10/28 C


 
 
 
 
 
 
 
 
 
ネオン管が照らすせいで大して暗くもない夜道を、一人で歩く。
何も見たくはないし、聴きたくもなかった。周りから与えられる情報全てがノイズのように感じるため、ヘッドホンを耳に当て音量を上げる。
帽子を深く被り直して少し俯き加減に歩くと、視界から無理矢理入ってくる情報が減り少しだけ落ち着いた。
時々服の隙間に入り込んでくる冷たい空気だけが、ここが現実であることを認識させてくれる。
俺の足はただの惰性で動き、帰途を辿る。何度も乗った地下鉄に乗り、何度も降りた駅で降りる。
改札を通り、またいつもどおりの道を歩いてアパートの前に着いた。

頭が全く以て、働かない。

茶倉に、俺のエリカに対する感情が知られてしまったこと。
俺が本当にデュエルを犯したのかということ。
何が本当で、何が嘘なのか。
全てが真実なのか。
これらの感情を整理するにどれぐらい時間が掛かるのか。俺には見当もつかなかった。
全てが悪夢のようで、目を背けたくなるような事柄ばかりだった。
灯りが数ヶ所点っているアパートを見上げた後ふと、共用駐車場を見ると、修理から戻ったばかりのハーレーが鎮座していた。それを見て、英利が帰宅していることを認識する。
人が良い英利のことだから、恐らくは俺の顔の傷を見て理由を聞いて、心配の1つでもするだろう。
しかし今の俺にとってみれば、そんな気遣いは邪魔以外の何物でもなかった。
無難な返答を考えて若干憂鬱になりながら、アパートの階段を昇る。夏より減ったものの、相変わらず電灯には虫が集っていて、死骸が幾つも散らばっていた。
邪魔だ、と考えながらドアレバーを引いてすぐ、玄関先にいた英利と目が合った。
どうやら掃除でもしていたらしい。簡単なトレーナーとジーンズを着ていて、手にはゴミ袋を持っていた。
「…よ、ただい」
「なんだお前その顔!」
俺が声を掛け終わる前に、英利の声で完璧に遮られてしまった。派手な音を立ててゴミ袋が床に落ち、大股で近づいてくる。
一々説明することも億劫だったため、適当に誤魔化そうと帽子を脱いで嘘を吐く。
「転んだ」
「転んだってお前…」
英利とは予想通り、信じられないと言ったような表情を浮かべている。別に信じてもらう必要もないため、俺はその英利の態度を黙殺して靴を脱いで自分の部屋に入る。
ジャケットを適当に脱ぎ捨てると、使い慣れた簡易ベッドに腰を下ろした。少し体重を掛けただけで音を立てて軋む安いベッドだが、使い慣れているというだけで親近感が持てた。
カーテンを閉めきっているため街灯の灯りすら全く入ってこず、多少のモーター音がなければ完璧に無音の闇だっただろう。
傷を負った部分は相変わらず酷い熱を持っていて、煩いほど自己主張を続けている。
思わず体を捩り、傷の部分が圧迫を受けないように体勢を変えた。
士朗が言った通り、恐らく、明日には酷く腫れるのだろう。
しかし、明日の俺自身のことなんて、今現在の俺にとってはなんの関係もない。
俺はそのまま身体から力を抜くと、意識を失った。





