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あの日から10日ほどしか経っていないのに、随分と長い間訪ねていないような錯覚に陥る。
夜半過ぎ、人の居ない住宅街に、俺の足音だけが響いていた。
意外なほど足取りは軽かった。
単純な話として、殴られた腹いせに一発殴ってやろうと思ったのだ。
脳は冷えきっていると言うのに、傷ばかりが熱を持って酷く疼く。
その熱が高くなればなるほど、痛みも強くなり、神経を障る。眠ることもできずに悶々としていた中、ふと思い至った。
俺がデュエルを犯したと仮定して。
デュエルは顔見知りであった俺に犯されたことがショックだったのだろう。
ということはつまり、事故だったのだ。
きちんと謝って、そのついでに一発殴りでもすればすべて解決するだろう。尻を掘られた男がどのようにすれば許してくれるのかわからないが、謝らないよりはずっと良いだろう。
空気は以前よりずっと冷えていて、少し息を吐くだけで白く濁った。
ほぼ終電といっても過言ではない時間の電車に乗り込むと、真っ直ぐに目的地へと向かう。
予想していた時間よりも早くマンションに到着したところで、デュエルに訪ねる旨の連絡を入れていないことに気がついた。少し手遅れかもしれないが、連絡しないよりはずっとマシだろうと思い、携帯電話を開く。
発信履歴から辿って掛けてみたのだが、間の悪いことに通話中だった。
小さく舌打ちをして電源ボタンを押すと、携帯電話をジーンズのポケットに押し込んだ。
最悪、ロビーに設置されているインターホンで連絡すれば良いだろうと思い、そのまま自動ドアを潜りロビーへと足を運んだ。
少しだけ暖房が入っていたらしく、ふわりと生温い風が俺のすぐ近くを掠めていった。
暗い場所を歩いてきた今の俺にとって照明は眩しく、つい目を細める。設置されている時計は以前と変わらず、ただ静かに時を刻んでいる。
一人ぼっちで留守番をしているインターホン付きのテンキーが設置されている台で、以前教えられた番号を打ち込む。
ほんの少しの間があった後、機械のフィルターを通した彼の声がロビーに響いた。
『…はい』
気のせいかもしれないが、久しぶりに聞いたデュエルの声は少し低いように感じられた。
「あー、っと。俺。ニクス」
『…あぁ。何か用か?』
あくまでも事務的な対応で淡々と用件を尋ねられる。その温度差に、これなら以前のように憎まれ口を叩かれた方がマシだと思えた。
「…まーちょっと、何つーか。…俺、お前に言わなきゃなんねーことがあってよ」
インターホンの前でのやり取りが酷く空しく感じられる。自分でも歯切れの悪い話し方をしていると思ったが、まさかこんな場所であのような内容を話すわけにも行かないだろう。
「…顔見て話してーんだけど。…入っていいか?」
俺の問いの後、数秒インターホンの向こうで沈黙があった。
『わかった。入れよ』
返答は短いもので、直ぐにインターホンの受話器が向こうで置かれたのが聞こえた。
すぐ横に設置されているエレベーターに乗り込んだ際、清掃が行き届いているこのマンションに珍しく、床に枯れ葉が落ちていた。
何となく腹が立って、エレベーターから降りる際にわざと踏みつけた。
そしてドアの前に立つ。
直ぐ横にも設置されているインターホンを鳴らすと、デュエルがドアを開けて出てきた。
簡単なインナーとジャージ。
もしかしたら、眠る直前だったのかも知れない。
「…他人ってわけじゃねーんだからよ、一回で良いって」
苦笑を浮かべたデュエルの表情を見て、少しだけ気管支の辺りが重くなった。
今までとは確実に違う、距離を感じさせられる反応。
「ま、入れよ。大層なもんは出せねぇけどな」
デュエルに導かれるままに、部屋の中に入る。
暖房の温い風がまとわりついて気分が悪かったため、帽子とジャケットは脱ぐことにした。
当の家主はさっさと台所へと入ってしまい、器用な手つきで紅茶の準備をしているようだった。
俺はコーヒー派だと、以前散々口論になったと言うのに、だ。
「…いてぇ」
空気の冷たさで少しは抑えられていた顔の傷が、暖められたことでまた痛み出す。
リビングのソファに座り、顔の傷を押さえて暫く待っていると、デュエルが戻ってきた。両手には、なみなみとミルクティーが注がれたマグカップを持っている。
「飲めよ。自信作だぜ?」
「あぁ」
知ってるよ、と言ってやりたかった。
マグカップを受け取り、口に含む。相変わらず、砂糖が入りすぎている味がした。
「あれ?どうしたんだよ、その顔」
「あー、…これか」
話そうとしたときに、先に尋ねられてしまう。この傷を負った経緯というのは、これから俺が話そうとしている内容のどの位置にあたるのだろうか。
少し考えたが、同じ事柄を順番を前後させて話したとしても、答えは変わらないだろう。
掛け算の数式と同じだ。
そう考えて、簡単に事実だけを話す。
「茶倉にやられたんだよ。…理由はよくわかんねーけど」
「…え?」
俺がその名前を出した瞬間に、デュエルの表情が明らかに曇るのがわかった。
隣に腰を落ち着けようとしていたのに、座ることもなくそのまま立ち上がり俺のブラウスの襟首を掴み上げる。
咄嗟に、紅茶を溢さないように机の上にマグカップを置くのが大変だった。
「…ふざけんなよ。茶倉が大した理由もねぇのに暴力ふるうわけねーだろ」
先程まで穏やかだった青い眼は、敵意で満ちた色に変わっている。
「…言え!お前、茶倉に何しやがった!」

