片目を失ってから、一年が経った。
二つの星を巻き込んだ戦争は、一応はこちら側の勝利として収束した。市街地の大半は焼けてしまったが、人間というものは本当に逞しい。
僅かずつではあるが、確実に復興へと向かっていた。


「くそ、落とした」

鍵を閉めようとして、つい落としてしまう。悪い癖だと思いながら、未だ慣れない遠近感に舌打ちする。鍵を取ると、施錠をして建物の外へ出た。
既に夏を迎えているこの時期、朝だと言うのに気温は高い。強い日差しとセミの鳴き声のせいで、余計に暑く感じられた。
今までなら気付かなかったであろう些細な段差につまづきながら、住宅地から暫く離れたある場所に向かって歩く。
伝ってくる汗を拭いながら、ただ無言でひたすら歩く。向かっている場所は、死者を悼む場所だ。
同行する人間もいないのだから、わざわざ独り言を言う必要もないだろう。

「……ふぅ」

共同墓地とでも言えば良いのだろうか。巨大な慰霊碑と、名前が彫られた粗末な石碑が地面を余すところなく埋め尽くす場所の入り口で、一息吐く。
太陽は既に高い位置まで上っていて、気温も先程より上がっているようだ。遠くの石碑が、陽炎で歪んでいる。この石碑は、一年経った今でも確実に増え続けている。
今日俺が此処に来たのは、知り合いの名前が刻まれていないかの確認だった。公式な死者数については、未だに発表されていない。
しかし、誰かが亡くなればその身内が石碑を作る。その為、周りの草原はどんどん石碑に侵食されていた。
立ち上がったばかりの新政府では、先ずは体制を整えるだけで精一杯だろうから、過度な期待する方が間違っているのかもしれない。
一度両手で自分の両頬を叩いて気合いを入れると、隅から順に名前を確認した。



「…今日は、なしか」

一通り石碑の名前を確認すると、若干安堵した。石碑の数自体は増えているが、俺の知っている名前は増えていなかった。
木陰に座り込み、休憩をとる。気付けば太陽は少しだけ傾き始めていた。三時間から四時間は、石碑の名前を追っていたことになる。
我ながら、病んでいると思う。
溜め息を吐き、眼帯の下に溜まっていた汗を拭っていると、人影が見えた。
この暑い日差しの中、黒い服を着込んでいる。じ、と眼を細め確認してみるが、顔の判別まではつけられない。ただ、体つきから見る限り、女性ではないと断言できた。
やがて人影は一つの石碑の前で立ち止まると、動きを止めた。石碑に花を供えるでも水を掛けるわけでもなく、ただ、棒のように立っている。
わざわざ声を掛けるまでもないだろうと思い、遠くからその人物を眺める。
時々吹く温い風のせいで、身体の熱が冷めるまでという思いから、陽がもっと傾くまで休もう、という思いに変わる。
鮮やかな空色がやがて赤くなり始める時間になっても、人影は全く動かなかった。
さすがに見ていられなくなり、俺は木陰から出て人物がいるところまで歩み寄る。
やがて人物の特徴がわかるほどに近づくと、違和感を覚えた。
一歩近づくことに、その違和感は強くなっていく。
俺は、知り合いの墓の位置を大体把握していた。
だから目の前に、その人物がいることが信じられなかったのだ。
やがてその人物も俺に気付いたらしく、顔をこちらに向けた。ちょうど逆光になってしまったが、一瞬だけ見えた顔で判別する。

「………デュエル?」

名前を呼ぶと、ふい、と顔を背け、また石碑を眺める作業にもどる。石碑には、『DUEL』と刻まれている。俺はよく判らなかった。
デュエルは戦争の終盤直前で死んだ、と、今は新政府の一員になった士朗から聞かされた。
だから、生きているわけがないのだ。
考えを巡らせることに夢中になり、セミの鳴き声が遠くに聞こえた。やがて、俺を見かねたらしいデュエルは「…そうか」と小さく呟いた。
その声にはっとし、混乱から覚める。よく見ると、着込んでいた黒い服は喪服ではなく、見知った相手の軍服だった。

「久し振りだな、英利。いや、ヒゲの世話になってた時以来だから、二年ぶりくらいか」

俺は、デュエルという人間がどんな人物だったのかはよく知らない。だからなぜ、まるで長年の知り合いであるかのように声を掛けてくるのか理解できなかった。

「……あんた、俺のこと良く知ってるんだな」
「当たり前だろ。一緒に住んでたじゃねぇか」

返された言葉に、また詰まる。
全く以て会話が噛み合っている感覚がない。一歩近くに歩み寄り、デュエルの腕を掴む。

「さっきから何言ってんだお前は!何で俺のことを知ってる?何でニクスの軍服を着てる?!」

デュエルの方が俺よりも背が高いため、目だけで見下ろされるような形になる。白い髪の間から赤い眼がこちらを覗いていた。
その眼は笑わずに、唇だけがつり上がった。

「俺が、ニクスなんだよ。英利」

その言葉を聞いて、また周りの音が遠くなる。ニクスだと名乗ったデュエルの言葉をきちんと消化することができなかった。
デュエルは俺の腕を振り払うと、もう一度、子供に聞かせるように口を動かす。