「タダイマです、英利」
「あ、お帰りッス」
ニクスの帰宅から二時間ほど後にサイレンが帰ってきた。外は冷え込んでいるらしく、少しだけ耳が赤かった。
俺の格好を見て少し驚いた後、納得したように声が上がる。
「オゥ、掃除ですか」
「明日有害ゴミの日らしくて。電池とか蛍光灯とかあります?」
「丁度溜まってて、困ってたところデス」
サイレンは笑うと薄いコートを脱ぎ、ゴミが溜められている場所まで俺を案内する。住み着いてそこそこ時間が経っているとはいえ、まだ解らないことは多い。
買い置きの洗剤や簡単な工具が置いてあるスペースの一角に纏められていた有害ゴミををゴミ袋に放り込むと、その更に奥まった棚の隙間に埃を被った何かがあった。
俺が何かに気づいたことにサイレンも気づいたらしく、頭上から声を掛けられる。
「何かありまシタか?」
「なんか、…なんだ、これ」
その、何だか判らないものを、手を伸ばして拾い上げる。
手に取ってみて判ったが、どうやら携帯電話のようだった。
手で埃を拭ってみると、携帯電話会社のロゴが出てくる。
俺の掌に収まっている、少し古びたデザインの携帯電話を見たサイレンは少しだけ懐かしそうな表情を浮かべた。
「あぁ、ニクスのケータイデスね、これ」
「そーなんすか」
試しに開いて電源ボタンを押してみるが、やはり電源は入らない。
しかしいくら昔の携帯だからと言って、勝手に捨てていいとは限らない。ここは一旦本人に確認して、必要でなければリサイクルに出すべきだろう。
資源の少ない日本にとって、レアメタルが含まれた携帯電話は貴重な資源だ、とテレビで以前特集されていたように思う。
「そう言えば、ニクスは?」
ふと、気付いたように声をあげたサイレンは、首を回してあたりを確認する。ニクスのあの状態を素直に伝えるべきか少し悩んだが、黙っていたところであの顔を見たらきっと俺と同じ反応をするに違いない。
「…なんか誰かと喧嘩したみてーなんすよ。顔にでっけー絆創膏貼って帰ってきて。んで、すぐに部屋ん中入って、それっきり」
素直に言うと、少し不思議そうな顔をしながら髭を触る。あのニクスがそれだけ感情を露にして喧嘩をするなど、珍しいとでも言いたそうな反応だった。
「…まぁ、おナカが空いたら出てくるデショウ。取り敢えず、晩御飯にしまショウか」
「そっすね」
携帯電話をジーンズのポケットに仕舞おうとすると、目の前に大きな掌が見えた。
「ワタシからニクスに返しておきマスね。明日、英利は朝ハヤイでしょう」
にこやかにそんなことを言われるものだから、仕舞いかけたものを素直に渡してしまった。
サイレンは携帯電話をスーツのポケットに仕舞うと、そのまま台所へと静かに歩いて行く。
俺はその後ろ姿を見送ると、取り敢えずこれから作られるであろう夕飯のために手を洗おうと、洗面台に向かった。






夕飯が終わると、英利は携帯電話のことなど忘れてさっさと風呂に入って寝付いてしまった。
俺も風呂を終わらせると、夕飯の支度のために脱いだスーツのポケットから携帯電話を取り出す。
捨てられないまま飾られていた旧型の充電器で充電を始め、開いてみる。
赤くランプが点灯したので、もしかしたら中のデータは生きているのかもしれない。
時計はもうすぐ、日付が変わる位置を指し示そうとしていた。
「…………」
先程英利が試した時ははダメだったが、再度電源ボタンを押して中身の確認を試みる。
意外とあっさり電源が入り、パネルが煌々と光を放たれた。正直、プライバシーを覗き見る最低の行為なのかもしれなのだろうが、俺自身片足程度は踏み込んでいる。
少し位、事情を知る権利はあるだろう。
データフォルダの中身から、送受信メールの中身まで。ヒントになりそうなものを一つ一つ漁っていく。
データを漁り尽くし、メールフォルダ内最後未送信メールを覗くと、探していた答えそのものが残っていた。その答えはあまりにも唐突すぎて、思わず息が詰まる。
取り敢えず此れで、1つの疑問は解決した。
携帯電話を閉じるとリビングの電気を消し、静かな足取りでニクスの部屋へと向かう。
街灯の青白い光が窓から差し込んできて、部屋の暗さに戸惑うことなく歩くことができる。
気付けば足音を殺している自分がいて、少しだけ可笑しかった。
部屋の前に立ち、誤って起こさないようにと、細心の注意を払って引き戸を開く。暗い暗い部屋の中、目を細めて人の形を探してみたのだが、すでに部屋の主の姿は無くなっていた。
「!」
思わず大きな音を立てて引き戸を開け放ってしまう。
英利が起きたかもしれない、と冷や汗をかいたが、部屋から何か物音がすることは、ない。
少しだけ安堵して、また少しだけ落ち着いた精神状態で部屋の中を改めて見回す。
どうやら俺が風呂に入っている間に、ニクスは何処かに出掛けてしまったらしい。
自慢の髭が生えた顎に手を当て、予想される行き先を考える。
携帯電話で連絡を取ることも考えたが、それは恐らく俺の役目を過ぎている。
自分の過去を強制されたところで、その通りに靡く人間など指で数える程度の割合しか居ないだろう。
俺に出来る範囲内で、最大限の役割を果たすとするならば。
それは一体どのようなことになるのだろうか。
暗い暗い静かな部屋の中、掌の中の携帯電話を握りしめて、思考を巡らせた。






→ 10/29




第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -