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「恐らく、ストレス性の記憶障害の一種ですね」

薄暗い診察室の中で白衣を着用した医師に、あっさりと診断を下された。
睡眠薬と次回カウンセリングの予約表を渡され、追い出されるように病院を後にした。



『どうだった?デュエル』

医院から出てきたデュエルに声を掛ける。昨夜、自分に異状があると自覚した彼は、すぐに病院の紹介を求めてきた。
彼は何故か病院が好きではないらしく、日本に来て数年が経っているのに掛かり付けの医院も持っていなかった。
取り敢えず、と外国人向けのカウンセリングを行っている医院を紹介すると、翌朝直ぐに足を運んだのだ。
その行動力に驚きながら、俺は診察が終わるまで医院の外に置かれているベンチに腰掛けていた。
デュエルは俺を見た瞬間、驚いたように目を見開いてから、安堵したように眼を細めた。

『何だよサイレン。態々待ってたのか?』
『勿論。俺が紹介した医者がヤブだったら笑えないからね』

ベンチから立ち上がり、デュエルに歩み寄る。不満そうに薬袋を見せられて、つい苦笑してしまう。
舗装されたアスファルトの上に散らばっている枯葉を踏むと、ぱり、と音がした。

『…ったく、病院紹介してくれるだけで良かったのに。ホントお人好しだよな、お前は』

デュエルは無造作に薬袋をシザーバッグに突っ込み、脱いでいたパーカーを羽織る。
連日の快晴のため、10月下旬だと言うのに気温は高く、空気は乾燥していて風は強かった。
枯葉が風に流されていく音が、酷く耳障りだった。

『そんなだから英利にいいようにされるんだよ』

自然と呟かれた言葉に、拭いきれない違和感を覚える。本来ならば、そこには二人分の名前が入るはずだろうに、当たり前のように一人分だけが名指しされた。
違和感を抱かせたと感づかれないように、いつものようにまた苦笑する。

『そうだね、気を付けるよ』

陽射しを浴びながら、舗装された道路を並んで歩く。ニクスに関する記憶が無くなっているだけで、デュエルは今までと何の変わりもない。きっと彼にしてみれば、周りの人間が急変した様に感じているのだろう。
空は腹が立つくらい晴れ渡っていて、雲1つもない。昔の彼が愛していたものなのに、今の彼は何の興味も抱いていないようだった。
他愛もない話をしながら歩いていると、ふと言葉が途切れてしまった。
どう話題を繋げようか、と頭を働かせていると、デュエルが不意に足を止めた。気づけば大分道なりに歩いていたようで、医院から大分離れた路地にいた。
さすが平日の昼間だ。外を歩いている人間はまばらで、スーツを着ていた。
『…………?』

俺も足を止めて、デュエルを見る。何かを言いたそうに口を動かしていたが、そのまま俯いてしまった。

『…医者はさ、薬飲んでゆっくり休んで、カウンセリングしてりゃ治るっつってるんだけどよ』

上手く表情を伺うことができないため、俯いたまま静かに吐き出される言葉を耳に入れる。
傾き掛けた陽射しが強く照らしていて、白いコンクリートに反射するのが酷く眩しかった。
遠くで鳴っているショップのBGMや車のクラクションが、別世界の音のように思えてくる。
デュエルはまるで親に縋る子供のように、俺の服の裾を掴んだ。

『…俺は、狂ってないよな?』

小さく小さく、辛うじて絞り出された声が震えているものだから、直ぐに答えることができなかった。
ぽん、と頭に手を乗せて、犬を撫でるように髪を撫でる。照らされ過ぎたせいで、髪は熱を持っていた。

『…あぁ、わかってる。当たり前だろう』

できるだけ静かな声で、安心させるように、告げる。端から見れば可笑しな光景だとでも思ったのか、デュエルは顔を上げると服から手を離して苦笑した。

『(…変わってはいないけど。…幼くなった)』

思ったことを胸の中にしまい、そのまま歩く。先程までと同じように他愛もない話を繰り返しながらそのまま最寄り駅まで歩き、別れた。
人混みの中に消えていく後ろ姿が、出会ったばかりの頃を思い出させた。







自宅に帰ると、ニクスがタバコを吸いながら寝転んでいた。昨夜のことがあったからか、よく眠れていないようだった。
目元にうっすらと、隈が浮かんでいた。

「タダイマ。寝タバコは良くアリマセンね、ニクス」
「うるせーな。勝手だろ」

ニクスは身体を起こすと、タバコを灰皿に捩りつけた。不機嫌である、ということが空気でわかる。
だるそうに髪を掻き上げると、積んであった雑誌を手に取り、ぱらぱらページを送っていた。
その反応に呆れが混ざった溜め息を吐くと、着ていたジャケットを脱ぎ、ハンガーに掛けクローゼットに収納する。手を洗うために洗面所に足を進めると、ニクスがぼそりと尋ねてきた。

「……アイツ。なんだったんだ?」

なんともあやふやな質問に、思わず具体的に尋ねたくなる。
何が気になるのか。
何故気になるのか。
さすがにそれは意地悪だろうと考え直すと、台所で軽く手を洗いニクスの横に腰を下ろした。

「……ストレスらしいデス。…詳しいことは話してくれませんでしたがネ」
「……ふーん…」

合点が行かない、というような口振りだが、それ以上の詰問は意味がないと思ったのだろう。
ニクスは雑誌を閉じると、あった場所に戻し、立ち上がった。
クローゼットを開けて外出着を選んでいるから、恐らくゲーセンにでも出掛けるのだろう。

「心配だったんなら、自分で聞いたら良かったノに」

半分嫌味混じりで言うと、ジャケットを持って来たニクスがまた床に座り、ワックスで髪型を整え始めた。

「誰が心配なんかするかよ。そんな仲が良かったって訳でもねーんだ。大して変わることなんか何にもねぇって」

本当に心配でないのであれば、何故わざわざ俺が戻ってくるまで部屋にいて、起きていたのだろうか。
ニクスは吐き捨てた後ピアスを着けて、タバコをシザーバッグに入れる。リストバンドを嵌めて、携帯電話を探していた。
…個人的な見解としては、無くした記憶の相手に多大なストレスを与えられたと思うのだが、如何せん素人考えの域を越えない。
幸い回復の方向に向かっているのだから、と考えて、タバコに手を伸ばした。

「ニクス、そう言えばこの前朝帰りしましたヨね。どこ行ってたんでスカ」

ライターで火を着けて、何気なく尋ねる。ニクスは髪を整えていた手を止めた。
一瞬だけ、空気が止まったような気がした。

「…あぁ、デュエルんち」
「その時は、何も変わったこと無かったんデスよね」
「あぁ」

ニクスはワックスの蓋を閉めると、帽子を手に取り立ち上がった。
「ゲーセン行ってくる」
「どうぞ、行ってらっしゃい」

足音が去り、玄関のドアが派手な音を立てて閉まる。
一人になり部屋の中を改めて見渡すと、来日した頃から比べて随分様子が変わったものだと思った。
窓から入ってくる陽射しは暖かいのに、風はひやりと冷たい。
赤い夕日が射し込む部屋の中でタバコを一本終わらせると、窓を閉めた。





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