――――だからどうして。
こうも全て、擦れ違ってしまうのか。







目を覚ますと、外はもう暗くなっていた。夜景のせいで真っ暗と言うわけではないが、一目で夜だと認識するには十分な暗さだった。
ソファの上で眠ったため、全身が痛む。
今度からは、億劫でも必ず布団かベッドで眠ろうと考えていると、昼間にはなかった毛布の存在に気が付いた。
もしかしたら、誰かがやって来たのかもしれない。首をかしげながら携帯電話で時間を確認すると、既に日付が変わる寸前になっていた。
変な時間に眠ってしまった、と溜め息を吐いた後、着信履歴に気が付いた。
着信の時間は、午後三時頃。
その後メールも無かったため、こちらから折り返す必要があるのか少し悩む。
それに、今は深夜だ。
もしかしたら眠っているかもしれない。
そうやって少しばかり悩んだ後、俺は茶倉に電話を掛けた。
ダイヤル音の後、コール音が鼓膜に響いてくる。3コール目ほどで、声が聞こえてきた。
『…もしもし』
少しだけ、低い声。
「あ、俺。デュエルだけど。…悪いな、もしかして寝てたか?」
尋ねると、茶倉はそれを否定した。
眠っていたせいで電話に出られなかったことを謝罪してから用件を尋ねたが、茶倉は短く、「もう終わったから、大丈夫」と、消え入りそうな声で呟いた。
あまりにも普段と違い、弱々しい声だったものだから、何かがあったのだと明らかに解っても、それ以上を尋ねることが出来なかった。
通話を切って暫くすると、今度は来客を知らせるチャイムが鳴り響く。
まだ眠気から覚めきらない頭を叩くと、インターホンで相手を確認した。
見覚えがある。
俺が忘れてしまっている、『ゲーセン仲間』のニクスと言う男だった。
居留守を使おうかと一瞬悩んでから、この寒空に態々訪ねてくれたのだから、と思い直してインターホンで応答する。
顔を見たい、と男に言われても大して嬉しくはないのだが、一先ず家に上げることにした。
エレベーターがこの階に着くまでには、少しばかり時間が掛かる。
俺はニクスが着くまで、なぜ茶倉があんなにも気を落としていたのか、ということを考えていた。
一通り考えてもやはり答えは出ない。
そうこうしているうちにまたチャイムが鳴って、俺は玄関のドアを開けた。目の前にはニクスが、少しだけ驚いた表情を浮かべている。
「…他人ってわけじゃねーんだからよ、一回で良いって」
取り敢えずの愛想笑いを浮かべると、招き入れてリビングに入らせた。
暖かい飲み物でも飲ませて、さっさと話を聞いて帰らせようと思ったので、ミルクティを作る。
ニクスはどうやらこの家の間取りを知っているらしく、慣れた様子でソファに座っていた。
「飲めよ。自信作だぜ」
「あぁ」
ニクスはマグカップを手に取ると、少しだけ口をつける。
俺も一口飲み込んでから適当に会話をする。ふと、顔の半分近くが絆創膏で覆われていることに気が付いた。
普通、他の顔見知りなら真っ先に気づくレベルなのだが。少し反応が遅れてしまった。
俺は特に何も考えずに、その原因を訊ねてみた。
「茶倉にやられたんだよ。…理由はよくわかんねーけど」
ニクスは少しだけ痛そうな表情を浮かべた後、傷を指差した。
「…え?」
