「なぁカミやん。何でも一個願いを叶えてやるって言ったら、どうする?」




それはまるで、悪魔の言葉だった。






「じゃァな」
「おう」
戦争が、世界を取り巻いていた色々な出来事が収束した。
科学側も魔術側も落とし所を見つけ、すべてが丸く収まって半年ほど経過した頃。
上条と一方通行は至って普通の友情を築き、一定の距離を保っていた。
ただ日常が過ぎていけば行くほど、お互いの立ち位置が乖離していることを上条は身を以て実感する。
一方通行は戦争が終わった後もあの実験この研究と引く手数多の状態で、今までと同じように同じ時間を過ごすことが出来なくなってしまったのだ。
「(いや、友達として、だから)」
今日も二人で買い物に行っている途中で呼び出しの電話が掛かり、一方通行は上条の知らない研究所へと行ってしまった。
名前も知らない研究者を恨めしく思いながら上条は帰宅への道を辿る。
繁華街から学生寮までは、歩いて15分もかからない距離だった。
しかしなかなか歩みが進まないのは、傍らにいた銀髪のシスターはイギリスへと戻ってしまった為に、一人であるという事実を実感してしまうからなのか。
上条は自分の考えが子供の我が儘のようであることに気付くと、頭を掻いて歩みを進めることにする。
数分の距離を歩ききり学生寮に着くと、クラスメイトである土御門がちょうど出てくる場面に遭遇した。
「お、カミやん。久し振りだにゃー」
「おう、久し振り」
今まで多重スパイという役目を任されていた彼だったが、科学と魔術の衝突が無くなればただの学生だ。
ただ上条と違う点は、未だに色々な方面との関わりが深いらしく、今まで以上にあっちこっちを飛び回っていると言うところか。
ちょうど、一方通行と同じ様な状態だ。
「忙しいのはわかるけどよ、ちゃんと学校来いって。小萌センセーが心配してたぜ?」
「あー……そう言えば今週は一回も学校行ってなかったにゃー」
土御門は少しだけ申し訳なさそうな素振りを見せた後、顎に手を当てて物思いに耽っていた。
彼が何を考えているかなど、上条には予想すらつかない。
出掛けの彼に余計なことを言ったかも知れないと思いながら土御門の様子を見守っていると、不意に言葉が投げ掛けられた。

