10/28 B 
 
 
若干暗い部屋の中に、大きくはない机一つとパイプ椅子が三つ。俺は識の横に腰掛けて、様子を見ることにした。
「じゃあ、まずは名前から」
識は紙を見ながらニクスに質問をする。
「名前なんか知ってんだろ」
「いや、本名。身分証明書持ってる?」
面倒だ、と言わんばかりの態度でポケットから外国人登録証を取り出す。識はそれを見て、書類に名前を書き写していた。
部屋の中は微妙な沈黙の間があって、少し身動きするだけで衣擦れの音が響く。パイプ椅子の軋む音が、やけに耳障りに聞こえた。
「住所は?」
「そこに書いてあるだろうがよ」
掛けられる言葉の一つ一つに、ニクスは棘のある言葉で返す。いきなり顔見知りに殴られれば、誰だって虫の居所は悪くなるだろう。
識も自分が八つ当たりされているということを十分理解している。あくまでも冷静に、事務的な質問を繰り返していた。
「…よし、じゃあ事務的な質問はここまでにして」
ボールペンを机に置く音すら、部屋に響く。識は机に肘をついて顔の前で手を組むような体勢になる。ニクスは相変わらず下らないと言ったようなスタンスを崩さずに、こちらを見ることをしない。
「…茶倉に暴力を振るわれるような理由、心当たりは?」
識の赤みがかった茶色の瞳が、ニクスを見る。本人は目線を合わせることもせずにただ、腕を組み直した。
「…無ぇな」
頬を覆っているガーゼのせいでうまく喋ることが出来ないらしい。低く、小さな声で呟いた。
「無い?本当に?」
「しつけーな。無ぇったら無ぇよ。あったとしても、一々覚えてられるかよ」
識の疑問に、ニクスはうんざりしたように返す。どうやら殴られた本人は、何故被害にあったのかはわからないらしい。
識は体勢を直して、書類に何やら書き込んだ。
「…じゃー最後に。茶倉のこと、どうする?」
具体性の無い質問を投げられて、ニクスは眉間に皺を寄せた。
「一応成人した大人同士が暴力沙汰になって、片方は怪我をしてるからな。被害届とか、そう言う話だろ」
識が少しだけ話辛そうにしていたため、余計なことと解っていながら口を挟む。ニクスは納得したようで、少しだけ表情を和らげた。
「…いーよ別に。…めんどくせぇ。さっさと帰りてーんだ、俺は」
「悪いな。茶倉から話を聞くまでは帰せないんだよ」
「だったら早く終わらせろよ。俺の話は終わったろ?」
ニクスは立ち上がると、少しだけふらつきながら控え室まで歩いて行ってしまう。 識が俺の横で、色々な感情が混ざっているのだろう、溜め息を吐いた。
「余計だったかな、俺」
「いや、大丈夫。士朗が居てくれて、助かってる」
識が目頭を押さえていると、茶倉が静かに入ってきた。俯いているため長い髪が顔を隠し、表情を窺うことが出来なかった。
静かな音を立てて、茶倉が椅子に座る。識はそんな様子を見て、質問を選んでいるようだった。
「…っと。…名前とか、身分証明書は」
「…無いよ。知ってるだろう」
茶倉は以前、一度死んで生き返ったという経歴を持っているらしい。一度死んだから、国が管理している名簿には名前がない。
以前、何かの書類を申請したとかしていないとか、噂程度の情報は耳にしたが、それから進展はしていないようだった。
「……じゃあ、理由を聞いても良いかな。なんでこんなことをしたのか」
識はほぼ空白の欄で埋められた紙の上に、名前を書く。茶倉は質問には答えずに、ただ俯いていた。
どれくらいかはわからないが、ただ、それほど長くはない時間、静かだった。遠くでカチカチと時計の秒針が時間を刻む音が、聴こえるほどにだ。
「…黙ってても、君がしたことが無くなる訳じゃないんだ。話してくれ」
識の口調は、あくまでも優しいままだ。恫喝するわけでもないし、卑下するわけでもない。
茶倉も、それがわからないほど愚かではないはずだ。
つまりそれはどういうことなのか。
「言えない理由なのか。茶倉」
何となく、思った言葉を口にする。茶倉ははっとしたように顔を上げると、また俯いた。
どうやら、当たっていたらしい。
「それは、俺たちに?」
茶倉は頷く。
「士朗にも、俺にも?」
茶倉はまた、頷く。これでは八方塞がりだ。事情を聴こうにも、その当人が口を閉ざしているのならば理由など解るはずもない。
これが気心の知れた友人であったなら、無理矢理にでも口を割らせるのだが、茶倉が一度決めたことは頑固に押し通す性格であることは、痛いほど良く解っている。
であれば、なんとか説得して話してもらう以外に方法はない。
「一応、口が固い自信はあるし、誤って誰かに話すような人間じゃないっていう自信もあるんだけどな」
識は困ったように髪を掻き上げる。無理矢理口を割らせるようなことはできない。
しかし、このまま帰すわけにもいかない。
また暫く無言の時間が続く。
待たされるのが嫌いなニクスは、もしかしたら怒っているかもしれない。
時計の針が数回廻った後、小さな、小さな掠れた声で、茶倉が呟いた。
「…本当に、誰にも言わないんだね」
その声を聞き流すことをせずに、識が前のめりになって返事をする。
「ああ。約束する。絶対に、だ」
上目遣いにこちらを見てくる茶倉と目が合う。俺は黙って、小さく頷いた。
「………あいつは…」
静かな部屋が、尚更静かになったような気がする。茶倉の声以外の音が耳に入ってこない。
そして整った唇から、行動に至った経緯が溢れてきた。