正直俺は、そんな仕草よりもその口から茶倉の名前が出たことが衝撃的過ぎた。
俺の知らないところで、二人に接点がある。別に、同じゲーセンをホームとしているのであれば、顔見知りくらいの接点は当たり前にあるだろう。
しかし。
茶倉が暴力に訴えるほどの接点があるとは、到底思えなかった。
ならば何があったのか。
俺が眠っていて、茶倉と連絡が取れなかったほんの数時間の間に、何が起こったのか。
一番考えたくないのが、男女関係の縺れだ。乱暴にマグカップをテーブルに置くと、ニクスに詰め寄って胸ぐらを掴み上げる。
「…ふざけんなよ。茶倉が大した理由もねぇのに暴力ふるうわけねーだろ」
ニクスは驚いたような表情を浮かべ、目を見開いている。
「…言え!お前、茶倉に何しやがった!」
茶倉は俺の、大切な人だ。
それを傷付けたと言うのであれば、例え過去に顔見知りで、俺が忘れているだけであったとしても、目の前にいる人間は敵以外の何者でもない。
ニクスは暫く黙って、それから可笑しそうに俺の顔を見た。
「…ほんと。何だよお前ら。…俺の顔見ちゃー、お前が全部悪いってか?」
口の片方だけを吊り上げて、見上げられている筈なのに、見下されているような感覚になる。
ニクスは、胸ぐらを掴み上げる俺の手首を握る。
冷たい手だ、と思った瞬間、骨が軋むような感覚が走った。
「ッ!」
「謝ろうと思ったけど、やっぱ止めるわ」
思わずシャツから手を離すが、手首の圧迫は終わらない。
「…よく考えたらよ、殴られ損だしな。俺」
手首の痛みが酷くて、ニクスが何を言ってるのか理解できない。
距離を取ろうと考え、手を放させようとすると、もう片方の手首も掴まれる。
意味が解らない。
なぜ深夜に、こんな状況に陥らなければならないのか。
「やっただけで俺のこと忘れるっつーんなら、もっかいやったら戻るんじゃねーの?お前の頭」
「あ?」
ニクスが呟いた言葉に、耳を疑う。
明らかに、俺をソファに倒れ込ませようと腕に力を込めている。
やった、とは何のことなのか。
その一瞬、気を抜いたせいで力比べに負けてしまいソファに倒れ込んだ。
肘掛けに後頭部を打ったせいで、鈍く痛みが走る。

「お前が俺のこと忘れてんの、俺がお前のこと犯したからだって茶倉が言ってたぜ。責任取って協力してやるよ」

ニクスの表情が、照明を背負っているせいで逆光になり、伺うことが出来ない。
今、俺自身について大事なことを吐き捨てられたのに、どう対応すれば良いのか解らない。
今目の前にいる人間の記憶を失う前の俺は一体、何を思っていたのだろうか。
「…ざけんな!」
精一杯力を込めて抵抗し、金的を蹴り上げてやろうとしても、直ぐに股を割られてしまった。
「俺が言いてぇよ」
ニクスは俺の腕を上げさせると、肘掛けの辺りで片手に持ち変えた。
ぎりぎりまで腕の筋を伸ばされたせいで、二の腕がきりきりと痛む。
「ま、病気は持ってねーから。大人しくしてろよ?デュエル」
勝ち誇ったような表情を浮かべて、覆い被さってくる。
服の中に差し込まれた手が、氷のように冷たく感じられて。


此れが夢であるのなら、早く覚めて欲しいと願った。





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