「なぁカミやん。何でも一個願いを叶えてやるって言ったら、どうする?」

「……はぁ?」
友人からの唐突な言葉の意図が解らず、上条は間抜けな声を上げた。
「いやー、実は一個でっかいバイトを抱えてるんだが、なかなかやり手が見つからなくてな。困ってるんですたい」
「おう」
土御門がそう言うと言うことは、恐らく本当に厄介な案件なのだろう。
正直嫌な予感しかしない上条だったが、頭を掻きながら彼からの次の言葉を待った。
「期間は50日。報酬は100万。外部の施設で任意の人間と過ごすだけの簡単なお仕事なんだが」
土御門が、サングラスの位置を直す。
「カミやん、やってみるつもりはないか?」
予想通りの言葉を投げられたことに、上条は一度溜息を吐いた。
「いやいや、やんねぇよ」
「即答とはひどいにゃー」
「やり手が見つからねえってことは、そんだけ辛いってことだろ?ってか、上条さんには補習という名のデスマーチが待ってるんですよ」
時期はもう、三学期に入った所だ。普通の学生であれば、後もう少しすれば復習とプリントにまみれた消化授業になるだろう。
だが上条の出席日数と成績は、到底『普通』とは言えない状態だ。
そう言った事情から、顔の前で手を振り、否定のアクションをとってはみるものの、土御門は気にした風もなく食らいついて離さない。
「あぁ、その辺は心配無用だぜい?きっちりアリバイを作っておくからな」
「………」
「補習に参加せずに出席日数と単位、50日間遊べる上にお金も貰えて最後には好きなお願い何でも一個叶えてもらえるなんて最高だと思うんだけどにゃー」
「………」
そこまで至れり尽くせりな案件なのだ。それ相応の裏があるに違いない。
上条はそう考えながらも、目の前に提示された魅力的な条件に、少なからず誘惑されていた。
そして勿論、土御門はその些細な心変わりを見逃す男ではない。
「…なーカミやん。ほんとにカミやんは頑張ったぜい?たまには休憩も必要だと思うんだが」
上条と肩を組み、陥落させようと優しい言葉をいくつも掛ける。
そして最後に、上条の性格を逆手に取った言葉を吐く。
「……頼みますたい!こんなこと頼れるのカミやんしか居ないんだって、マジ!」
「………あー、もう。わかったよ。仕方ねーなぁ」
上条は土御門の思惑通り、ころりとその掌の中に落ちた。
土御門はサングラスを直す振りをして口元を隠すと、少しだけ端を吊り上げる。
それからあからさまに喜んだ声を上げ、上条の背中を叩いた。
「いやー、助かったぜい!これで土御門さんのお仕事も減るってもんですたい!」
「へーへー」
上条が半ば呆れたような声を上げながら、右手で自らの頭を掻いた。
もしかしたら自分のお人好し振りに嫌気が差しているのかも知れないが、それを知るのは当人だけだ。
土御門は上条の肩から手を離すと、彼へと更に言葉を投げかける。
「んで、誰と一緒に行きたい?」
「……んー……」
土御門は、任意の相手と外部の施設で過ごすと言っていた。つまり、上条以外の誰かも巻き添えにする必要があるのだ。
「……」
顎に手を当てて、頭の中に人間の顔を思い浮かべてはバツを付けるという作業を繰り返す。
そんなことを数回繰り返しているうちに、上条の脳には一人の少年の顔が思い浮かんだ。
最近、色々な研究に巻き込まれてばかりの、あの白い少年だ。
「(俺が休むんなら、あいつも休むべきだよなぁ……)」
そんな考えに行き着いた上条は、口を開く。
「じゃあ、一方通行で」
「あぁ、了解」

土御門はそう言うと、学生服の懐から取り出したピストルを何の躊躇いもなく上条に突きつけた。











「……あァー、終わった」
学園都市内の、とある研究所の一室。
数々のモニターや機械に囲まれた一方通行は、一人でぼそりと呟いた。
暗部との繋がりが切れたところで、彼の有用性が無くなってしまったわけではない。
あの実験のデータ収集が終われば、次はこの理論の実践と言うように、『器具』としてあらゆる研究団体から依頼が舞い込んでくるのだ。
「(………)」
ようやっと本日分のデータを纏めた一方通行は、デスクに肘を付いて記憶を浚う。
あの、黒髪の少年。
新しいショップが出来たので、話題がてらに一緒に行こう。と。
せっかくの誘いであったというのに、反故にしてしまった。
こんなことは最近しょっちゅうで、きちんと用事が終わるまでに呼び出しが無かったことなど無い。
「(………)」
自らが世間一般から乖離しているという自覚のある一方通行でも、上条に対して申し訳ないという感情くらいは持ち合わせていた。
コンピューターの電源を落としながら、どう埋め合わせをするべきかと思考する。
「(……飯か?)」
恐らくは妥当と思われる答えを導き出したところで、一方通行は皮肉っぽく口元を緩めた。
随分と日和ってしまったものだ、と。
しかしこれはこれで、悪い気分ではなかった。
一方通行はポケットから携帯電話を取り出すと、上条に向けてメールを作成する。
そしてさぁ送信、と言ったところで、研究室のドアの外で小さな物音がした。
「……?」
一旦携帯電話を閉じた一方通行は、その正体を確かめるべくドアへと近付き、そっと外の気配を探る。
小さな足音が徐々に遠ざかっていく音が聞こえた彼は、それが完全に聞こえなくなった後、自動ドアを開けた。
そしてその目の前には、小さなサンドイッチとコーヒーがカートの上に置かれた状態で放置されていた。
「…………」
コーヒーからはまだ微かに湯気が立っており、一緒に漂ってくる香りは一方通行の好むものだ。
恐らくは研究所の誰かが余計な気を回したのだろう、と思い至る。
どうせ依頼は終わったのだから、このまま食事に手を付けずに帰宅することも出来る。が、時刻は既に午後10時を指していた。
これからファミリーサイドに帰宅すれば、午後11時。
「……」
黄泉川や芳川は、恐らくそれでも気にせずに遅い夕飯の準備をしてくれるだろう。
しかし一方通行には、それが嫌だった。
一方通行は小さな音を立てながらカートを研究室の中に運び込むと、マグカップを手に取り黒い液体を口に含む。
インスタントではない、きちんとドリップされた味と香りが口の中に広がっていく。
「(……飯はいらねェ、と)」
上条へ送る予定だったメールを一旦保存しておくと、替わりに黄泉川へとメールを送信した。
研究室の中は、繊細なコンピュータ群に配慮してか若干肌寒い程度の温度設定がなされている。
その中で長時間を過ごしていた一方通行の身体も、いつの間にか冷え切ってしまっていたようだ。
飲み込んだ液体の温度が、じわりと身体に浸透していく。
「………、」
カップの中身を半分程度飲み込んだ辺りで、不意の眠気が一方通行を襲った。
研究ばかりで疲れてしまったのだろうか、と考えながら椅子に座り、コーヒーを引き続き口の中に流し込む。
ほんの一時間程度なら、眠ったとしても誰も窘める事はないだろう。
そんな誘惑が一方通行にまとわりつき、
「……………」
マグカップを空にした一方通行はデスクに突っ伏すような形で夢の世界へと旅立ってしまった。















