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いつの頃からだったか自覚はないのだが、エリカのことが好きだった。
偶々弱っているところに優しく声を掛けられた。その後、偶然入ったファーストフード店で再会し、世間話をする内に友人と言える仲になった。ファーストフード店の外で会うようになってからは、一緒にラーメンを食べ歩くようになった。
何度となく世間話をして居る内に、解ったことがある。
彼女は俺よりも年下なのに、きちんと目的を持って生きていた。
いつも明るく快活で、他人に対して面倒見も良い。
彼女の陰口を叩くような奴は、誰一人いなかった。
自分の気持ちを自覚してから何度か告白をしてみようかとも思ったのだが、その度に士朗の存在がちらついた。
士朗もエリカと同じで明朗快活、男女共に人気で、いつも人の輪の中心になるような男だ。
一度二人で飲んだときに彼女との関係を探ってみたのだが、『大事な友人』との一点張りだった。
士朗がそうは言っているものの、結局周囲から見ればエリカが士朗に思いを寄せていることは明白で。
付け加えるなら士朗の家は資産家で、母親はミスコンでグランプリを獲得するような美人で、その息子である士朗本人も容姿端麗で、品行方正で、質実剛健。
俺のような人間が入り込む余地などは、全く残されていなかった。

「………」
ゲーセンに設置されている自販機の前で、何度も何度も繰り返した、同じ答えしか出ない方程式をまた辿る。
いつもこうだった。
自分では士朗に及ばない。エリカは士朗に好意を抱いている。しかし、諦めることが出来ない。
そうやって、頭の中で問題が擦り切れてしまいそうなほど反芻させても、俺の出す答えは変わらない。
つくづく未練がましい、女々しい男だと思う。
こんな時は自棄酒を飲んで自分の脳の動きをアルコールで強制的に停止させるのが一番有効な手段なのだが、最近は缶ビールでさえ安くない。
取り敢えず手近な奴で、俺がこの件で頼れそうな奴は一人しかいなかった。そいつの所に行けば酒も寝床も用意されていた。余計なアドバイスもしてこないから、居心地も良かった。簡単に言ってしまえば、甘えていたのだろう。

―――――それが今では。
星龍華の一件以降、デュエルから俺に何か接触してくることはなかった。元々生活のリズムだって違うし、マメに連絡を取り合うような間柄ではなかったから日常生活にはなんら不具合はない。

ただ、何か。
自分の居場所がひとつ、なくなってしまったような気がした。

「飲み物、買わねーの?」
唐突に話し掛けられて我に返る。気付けば自販機に入れたコインは戻ってきていた。声がした方向では、エレキが別の自販機で飲み物を買っている。
「…あー、何か。ぼーっとしてた」
「うん、ぼーっとしてたね」
エレキが取り出したのは、炭酸ジュースだった。俺も、返却口のコインを取り出して再投入する。
甘いものを飲む気分では無かったため、適当なメーカーのコーヒーを選ぶ。
プルタブを開いて、口の中に流し込む。酒とは違う苦味が口の中に拡がるが、コップ一杯程度の量なので直ぐに飲みきってしまう。
「元気無いじゃん。デュエルのこと?」
エレキは、思ったことを直ぐに口に出す性格なんだろう。あの日から5日経って、漸く直接的に尋ねられた。
「…んなわけねーだろ。別件だよ、別件」
空になった缶をゴミ箱に捨てる。デュエルの記憶から俺が居なくなったからと言って、何が変わると言うのだろうか。
エレキは不満そうな表情を浮かべ何か言いたそうにしているが、敢えて気づかないふりをする。
何となく気まずい空気になり、話題が途切れる。
缶を口につけたまま俺を見上げてくるエレキの視線が痛くて、眼を背けてしまう。その次の瞬間、小さな声を上げた。

「あ」

本当はその後、別に言葉が続いていたんだろう。しかし、俺の鼓膜はその音を拾ってくれなかった。
良く解らない内に俺の身体はゲーセンの床に横たわっていて、視界はぐらぐらと揺れて安定しない。
右側の後頭部の辺りが、割れるように痛い。むしろ、痛いのかどうか判らなかった。ただその部分だけが熱くて、疼いているのは良く感じられた。
指すらまともに動かすことが出来ず、視界の端に映る指が痙攣しているのが見える。どうやら脳が揺れてしまったらしい。
そんな状態で、立ち上がることなんて出来るわけがない。
何故突然、こんな痛みに襲われなくてはならないのだろうか、と呆然としていると、鼻先に見慣れた黒いヒールがあった。
只でさえ女の中では長身なのに、態々ヒールがあるものを履く女なんて、一人しかいない。
「茶倉!何やってんだよ!」
エレキの叫ぶ声が聴こえる。そして俺は茶倉に蹴られる形で仰向けになった。照明が逆光になっているため表情は伺えないが、笑っていないことは確かだ。
「…何って。見りゃわかるだろう?」
茶倉は抑揚のない声でエレキに返事をすると、俺の鳩尾の辺りを思い切り踏んできた。尖ったヒールが、先程蹴られた部分を圧迫する。
俺だって、トレーニングをサボっていたわけではない。ただ、不意を突かれたことと、茶倉の想定外の力のせいで身動きが取れなかった。眼だけを微かに動かすと、黒い鞘が確認できた。つまりアレで俺を殴ったらしい。
「八つ当たりさ。単なるね」
茶倉は口許だけで笑うと、また俺の鳩尾を強く踏みつけてくる。ヒールがそのまま刺さるのではないかと思うほど、痛かった。
「…っ、ざけんな!…てめぇ…」
痛みで朦朧とする脳をなんとか覚醒させながら、足首を掴む。茶倉は無表情で俺の手を振り払うと、馬乗りになって俺の胸ぐらを掴み上げた。
「そりゃ、こっちのセリフだよ」
長めに伸ばした黒い前髪の隙間から赫い瞳がこちらを射抜いてくる。俺を殺したくて堪らない、といったような表情だった。
そして、茶倉は無言で右手で握り拳を作る。それは何の躊躇いもなく勢いをつけて俺の左頬を思い切り痛め付けた。
返すように、右頬は肘が刺さる。
簡単に俺の口の中は切れて、鉄臭い味が広がった。