「俺が、ニクスなんだよ」

思わず、絶句する。
そしてデュエルは墓の前に向き直ると、ぽつぽつと経緯を話し始めた。
ニクスがサイレンにより殺されたこと。
それによりデュエルの身体にニクスの『魂』とも言うべき物を移したこと。
その直後、精神を病んで隔離されたこと。
その間に髪が真っ白に変色してしまったこと。

気付けば戦争はとっくに終わっていて、世界は平和への道を歩んでいたこと。

「資料は全部廃棄されてた。誰がどんな方法で行ったかも、残ってない」

魂を移すなんてオカルトなことを、はいそうですかと信じることなどできない。
俺はただ、場違いな返答をするしかできなかった。

「……お前に身体渡すなんて、凄いな。…付き合ってたのか?」

ニクスはこちらを見ない。ただ愛しそうに、石碑を撫でていた。

「…いや?そういうはっきりしたのは無かった」

話しているうちに太陽の位置は大分下がり、空は真っ赤に染まっていた。色の基準になる光が赤いせいで、辺り一面が赤く染まっていく。

「ただ、俺はあいつのこと好きだった。愛してた。多分あいつもそうだったんだろうな」

ニクスはただ、他人事のように付け足した。冗談のつもりで言ったのに簡単に結論を突き返され、また返事に困ってしまう。
別に知り合いが同性愛者だからと言ってなにか変わるわけではないが、ただ驚いた。

「…そうか」

なんとか短く返事をする。
それから、ふと疑問に思ったことを口にする。

「じゃあお前が今日ここに来たのは、墓参りか」

ニクスはその問いに対して、首を横に振った。

「探してんだ、あいつのこと」
「…探す?」

温い風が吹く。昼間に比べて大分涼しくはなったが、それでもまだ快適な気温とは言えない。

「俺は生きてるから、こんなもん作られてない。俺の身体はどっかで処分されちまった」

黒い石で造られた石碑は赤い夕陽の光を吸い込んで、反射させることもなく佇んでいる。
一日中太陽に当たっていたのだから、本来なら触っていられないほど熱いはずなのに、ニクスは確かめるように触っている。

「ただ、デュエルは死んだ。だからこれがここにある。でもあいつはこの下には入ってない」

ニクスは俺の方を見ることもなく、淡々と話を続ける。石碑を見ているはずなのに、視線はどこか遠くを見つめているようだった。

「じゃあ、あいつはどこに行ったんだ?…ここなら、もしかしたらと思ったんだけどな」

石碑の下には何もあるわけがない。ニクスの身体はデュエルそのもので、それがそのまま墓標の代わりになっているのだから。
魂がどこにあるかなんて、俺が分かるわけがない。

「…………」

言葉に詰まる。
ニクスはセミに掻き消されそうな声で、いや、実際には掻き消されたんだろう。

「…もう一回だけで良い。一回だけで良いから、逢いたい」

と、唇が動くのが見えた。
恐らくニクスは自分で自分の命を終わらせることが出来ないのだろう。
死後の世界なんて言うあやふやな物に逃げるためには、ニクスが死ぬ前にデュエルの身体を壊さなければならない。
つまりそれは、愛した人間を二度殺すことになる。
そんなこと、出来るわけがない。
人一人が死ぬと言うことは、そんなに簡単なものではない。

「…どうするんだお前。…これから」

居なくなった人間の心を求めてさ迷い歩く死体なんて、下らない三文小説のようだ。
ニクスは石碑から手を離すと、真っ赤に染まった空を見上げる。

「…また探すよ。…俺が見つけてやらねーと、…あいつ、方向音痴だし」
「……そうか」

見付かるわけがない。
ぎゅ、と唇を噛むことで口に出しそうになった言葉を殺す。

「…じゃあ、帰るな。またこの近くに来たら寄ってけよ。近くなんだ、俺んち」

ニクスに言うと、短く肯定の返事をされる。
夕日は大分沈み、東側の空は暗くなりはじめている。そろそろ帰らないと、遠近が掴めないこの目に夜の道は辛い。

「じゃあな、ニクス」
「あぁ」

振り返らないようにしながら、帰路に着く。振り返ってしまえば、お節介な自分のことだ。きっと説得してしまう。
死んだ人間に囚われないで、自分の道を生きろと、無責任なことを言ってしまう。
囚われないということ自体が無理な話なのだ。デュエルは全てを放棄した結果として、ニクスの全てをデュエルだけのものにした。
この世から居なくなった人間の記憶を、生きている人間が越えられるわけがない。



「……っ、……、…く…」

夜風は大分過ごしやすい温度にまで下がっていた。
生きている自分の無力さに、少しだけ泣いた。
そしてもし、神という存在がいるのであれば、と。
願わずにはいられなかった。










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