次に一方通行が目を覚ました時、目の前には見覚えのない空間が広がっていた。
「……ァ?」
最先端技術を惜しげもなく使っている白い床や壁や天井はなく、木や土など一方通行にとっては見慣れない素材が使用されている室内。
ベッド脇や部屋の隅に申し訳程度に置かれているインテリアからは、数十年前に造られたような空気が漂っていた。
「(どォ言うことだ)」
状況を把握するためにベッドから降りた一方通行は、決して広くはないその部屋の中身を隅から隅へと歩き回る。
窓はない。
木で造られ、金属製の取っ手には無駄に豪華な装飾が施されている扉が一つ。
あとは今さっきまで彼が身体を横たえていたベッドと、小さなサイドテーブルの上に載せられている照明器具。
それに、天井に鎮座している小さく粗末なシャンデリアだけが、この部屋にあった。
「………」
試しに取っ手に手を掛けてみるが、鍵が掛かっているらしい。
それは、押しても引いても部屋の外へと導いてくれなかった。
一度舌打ちをした一方通行は首元の電極スイッチを切り替える。
が。
「……何だと」
能力使用モードに、変化しない。
一度、二度、とスイッチに何度手を掛けても、彼の身体にあの演算能力は戻らなかった。
依頼は嘘で、また何らかの実験に強制的に参加させられたのか。
一方通行はそう思い、自らの警戒心の甘さにもう一度舌打ちをする。
兎に角、どうにかしてこの部屋からの脱出を、と目論んでいる途中で、パンツのポケットに入れていた携帯電話が震えた。
「……」
取り出し着信画面を確認するが、番号は表示されていない。
一方通行はそんな相手に、心当たりがあった。
無言のまま通話ボタンを押しスピーカーに耳を当てると、聞き覚えのある声が彼の鼓膜を揺らす。
『どうも、お久しぶりです。一方通行』
「……何の用だ」
一方通行の予想は、当たった。
暗部時代、彼に対して幾度かアクションを取った男。
その男から連絡があったという事は、つまり。
「今更ゴミ掃除でもやらせンのか?ゴキブリはしつこいったらねェな」
『いえいえ』
今更暗部から接触があった程度で動じる一方通行ではない。嘲る口調で相手に尋ねると、予想外の言葉が返ってきた。
『今日は貴方にお別れのご挨拶をと思いまして』
「……?」
穏やか且つ丁寧な口調を変えないまま、電話の男は淡々と言葉を続けていく。
『先の戦争の後、各国と学園都市の間に和平協定が結ばれたのはご存じですか?』
「あァ」
『あまりにも強大すぎる能力を持った能力者は次の諍いの火種になると言った意見がある件は?』
「……聞いたことはある」
『つまりですね』


