないものを否定するのは、『自分』を守るために必要なことだ。
しかし、だ。
自分の周りにあるもの全てを否定して、投げ遣りになった時。
中心に残るのは、何もない空洞だ。
色んなものに影響されたりしたりするからこそ、『自分』と言うものは出来上がる。
「…知った風な口きいてんじゃねーぞ、サイレン」
すぐ横から聞こえてくる声には、尋常ではない怒気が含まれている。
しかし特に、恐怖とも感じない。
「知った風もなにも。あなたと私は同居して何年経ってますか?少なくとも、この国ではあなたのご両親の次に、色々知ってると思うんですが」
敢えて、茶化すように返答する。
ニクスは思い当たる節でもあるのか、返事もしなくなってしまう。
無言になった相手に畳み掛けるように、次々と発言する。
自分で喋っておきながら、やたら説教じみていると感じた。
「私は、デュエルのことを好きになれって言ってる訳じゃないんですよ」
デュエルを求めてエリカを見つけたのに、エリカが手に入らないからデュエルを傷付けた。
これでは、本末転倒だ。
もし、今現在のニクスがエリカのことを好きだったとしても。
それは過去のニクスが『デュエルの代用』として見つけたものだ。
それでは、エリカ自身にも失礼だと思う。
「私は、あなたがきちんと思い出して、自覚した上で、どっちが本当なのか決めるべきだと思うんです」
そんなに長い時間話しているつもりはないのに、指先が冷えていた。
もしかしたら、緊張でもしているのかもしれない。
同居して数年、こうやって腹を割って話し合うことなど数回もあっただろうか。
フローリングに転がったビール缶を拾うと、立ち上がる。
「…晩御飯、作りましょうか」
ニクスは俺を見上げてくる。アルコールが大分回ったためか、耳まで赤くなっている。
その目は、明らかに俺に背中を押すように求めているように見えた。
「…私にとって、皆大切な友人です。勿論、あなたも。だから、自分で決めて、後悔しない道を選んでください」
背中を押すことは簡単だ。
こういう理由だからエリカを選べ、と、数年前ニクスが出した結論を辿れば良い。
しかしそれは、根本的な解決にはならない。
「それが、あなたより少しだけ長く生きてる、私からのアドバイスです」
テーブルの上の空き缶を抱えて、キッチンまで歩く。ニクスは無言のまま、机に突っ伏してしまった。
しかしこれ以上、俺から何か口を出すことは恐らく許されない。
空き缶をごみ袋に突っ込むと、冷蔵庫を開けて中身を確認する。
英利が昨夜作った料理が、タッパーに入れられて保管されていた。
時刻は夜の九時を回ったところだ。
今夜は冷えるため、あと一品程度何か暖かいものを作ろうと思い、固形コンソメを棚から取り出し、湯を沸かした。





夜も更け雨が降ると、気温が更に低く感じられた。軒下で傘を閉じると、引き戸を開けて店の中に入った。
「よぉ、おやっさん。久し振り!」
「おー、デュエっさんじゃねーか!」
柔らかい色の照明の下、鉄火の父親がカウンターの向こう側で寿司を握っている。
開店したばかりなのだろう。
客は、俺一人だけだった。
「久しぶりも何も、この前来たばっかじゃねーかよ」
屈託なく笑う表情は、彼の息子と瓜二つだ。傘を立ててカウンターの椅子に座り、周りを見渡す。
いつもなら直ぐに出てくるはずの茶倉が、今日は居なかった。
「そうだっけ?忘れたよ、んな昔のこと。宵越しの金は持たねぇ主義なんでな」
「言うねぇ」
「ところで、今日は別嬪さんが居ねーみたいだけど」
湯呑みに注がれた日本茶を少しずつ啜りながら、訊ねる。
どうやら、昨日から茶倉は具合が悪いらしく店に出てきていないらしい。
「まーせっかく来てくれたんだ。逢ってくかい?鉄は寝てっから、でかい声出さなきゃ大丈夫だぜ」
「おやっさん、そんなことしたら俺ぁお天道様の下歩けなくなっちまうよ」
「ははは、違ぇねぇ」
暫く談笑しながら、寿司を口に運ぶ。そこそこ腹が膨れたところで茶を飲み干すと、以前教えられた従業員通用口から奥の住宅に入る。古い日本家屋だからだろう。階段の角度は急で、気を抜くと転んでしまいそうだった。
階段を上がってすぐ、廊下を挟んで両側に襖がある。
向かって左側が鉄火の部屋で、右側が茶倉の部屋だ。ドアならノックすれば済む話なのに、襖では入る前にどう断れば良いのか解らない。
「茶倉、入るぞ」
声を掛け、返事を聞く前に襖を開ける。ちょうど布団から体を起こそうとしていたらしい茶倉と、眼があった。
「…な、何しに来たんだい?!入るなら入るって言いなよ!」
「いや、言ったよ」
今の茶倉は、黒髪をトレードマークのポニーテールではなく、簡単にサイドで結っていた。
襖を閉めると、どか、と布団の横に腰を落とし、バンダナを外す。
茶倉は部屋の電灯を点けると、布団の上に正座した。
静かな部屋の中で正面から向かい合うと、俺から切り出した。
「…何か、色々心配かけたろ。ありがとな」
「…え」
茶倉は短く声を上げると、心配そうな、泣きそうな顔をした。
その気持ちがよくわかるものだから、胸がキリキリと痛む。
「………思い出したのかい?」
「…色々あってな」
また犯されかけました、なんて口が裂けても言えるわけがない。
「…それから、」
一度、大きく息を吸う。
大切な言葉なので、発する前に気を引き締めた。
「ごめん」
たった一言なのに、酷く勇気のいる言葉だった。
茶倉は俺がそれ以上何も言わなくても、解ってくれたようだった。俯いて、膝の上で固く拳を握っている。
「…何で、あんな奴のこと…!」
泣きそうな程声が震えていたのに、茶倉の眼からは涙は出ない。
泣いたらきっと俺の負担になるだろうと思って、泣かないのだろう。
健気な女性だと、思う。
「……何でだろうな。わかんねぇや」
多分、ニクスより先に茶倉と出逢っていたのなら。俺は間違いなく茶倉を選んでいただろう。
自分で解りきっているものだから、苦笑してしまう。
何が決定打なのかは解らない。
ただ確実なのは、ニクスが抜けた穴を茶倉で満たすようなことは出来ないと言うことだ。
「…ありがとな、茶倉」
茶倉の気持ちに、俺は応えられない。
せめてもの感謝の気持ちを呟くと、その後続いた茶倉の小さな強がりを笑顔で聞いた。
雨は相変わらず止まずに降り続けている。
気温はどんどん下がり続けて、身体の末端から冷えていく。
人の体温が恋しくて、堪らなかった。


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