10/28 @


あの日から5日が過ぎた。
コップに水を汲み、処方された薬を飲む。膨らんでいた薬袋は随分と薄くなった。
ベッドまで行くことが億劫で、ソファに横になる。
天井を見ると、外から射し込む青い光がうっすらと模様を描いていた。首だけを動かして窓の外を見ると、相変わらずバカのように晴れている。
ロンドンでは珍しい天気だったので、来日したばかりの時は嬉しかったものだが、何故か今はやる気が起きなかった。
緩やかにやって来る眠気に身を委ねながら、携帯電話を開いてみる。確かに、登録した覚えのないのにあの金髪の男の名前が登録されていた。
「…わけわかんねーよ」
ぱちん、と軽い音を立てて携帯を閉じる。薬が大分回ってきたらしく、指に力が入らなくなくなる。
体の力を抜き、ゆっくりと目を閉じる。
若干の肌寒さを感じながら、そのまま意識は途絶えていった。









「……………」

別に、心配だからではない。
ただ数日前、会った時にほんの少しばかりの違和感を感じたから。
その違和感の原因を、知りたいだけだ。
自分にそうやって言い訳しながら、ロビーに入る。履いているヒールが、かつかつと音を立てて廊下の石を削っていた。
まだ空調は作動していないらしく、少し肌寒い。以前、いつでも訪ねて良いから、と教えられた暗証番号を入力する。
遠くでチャイムが鳴ったが、部屋の主からの返事はない。
念のため携帯電話を鳴らしてみるが、やはり返事はない。しかしだからと言って、ここで引き下がってもいられない。
エレベーターに乗り込むと、静かに目的の階を目指す。鏡のように磨かれた壁を見て、自分の髪に枯れ葉が数枚巻き付いていることに気が付いた。こういう時、思い切り短く切ってやりたくなるのだが、なかなかそうもできない。
彼に誉められた髪であるからだ。

彼にとっては些細な一言のつもりではあったんだろうが、存在を誰にも気づいて貰えなかった私には、十分すぎるほど嬉しい一言だった。
だからこそ、今、彼に何が起きているか知りたかった。
何が違うのか口に出して言ってみろと言われれば難しいが、私の感覚は確かに、彼が今までと違うことを訴えていた。

「は、下らない」

思わず、思考が口に出る。
目的の階に着くと、チャイムを鳴らした。部屋が高層階にあるからなんだろう。この付近にある住宅街の騒音が、まるで遠くの出来事であるように感じられる。
部屋の主は相変わらず返事をしない。ドアノブに手を掛けると、ゆっくりと開いた。
一度呼吸をして、自分を鎮める。

「邪魔するよ」

短く挨拶をすると、暗い部屋の中に入る。いつもなら、彼の好きな邦画やアーティストの曲が流れている空間は、今は恐ろしいほど無音だった。
自然と音を殺しながら足を進めると、リビングの中心にある黒いソファに横たわっている人影を見つけた。その前にあるテーブルには、薬袋とグラスが乗っていた。

「…デュエル」

名前を呼ぶが、全く反応はない。悪いと思いながら、薬袋の中に入っている処方箋を見る。
英語で書かれているため効能はさっぱり解らなかったが、以前、自分が死ぬ前に処方されていた薬と同じ名前のものを見つけた。
精神安定剤と、睡眠薬だ。

「…こんなもん飲んでれば、そりゃ起きないね」

かさ、と袋を戻し寝顔を覗き込む。酷く穏やかで、実際の年齢よりもずっと幼く見えた。ぺた、と頬を触り、それから前髪をあげて額を露出させる。暗く静かな部屋で、衣擦れの音だけが響いていた。

「…ねぇ。実は私さ、凄い特技があるんだよ」

子供に童話を話して聞かせるように静かに声をかける。誰も聞いていないのだから、ただの大きな独り言だ。

「相手に乗り移って、知りたいことぜーんぶ引っ張り出せるんだ。どうだい、一回死んだだけ無駄じゃなかっただろう?」

普段なら私よりも温かいはずの身体は、冷えていた。空調もつけず、何も羽織らずにこんな広い部屋で眠れば、当たり前のことだろう。

「…覗き見なんて最低だとは思うけどね。でもそれでも、」

アンタが今みたいになった原因を知りたい。
そして、その原因を取り除いてやりたい。
それから、以前のように笑って貰いたい。

続くはずだった言葉を飲み込んで、精神を集中する。乗り移るためにデュエルの額と自分の額を合わせた時、キスが出来そうだ、と思ってしまった。












時間は夜遅く。
誰かが訪ねてくる。
デュエルはその相手を心待ちにしていた。この気持ちを、私は良く知っている。
恋慕だ。
デュエルに想っている人間が居たことは、少なからずショックだった。しかしだからと言って、原因を探ることを止めたりはしない。
手に入らないからと言って見捨てるのは、想っているとは言えない。
私が見ているのは、デュエルの記憶そのものだ。
その時に彼が何を思ったのか。感情の動きも手に取るようにわかる。
つまりは想っていた相手にフラれでもしたのだろうか、と考えていると、デュエルは部屋から出てエレベーターに乗り込んだ。そして一階ロビーで相手と逢う。
私は、相手を見て絶句した。

――――なんで、こいつが?