「…お前なんかのせいで」

はっきりと、心の底からの憎しみを込めたような声が耳に入ってくる。女に手を上げるのはルール違反だと思ったので、暫くされるがままに殴られていると、茶倉は何を思ったのか俺の服から手を離した。
支えるものが無くなって、俺はまた床に倒れ込む。ごつ、と、背中と頭を強く打ったような音がした。
そして、金属が擦れる高い音がした。見れば茶倉は抜刀している。
何故俺ばかりがこんな目に遭わなければならないのか。
手に入らないものばかりを見せつけられて、絶望する。抵抗することも億劫になり、このまま殺されるならそれでもいい、と思った。手に入らないのならば諦める。
つまりのところ、努力するだけ無駄なのだ。
刀が振り下ろされるのを他人事のように眺める。
半分以上閉じられ、焦点の合わない視界で眺めているからか、何時まで立っても刀は振り下ろされない。
何故だろう、と思い、眼をもう少しだけ大きく開けようとした時、聞き慣れた声が鼓膜に響く。

「もう止めろ茶倉。ニクスのこと、殺す気か」

眼を開ければ、一番会いたくなかった男が茶倉の腕を掴んで動きを止めていた。横には救急箱のようなものを抱えたエレキがゲーセンの責任者である識を連れてきている。
どうやらエレキが、二人を連れてきたらしい。
「………ぁ、」
「…何があったか話してくれ。茶倉が理由もなく暴力を振るう奴じゃないってことは、わかってるつもりだ」
何の恥ずかしげもなく、間を取り持つような優しい言葉を士朗は茶倉に掛ける。面白くもなんともない、茶番を見せつけられているような気分だった。
「取り敢えず、ニクスを休憩室に運ぼう。識、場所を教えてくれ」
士朗に肩を借りる形で、何とか立ち上がる。意識していなかったから気づかなかったが、顔のどこかを切ったらしく、出血をしていた。
なんで同じ人間なのに、こんなにも違うのだろうか。士朗の存在自体が嫌味のように感じてしまう俺は、恐らく人として性格が歪んでいる。
やがて休憩室に着くと、丁寧に手当をされた。
「明日辺り、多分もの凄く腫れるぞ。早めに医者に行った方が良い」
心底心配する声を出しながら、蒼い眼で射抜いてくる。そんな真っ直ぐなもの、見据えられるわけがない。
「……あぁ」
人の顔を直接見なくても済む帽子は、今はない。必要最低限の返事をすると、今度は識とエレキに連れられて茶倉が休憩室に入ってきた。
識は困ったような表情を隠さずに、休憩室の鍵を閉めた。
「…えーっと、だね。…取り敢えず、二人とも座って良いよ。俺はちょっと書類の準備をしなきゃいけないから」
識はそう言うと、休憩室の奥にある事務所に入っていった。
識が困るのも無理はない。
このゲーセンは、同じような店舗とは比較にならないほど治安の良い場所だ。
禁煙スペースで喫煙するような人間も、法定時間を過ぎてもゲームをするような人間もいない。
財布を落としたとしても、ほぼ100%中身が無事のまま戻るようなゲーセンは、ここ以外には無いのではないかと思う。
そんな場所で、暴力事件だ。
「………………」
茶倉は無言でパイプ椅子に座る。俺とは目も合わさない。
エレキは気まずそうに、落ち着かないと言った様子で立っていた。
やがて、識は何か書類を持って戻ってくる。
「…取り敢えず、形式的な質問をさせてもらうから。一人ずつ奥に来てもらえるかな」
「識、俺も一緒に入って良いか?苦手だろ、こう言うの」
士朗は当たり前のように、手助けを申し出る。平和主義者の識に事情聴取は難しいと踏んだのだろう。
「…そうか?悪いな、士朗」
そしてその善意は当然のように受け容れられる。
「エレキ、お前は外で待ってろ。後からお前の話を聞かせてもらうから、帰るんじゃないぞ」
「あ、うん」
エレキは素直に兄の命令に従い、休憩室から出る。ダメージを受けた部分は、少しずつ痛みを訴え始めていた。
滅菌ガーゼの下で、熱を持って疼く。
目の前で淡々と行われているやり取りが、心底下らないと感じてしまう。茶倉が俺を暴行した理由が明らかになったからといって、何かが変わるわけではない。
茶倉はまだ落ち着いて話せる状況でないという士朗の判断から、俺の事情聴取が先に行われることになった。
パイプ椅子から立ち上がり、仕切られた事務所の奥に入る際にポケットに入っていたミント味のキャンディを口の中に放り込む。
香りが鼻を突いて、涙が出そうになった。





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