「あいつは、デュエルを犯したんだ」


聞きなれない言葉を聞いて、少しだけ、集中しすぎてしまったのかもしれない。仕切りの向こうから何かにぶつかったような音が聞こえるまで、人の気配に気付くことができなかった。
茶倉は振り返り、その気配の持ち主に強い口調で尋ねる。
「…聴いてたのかい、あんた」
仕切りの裏から、ニクスが出てきた。その表情は、先程までとは違い、怒っている、と形容しても充分だ。音を立てて歩み寄ってくるニクスは、思い切り机を拳で殴る。
広くはない部屋に、大きな音が響いた。
「ふざけたこと言ってんじゃねぇ!!」
「誰がこんなことでふざけるってんだい!?」
ニクスの怒声に負けない声で、茶倉が叫ぶ。立ち上がった弾みに、パイプ椅子が倒れた。
「アイツは男だぞ?!意味わかんねぇ妄想してんじゃねーよ!!」
このままでは、殴り合いに発展しかねない。俺は椅子から立ち上がると、二人の間に入った。
「落ち着け、二人とも」
「落ち着いてられっかよ!んな下らねぇことでボコボコにされてんだぞ!!」
珍しく、感情を現した怒り方をする、と失礼極まりないことを頭の片隅で考える。茶倉は茶倉でニクスの発言に逆鱗を触れられたらしく、赤い瞳で睨み付けていた。
「…下らないってなんだい?」
ニクスももう怒りすぎて笑いが込み上げているようだ。茶倉を見下ろし、嘲るような笑い方をして口を動かす。
「下らねぇだろうがよ。証拠もねーのに、俺が?デュエルを?それで何だ?俺のことだけ忘れてるってか。生き返ったとかわけわかんねーこと言ってると思ったら…お前アタマ大丈夫か?」
「…ニクス、言い過ぎだ」
前半はともかく、後半は明らかに茶倉の人格を否定している。
いくら腹の虫が収まらないからと言って、人の人格を否定するような行為は許せない。
「……」
茶倉は俯いて、識も口を挟めない、といった様子で頭を抱えている。
「………茶倉」
名前を呼ぶが、返答はない。
正直、証拠もない今の段階ではニクスの言い分の方が正しいのだろう。茶倉がなぜその事実を知ったのか、証明する手立ては残念ながら、無い。
怒りで震えている肩に手を掛けようとした瞬間、小さな声が、聞こえた。

「……10月18日、深夜、アンタはデュエルの部屋に行った」
「…え?」
その言葉を聞いて、ニクスの表情が強張ったように見えた。しかし茶倉は気にせずに、淡々と続けていく。

「前から度々、そういうことがあった。アンタは酒を飲んで潰れて、アイツがその介抱をする」

茶倉の声には、感情が籠っていないように感じられた。

「…そしてアンタは、潰れながら名前を呼ぶんだ。 」



「黙れ!!」


続けざまに何か発音したはずなのだが、俺には聞き取ることができなかった。
遮ったのは、ニクスの声だった。
先程とは違い、少し顔色が悪い。
「…ニクス?」
声を掛けても、返事がない。
ただ辛そうに、肩で息をしていた。
「……っ、……!」
「…おやおや、そんなに聴かれたくなかったのかい」
意地悪く笑う茶倉の表情を見て、識は何か、納得したような表情を浮かべていた。
「…そうか。…そう言うことだったんだな」
椅子から立ち上がると、ポケットからタバコを取り出す。
「…事情は、良くわかった。…あぁ、良ーくわかったよ」
どうやら、事情を把握していないのは俺だけらしい。識は白い煙を吐き出すと、腕を組んでほんの十秒程度考え込んだ。
ニクスも茶倉も、声を出すことはない。沈黙が肌に刺さって、少し痛かった。
「……取り敢えず、俺はエレキにも話を聞いてくる。士朗は二人を家まで送っていってくれないか」
沈黙の後に発せられた識の言葉が意外すぎて、少し面食らってしまう。それはニクスも茶倉も同じだったようで、似たような表情を浮かべている。
「…俺は構わないけど、もう良いのか?」
「あぁ。もう十分だ。それに、これ以上は多分俺は踏み込めない」
識は灰皿で煙草の火をにじり消すと、机の上にある書類に簡単に何かを書き込んでいた。
「…取り敢えず、茶倉は1ヶ月出禁。いいね」
「………あぁ」
茶倉は小さな声で返事をすると、顔を俯かせた。ニクスは少しだけ落ち着いたようだったが、相変わらず顔色が悪い。
今にも、倒れてしまいそうだった。
「…じゃ、行こうか」
識の一言で、全員がのろのろと休憩室から外に出る。出てすぐの場所にエレキが立っていたが、俺より先に識が事情を尋ねに向かってしまった。
何となく無言のまま、ゲーセンから出る。同じ方面の駅に向かうはずなのに、ニクスは全くの逆方向へ歩いていく。
「おい、ニクス。駅はそっちじゃないぞ」
「…るせーな。わかってるよ。…寄るところがあんだ、先帰ってろよ」
こちらを向くこともなく、ただ声だけが聞こえてくる。
近づくな、と言われているようで、それ以上声を掛けることが出来なかった。
「…アンタはそうやって、いっつも一番大事なことに気づけないんだね」
車の騒音に掻き消されそうな中で、茶倉の声が微かに聞こえてくる。
「え?」
思わず聞き返すが、反応はない。気付けば茶倉も少し離れたところを歩いていて、とても追い付いて仲良く並んで帰宅なんてさせてくれそうもなかった。

太陽はとっくに落ちているのに、建ち並ぶビルの照明で辺りは随分と明るい。
空を見上げても、月も星も見えてこない。
まるで、井戸の底から世界を見上げているような気分だった。






→ 10/28 C







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