10/29 A


 
 
 
触るな。(触れて欲しい)
来るな。(来て欲しい)
見るな。(見て欲しい)
呼ぶな。(呼んで欲しい)


傍に居たい。
(これ以上は、近付けない)

代替品でもいいから、欲しかった。


「…、   」
物理的な刺激で、機械的に身体の熱が高まった頃になって。
消えそうなほど小さな音量で、謝罪の言葉が聴こえてきた。
「…あ?」
気づけば先程まで腕に篭っていた力は抜けていて、試しに俺が手を離すと赤く痕が残ってしまった。
少し身体を離して、馬乗りの状態になる。こめかみから頬に汗が伝っていくのが、少し気持ち悪い。

今デュエルが呟いた言葉の真意を諮ることが、できない。
「…………ごめん、ニクス」
もう一度、先程と同じ言葉が漏れてくる。電気製品の微かな音すら聞こえてきそうな静かな部屋の中で、やたらとよく通っていた。
ゆっくりとした動きで、デュエルは腕を動かす。
「…何言ってんだ、今更」
自分でも不思議に思うほど、感情が籠っていない声が出せた。感情は付いてきていないのに、きちんと準備ができている自分の下半身に嫌気が差す。
デュエルは相変わらず緩慢な動きで体を動かし、上体を起こした。
合成皮革製の生地が貼り付く微かな音さえ、耳に残る。
広い広い部屋の中で、これだけ近い距離で。
久し振りに聞く声で名前を呼ばれて、少し思考が止まってしまった。
青い眼が、以前と変わらずに此方を伺うように見つめてくる。
デュエルは俺が乱した服を直そうともせずに、そのままじっとこちらを見つめた後、俯いた。


「……好きだったんだ。…お前のこと」


蚊の鳴くような声でその言葉を呟かれた瞬間、訳がわからなくなった。
「…好き、…って」
混乱しすぎて回らなくなり始めている脳を酷使して、問い掛ける。
デュエルは俯いたまま、苦しそうな声で自分の心情を吐露し続ける。
「…お前が、エリカのこと好きって言うのは、知ってた、から…」

一度、言葉が詰まる。

「…ずっと、あのまま、…ゲーセン仲間ぐらいで…良かったのに…」


―――――間違いない。
今のデュエルは、完全に俺に関しての記憶を取り戻している。
俺はこの事態を喜べば良いのか、それとも他の対応をするべきなのか、解らない。
そうやって俺の脳が混乱を続けるその中でも、少しずつ嗚咽が混ざりながら吐き出される言葉は、聞いているこちら側に酷くダメージを与えてくる。

「…あの時、俺は……殴ってでも、…お前のこと止めなきゃいけなかったんだ…」

つまりは。

一時的に俺の記憶のみ無くなってしまったのは。
俺に犯されたと言うショックから来たものではなく、俺に抵抗もせずに犯されたことに対する自責の念から来たものだったと言うことだ。
そして俺がデュエルを犯したと言うことも、紛れもない事実のようだった。
デュエルは全く俺を責めない。
これならば逆に、思い切り罵られた方が楽だったように思う。
「……顔、…」
「……ぁ?」
「…その傷、茶倉がやったんだろ?…ごめんな」
どうやら今のデュエルには、俺の顔の傷がなぜ出来上がったのか説明せずとも理解できるようだった。
俺には解らないが、二人の間で何かしらのやり取りがあったのかも知れない。
俺は、特に何の反論も出来ずにデュエルの上から降りると、カーペットの上に座り込んだ。
無言の部屋の中で、どうやら服を直しているのだろう。少しだけ物音がした。
俺は、何も出来ない。
デュエルに想いを告げられたとしても、俺も相手も男同士なわけで。
仮に友人でなかったら、知り合って短い期間であったなら、迷うことなく拒絶して関係を断って距離を置くことも出来ただろう。
しかしこれだけ長い期間近い距離に居て、共通の知人も多く、行動範囲も重なっていては、距離を置くことなど出来るわけもない。
悶々とした中で感情を整理しようと煙草をくわえようとした瞬間、顔がひきつるように痛み出す。
胸の中は気持ち悪いし、顔面は思わず涙が溢れてきそうなほど酷く痛い。
傷を押さえて苦い顔をしていると、デュエルはソファから降りてキッチンへと消えていく。
「…………?」
すぐにデュエルは戻ってきて、その手には氷の入ったビニール袋があった。
「冷やせよ。…痛いだろ」
「……まーな。サンキュ」
氷を受け取ると、顔の上に乗せる。冷たさのせいで痛みが少しだけ収まって、気持ち良かった。
そしてまた、沈黙。
デュエルは俺が好きだと言った。
ならば俺は、それに対して返答しなければならないだろう。煙草をパンツのポケットに押し込んでから、眼だけでデュエルの方を窺う。目の周りが赤くなっていて、それでいて心配そうに俺の傷辺りを眺めていた。
俺がデュエルを見ていて、デュエルが俺を見ているのに目線がぶつからないのは、つまりは見ている場所が違うからだ。
俺は目線を戻すと、一度深呼吸をした。
「…今まで通りで居ようぜ。…前みたいに、ゲーセンで遊んで、飯食いに行って」
呟いてからもう一度デュエルの方を見ると、泣きそうな顔をしていた。
「…良いのかよ。油断してるときに襲うかもしれねーぜ?」
明らかに震える声でそんなことを言われたところで、『友人』として放って置けるわけがないだろう。
精一杯の強がりなのだろうと受け取って、此方からも返してみる。
「るっせーな。…お前が居ねーと茶倉もヒゲもエレキも一々うるせーんだよ。脳ミソ戻ったってんなら、俺の代わりに事情説明してきやがれ、バーカ」
俺の発言に苦笑すると、短く、「それもそうだな」と返事があった。
その笑った顔を見て、久し振りに安堵できたような気がした。






