もう8月も半ばに差し掛かった頃、俺は暑さから逃れるために大好きなデュエルの家を訪ねた。
家主も今日は特に用事が無かったらしく、普段通りの呆れた顔を浮かべた後、俺を招き入れて今に至る。
テレビは死ぬほど下らない内容の番組ばかり流していたので、電源を切った。そして代わりにゲームをしたり、本を読んだり、デュエルの唇にキスをしようとして思いきり頭突きをかまされたり。
何のことはない、一日のはずだった。


「おい、ケータイ鳴ってんぜ?」
午後一時を過ぎた頃、静かな空間に着信音が響く。相変わらず携帯電話の放置癖が抜けないデュエルは、キッチンで紅茶を淹れる準備をしていた。
「わりぃ、誰からだ?」
言われた通りに液晶画面を見てみると、『茶倉』との表示。
デュエルの問いに返答はせずに、着信が続いているうちに、と携帯電話を取り上げて渡す。
何だか嫌な予感がする、と思いながら、ソファに座って紅茶が入るのを待つことにした。

「もしもし。悪ぃな、待たせて」
「え、あ?今日?…まー、特にねぇけど」
「…マジで!?行く行く!ぜってー行く!どこで?」

「五時に海浜公園な、了解!じゃーな」

耳に入ってくる声のテンションで、俺の悪い予感は多分的中したのだろうな、と確信する。
手持ち無沙汰になったのでテレビの電源を点けリモコンを取って適当にチャンネルを回していると、正にその、実現したのであろう、悪い予感そのものがニュースで流れた。


『本日、東京湾沿いで大規模な花火大会が開催され___』
『周辺は時間帯により交通規制が敷かれる見込みとなっており____』
『交通機関は大変な混雑が予想されるため、早めのご来場を___』
『なお、浴衣で来場された方には先着で素敵なプレゼントが___』


夏。
花火。
浴衣。
日本好きを公言してやまない外国人が、この条件を突き付けられて揺れないわけがないだろう。
しかもよりにもよって、茶倉からのお誘いだ。

「なーニクス。今の電話なんだけど」
「…おう」
「鉄の親父さんが、コネで特等席譲って貰ったんだってよ」
「へぇ」
「んで、いつもの面子で花火見ないかって」
「…んで?」
「行こうぜ、花火」

予想通りの誘い文句で、目眩を覚えた。
正直、花火自体は嫌いではない。ただそれに付随する、
「人ゴミやべぇし。あちーし。虫いるし、ヤだ」
様々なマイナス要因を加算して行くと、無理して見に行かなくてもマンションからちょっと見えるくらいで十分だ、という結論に落ち着いてしまう。
「…いいじゃねぇか、風情があって」
俺の返答が不満だったらしいデュエルは、唇を尖らせて反論してくる。
「つーか俺、浴衣持ってねぇし」
「貸してやるよ。何着か持ってっから」
デュエルは俺の横に腰を落ち着けると、執拗に誘ってきた。
普段なら俺が思いっきり乗り気でない時は『あっそふーん。じゃあいーよ、俺一人で行くから』なんて、押してダメなら引いてみる作戦に移行するのだが。
身体が少しだけ触れて、冷房が聞いている部屋なのにデュエルの体温が高いままなことに気が付いた。
バンダナを解き、犬に話しかけるように顔を両手で掴むと、唇が触れそうな距離で尋ねる。
「なんでそんなに行きてぇんだよ。たかが花火だぜ?」
すぐ目の前で、何度か瞬きが行われる。デュエルは俺の眼から視線を外すと、小さく返答をした。
もし動物同志のコミュニケーションであれば、デュエルは俺に負けを認めたことになる。
「………今日逃したら、来年になっちまうだろ」
俺の予想を上回る可愛らしい返答に、思わずにやけそうになってしまった。
素直で可愛らしい人間には、最大級の愛情を込めて捻曲がった言葉を掛けなくてはいけないだろう。
「来年行きゃ良いじゃん」
「…来年も花火大会やるとは限んねーし」
「じゃあ、俺のことほっといて行きゃ良いんじゃねぇ?」
次に、どんな答えが返ってくるのかを予測する。
ふてくされて俺の提案を呑むような答えか、それとも。


「…お前と、…花火見てぇんだよ」

蚊の鳴くような小さな声での返答は、普段の彼からは想像も出来ないほど可愛らしかった。
そんな口説き文句をぶつけられて誘いを断る男など、いるわけがない。
「…ま、今日はヒマだしな。たまには良いか」
敢えて、乗り気では無いと言うスタンスを崩さずに誘いに乗った。
「マジで?じゃあ浴衣準備すっから…」
デュエルは素直に喜び、俺から離れようとしたので、顔から手を離して抱き寄せた。
空調が程よく効いた部屋の中、薄い布越しにデュエルの体温が浸透してきた。
「なんだよ」
その問いに対し具体的な返答はせずに、デュエルの手首を掴むと、俺のジーンズのファスナー部分に手を置かせる。
「………」
「…………」
ひきつった顔で何かを言いたそうに俺のことを見てきたが、満面の笑みで返す。
やがて諦めたように溜め息を一度吐くと、デュエルは小さく頷いて唇を重ねてきた。