男の言葉が、一旦途切れる。

『この不安定な情勢の中、余りにも強大な能力を持っている貴方が学園都市に居ると、面倒だという事で理事会が意見を統一し』
「ふざけてンじゃねェ!!」
今まで静かに聴いていた一方通行だったが、言葉が最後まで吐き出される前に怒声で掻き消した。
彼自身、予想はしていた。
いつの時代も、危険すぎる力は権力や人の総意で葬られる。
それを上回る利益を、葬る側にもたらさない限り。
「何が望みだ!第二位みてェに脳ミソだけでボロボロ吐き出すよォな便利なモンじゃねェのは、オマエらが一番知ってるよなァ!?」
つまりの所、ほとぼりが冷めるまで学園都市外で軟禁しておくというのだろう。
しかし、そのほとぼりと言うのはいつ冷めるものなのか。
学園都市には、彼が守るべき存在が両手の指の数以上に存在している。それらを長期間放って置くなど、彼に出来るわけがない。
『落ち着いて下さい、一方通行』
しかし相手は、一方通行の心内を理解することもなく言葉を続けていく。
『妹達の処遇については、親船最中率いる医療チームに全ての権限が委譲されました。芳川氏も冥土返しもその中に参加しています』
「……!」
『貴方が参加していた各研究についても、既に後任が決まっています。つまり』
簡潔な、最後の言葉が一方通行に言い渡される。

『貴方は居なくても良いんですよ、一方通行』

「……!」
ぎり、と。歯を食いしばる音が部屋に響いた。
電話の向こうの相手にも、恐らくは聞こえただろう。
しかし相手は気にした様子もなく、さらに言葉を続けていく。
『本当なら貴方を処分してしまえば良かったのかも知れませんが、捨てる神あれば拾う神あり、とでも言うんでしょうか』
その声には、少しの嘲りが含まれている。
『貴方と一緒に居たい、と言う奇特な人間が居ましてね。その人間に貴方に関する全ての権利を委譲することになりまして』
「………」
男の言うことについて、一方通行の理解がついて行かなかった。
何となく、命の危険は知らぬ内に去ったのだ、と言うことだけが少しだけ彼を安堵させる。
『今の貴方は彼の所有物です。我々学園都市は、貴方にはもう触れることすら出来ません』
「……ハッ」
思わず、一方通行は鼻で笑ってしまった。
知らない間に兵器扱いをされて、知らない間に処分対象にされて、知らない間に誰かの所有物にされていた。
そこに基本的人権などと言う概念は、存在しない。
「そォかよ。ンじゃァその、俺の持ち主ってなァ誰なンだ?ご挨拶くらいはしておかねェと、なァ?」
既に、一方通行は呆れと諦めの淵に立っていた。
そんな事を言い出すのは、恐らく変態的な趣味を持った人間なのだろう。
打ち止めや妹達の安全が確保されたというのなら、もう彼が存在する理由も曖昧だ。
この身体が知らない人間の何らかの捌け口にされると言うのなら、その前に相手を殺して自分も死ぬ。
一方通行にも、それくらいのプライドはあった。
『そうですね。……しかし、その必要はないと思いますよ。何せ』
男の言葉が終わる直前に、堅く閉ざされていたドアの取っ手がぎしりと音を立てた。
電話のスピーカーを耳に当てたまま目線をそちらに向けると、ドアが少しずつ開くのが見える。
『彼のことは、貴方がよく知っていると思いますから』
一方通行の赤い目に、よく知った、見覚えのある黒いシルエットが映る。


『さようなら、一方通行』






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