顔も名前も知っている。一度、チキンレースを仕掛けられたため、完膚なきまでに潰してやった。
そいつがなぜ、此処にいる?
デュエルは、こいつが好きだった?
混乱する精神を抑えて、目の前の過去を眺め続ける。私には流れていく映像を見ることしか出来ない。触ることも、声を掛けることすら出来ない。
デュエルが甲斐甲斐しく世話を焼き、ニクスが酒を飲みやがて気を失う。これは二人にとって、日常茶飯事であるらしい。
そこには私の知らないデュエルがいて、デュエルもこの感情は誰にも見せないように隠していた。
溜め息を吐きながら(少しだけ嬉しそうに)酔い潰れたニクスを担ぐと、寝室に向かう。
そしていつも通りにニクスを寝かせると、デュエルも(何もなくて良かった、と安堵しながら)部屋から出ようとする。
しかし今日はいつもと様子が違っていた。
ほんの一瞬で、ベッドに連れ込まれる。
目の前には、見慣れた金色の髪と赤い瞳。
そして次の瞬間、強い力で頸動脈を圧迫された。
その後、咳き込むデュエルを見てニクスは嬉しそうに笑っている。その顔を見て彼は、ああ、こんな優しく笑える奴だったのか、と他人事のように思っていた。

(そして、そんな優しい顔で笑って貰えるのは、自分が○○○の代替品であるからだということを、デュエルは痛いほど理解していた。)

手首にキスをされた後、生暖かい舌が身体を這い回る。
伸ばされた金色の髪が、ざらざらと肌に当たる。


デュエルは拒絶した。
何度も何度も拒絶していた。
―――――しかしそれでも、最後まで抵抗はしなかった。


肌寒い気温のはずの部屋には熱が籠り、汗をかいた素肌がべたりと貼り付く。
人としての感情が、快楽に負けてしまった。
酷い、敗北感だった。

デュエルの意識が朦朧としていくと同時に、同化していた私の意識が覚醒していく。
目を覚まし身体に感覚が戻った瞬間、吐き気を催した。
犯されたのは私ではない。
しかし、あの感覚は忘れようと思っても忘れられるものではない。
よろける足取りでトイレに駆け込むと、口の中に指を差し込んで嘔吐した。ニクスの精液が身体の中に残っているような感覚がして、全てを吐き出したくて堪らなかった。
やがて吐き出すものが何も無くなると、今度は涙が溢れてきた。
デュエルはこの日以降、ニクスのことを全て記憶から無くしている。
そして私が異変に気づいたのが、それから3日後のことだ。
つまりのところ、私は、
『ニクスのことを愛していたデュエル』
が好きだったことになる。
それが酷く悔しくて、少しだけ泣いた。









泣いて暫くすると、頭の中が冷えていく感覚があった。
その、クールダウンした部分で自分に何ができるのか、と考える。
この真実を知っているのは、今は私だけだ。
真実を言うのか。誰に?
下手なことをすれば、セカンドレイプにもなりかねない。
これ以上デュエルの傷を、抉るわけには行かない。泣いたせいで感情が整理されたらしい。
いつもでは考えられないほど、理性的に思考する。そして、やっとの思いで結論が出る。

「……あの時、」
きちんと潰しておくべきだった。
と。

す、と立ち上がって、吐瀉物を流す。洗面所で口を濯ぐと、もう一度リビングに戻る。
多分これは、只の八つ当たりなんだろう。このままでは私の気が済まないから、潰す。
眠っているデュエルが目覚める気配はない。先程から変わらず、泥のように眠っている。初めて来た部屋だが、先程見た記憶のため寝具の場所はわかる。毛布を掛けると来たときと同じように足音を殺し、部屋から出た。

―――――決めたからには、行動する。

強い足取りで鉄寿司に戻ると、学校から帰ってきていた鉄火が白衣に着替えていた。

「おや、お帰り。鉄」
「ただいまっす」

時刻は夕方4時。秋も大分深まってきたため、あと2時間もすれば完全に日は落ちるだろう。

「悪いんだけどさ、鉄。今日は休ませておくれよ。急用が出来ちまってね」
「いーけど…もしかして、デートっすか?茶倉さん」

茶化すように話し掛けてくる鉄火の横を通り、押し入れに片付けられている数少ない自分の私物を漁る。気に入っている日本刀を1本取り出し、脇に差した。

「そうだねぇ、ちょいと物騒なデートになるかもしれないね」

笑って冗談のように返すと、鉄火は困ったように笑っていた。恐らくこの時間、あの男はゲーセンに居るはずだ。
今度こそ、徹底的に、完膚無きまでに、潰してしまわなければならない。
着替えた鉄火の横を通り、鉄寿司を後にした。ゲーセンまでは、電車を乗り継ぐ時間と徒歩で移動する時間を含めても30分も掛からない。
鞘が軋むほど強く握りしめながら、目的地まで目指す。








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