ふと、低い振動音で目が覚めた。
どうやらフローリングに置いた携帯が、ガタガタと床を叩いていたらしい。
窓の外を見れば、かなり太陽が傾いていた。ビルの影に隠れているらしく、空は明るいのに太陽は見えなかった。
パチン、と音を立てて携帯を開くと、液晶画面に表示された名前を確認して通話ボタンを押した。
「……もしもし?」
『…あれ?あ、すんません間違えました』
電話の主は律儀に短く謝罪の言葉を口にすると、通話を切った。そして十秒も経たないうちに、また携帯が震える。
画面には、また同じ名前が表示されている。少し込み上げてきた笑いを圧し殺して、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『…あれ?これ、デュエルさんの携帯っすよね』
「そーだよ」
『なんでアンタが出るんっすか』
電話の向こうから素直に質問されたので、こちらも素直に返してやろうと思い、携帯電話を持ち変えた。
「デュエルなら俺の腕枕で寝てっけど。全裸で」
真実を包み隠さずさらけ出すと、ショックを受ける人種はそこら中にいるらしい。
電話の相手は、無言になった。
流石にこのままでは(このまま合流するデュエルが)気の毒だったので、先程と同じ調子で言葉を吐く。
「ま、ウソだけどな」
『…、変な嘘吐いてんじゃねーよ!びっくりすんだろ!?』
「嘘っつーのは世の中を円滑にするために必要なんだよ。覚えとけ、童貞」
『どっ、…童貞じゃねぇよ!』
「ほーら、今嘘吐いた」
枕に顔を埋めて眠っているデュエルの肩を揺らし、目覚めさせる。
少し呆けたデュエルの目の前に、通話していない俺の携帯の液晶画面を突き付けた。
それからたっぷり、三秒ほど沈黙したかと思った直後、酷い音を立ててベッドから下りて寝室から出ていった。
恐らく、浴衣だのなんだのという身支度のためだろう。
「いやー、浴衣で手間取ってよ。まぁ、花火始まるまでにはそっち行くから」
あくまでも一般的な言い訳を並べながら、俺も寝室から出る。
デュエルはリビングで、二人分の浴衣の準備をしていた。
「今替わるわ」
通話中の携帯をデュエルに投げて渡すと、汗で湿った服を脱いで浴衣に袖を通す。
「わりぃ、ほんっとゴメン!…あーっと、今からだと6時くらい」
デュエルも、肩で器用に携帯電話を支えながら浴衣に袖を通す。きちんと麻で織られている生地だからだろう。さらりとした肌触りで、汗で貼り付かずに心地よかった。
帯を付けて、財布と携帯を袂に入れる。デュエルは鉄火と通話しながら着替えているため、まだ帯まで辿り着いていなかった。
「(電話切りゃ良いのに)」
そう思いながらも、口には出さずにデュエルの着付けを手伝った。
「あぁ、うん。駅前だな?了解、じゃあな」
着付けが終わる頃、やっとデュエルは通話を終わらせた。
「あいつって結構粘着質だな」
「オマエほどじゃねぇよ」
簡潔な意見に、これまた簡潔な意見を返される。デュエルも財布と携帯、あと団扇を準備すると、いつものバンダナを頭に巻いた。
キスマークの1つでも残しておけば良かったかな、と感じた。
「忘れもの、ねーよな?」
「財布と携帯ありゃなんとかなるって。ほら、急げ」
身支度を調えたデュエルは、靴箱から下駄を取り出す。正直、日本人より日本人らしいのではないだろうか。
俺は下駄を履くと、一足先に玄関からエレベーターホールまで歩いた。
高層マンションのため、エレベーターを呼ぶにも時間が掛かるからだ。
「(…タバコ忘れたな。ま、飴でも食うか)」
エレベーターの▼ボタンを押し、デュエルが来るまでの間。
先程の、デュエルの言葉が思い出された。



『…来年も花火大会やるとは限んねーし』



その言葉の中に何が隠されていたかなんて、鈍感な俺にだってすぐわかる。

来年は、特等席なんて取れないかもしれない。
再来年は、雨が降るかもしれない。
しかし少なくとも俺は、来年も再来年も、その先だって彼の隣で花火を見続けるつもりがあることを。

あの愛すべき臆病者である彼に、どう伝えれば良いだろうか。













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