気付けば時計は深夜2時近くを指していた。流石に今の時間から公共交通機関を使って帰ると言う気分にはなれなかったが、かといってタクシーを拾って帰るなどと言うことも、俺の財布が許してくれない。
「泊まってくか?貧乏人」
俺の心内を読んだかのように絶好のタイミングで、デュエルが声を掛けてくる。
「すっげー腹立つけど甘えさせていただきます、旦那様」
氷を顔から離して、絆創膏の上から感触を確かめる。時間が少し経過するだけで、また熱が込もって疼き出す。
いい加減絆創膏も取り替えて、士朗に忠告された通り、きちんと医者に行った方が良いのかもしれない。
「あ、ついでに湿布とかテープとかくんねぇ?」
「…お前な、ここはホテルじゃねーんだぞ」
呆れたような口振りで反論されるが、今の俺には慣れたものだ。デュエルは素直に救急箱を持ってきて、少し距離を取って俺の横に座る。
服で隠れるかどうか、ぎりぎりの部分にさっき俺が残した内出血があった。
少し気まずくなって、目線を逸らす。
「ほら、取り替えてやるから上向けよ」
「おー、サンキュ」

デュエルはあくまでも、今まで通りの友人として接してくれている。
俺がさっき、提案した通りにだ。

デュエルの記憶は元に戻った。

取り敢えずの仲直りもできた。

あるべき形に落ち着いたのだから、全ては解決したのだ。

そして俺は、そのまま一晩デュエルの家で休むことにした。












「お帰りなさいデース、ニクス」
翌朝、自宅と言うには少し釣り合わない場所のドアを開けると、家主が不機嫌そうな笑顔で迎えに出てきた。
「…なんだ、早起きだな」
時刻は朝の七時を回った頃だ。
四時間ほど仮眠し、デュエルが甲斐甲斐しく用意してくれたトーストとコーヒーを胃に入れてからの帰宅のため、珍しく眠気はない。
そんな俺とは対照的に、家主であるサイレンは目の下に隈を作っていた。どうやら、あまり眠っていないらしい。
「…ドコ行ってたんですか?」
「デュエルんち」
別に隠す必要もないだろうと考えて、正直に話す。俺がその名前を出したことに、少なからず反応はあった。
「ニクス」
「別にケンカしてきたわけじゃねーよ。あ、あと、アイツ記憶戻ったらしいぜ。これで元通りだ。めでたしめでたし」
何か言い掛けていたサイレンを遮り、事実と結果を口にする。すると、また少し、反応があった。
「デュエル、戻ったんデスか」
「そうデスよ。嘘だと思うんなら確かめてみろよ」
スニーカーを脱ぎ、サイレンの横を通ってリビングに向かう。
英利のスニーカーはもう無かったため、もうバイトにでも行ったのだろうと結論を出す。
外は晴れていたとは言え、もう既に秋はかなり深まっていて気温は低い。一刻も早く暖まりたいのが、心理だ。
帽子とジャケットを脱いで適当に置くと、陽当たりの良い窓際にクッションを置いて横になる。
サイレンは少し遅れてリビングに戻ってくると、意味のわからない質問を投げ掛けて来た。

「        ?」

サイレンが言っていることが今の俺には理解出来ないため、上手く聞き取ることができなかった。

「……何言ってんだ?サイレン」

素直に返事をすると、それに対する返答もないまま何か小さな塊を投げてきた。
寝転んだままの体勢でキャッチすると、その塊が昔俺が使っていた携帯電話であったことに気付く。
試しに開くと、ご丁寧に充電がされていて、新しい携帯に移動しなかったデータも全て残っていた。
旧式の携帯電話と言うものは、意外と頑丈であるらしい。
「なんだよコレ」
素直に、疑問に思ったことを訊ねると。
「今晩、英利は峠を攻めに行くらしいので」
サイレンは俺の問いにそぐわない返答を返してきた。
その顔は、少し陰っているように見える。
「二人で、昔話でもしましょうか」

貼り付いた、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべながら出た言葉は。
酷く、流暢な日本語だった。






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