日付が変わる頃にはもう、保護者である黄泉川も芳川も、あの人も眠りについている。
そんな中私は、胸の中に溜まっている泥のような汚いものを濯いでしまおうとしていた。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、コップに注ぐ。
それから冷蔵庫に戻して、ソファに座って冷たい水を飲んだ。
口の中から胃の辺りまで冷たく澄んだ液体が伝っていくのに、まだ私の胸の中は濁っていた。
「こんばんは上位個体。良い子はおねんねの時間じゃないの?」
明るくないリビングに、楽しそうな声で番外個体が入ってきた。私はコップをテーブルに置き、彼女を見つめる。
「やだ、そんな怖い顔しないでよ。こっちはあなたの怒りなんだか嫉妬なんだかわけのわからないものを押し付けられて迷惑してるんだからさぁ」
彼女は怖じ気づくフリをしながらも、顔は満面の笑みを浮かべていた。そんな表情が、私には顔面の皮膚が引き攣っているように見える。
音も立てずに私の隣に座ると、まだ水が残っているグラスを手に取り中身を飲み干した。
「…最近、妹達総動員で誰かを探してるね?あなたのイライラはその人が見つからないことから来てるのかな」
彼女は私が探している人間の詳細を、直接は知らない。
私や妹達にとって、実験を止めてくれた恩人。
けれど彼女にとっては、実験を止めただけの無能力者。

彼、上条当麻が学園都市に戻っていない事実が明らかになったのは数日前のことだ。

体調も回復し、またいつかのように遊びに行くためミサカネットワーク内で検索しても、10月中旬から一切の消息が不明になっていたのだ。
妹達の情報により黄泉川の学校に上条が在籍していることを突き止めたので、出席簿をお姉さま譲りのハッキングで覗いてみた。
学校のデータには、『保護者から数日〜数週間休学の連絡あり。成績の低下が懸念されるため、教育資料の刷新が必要』と、記載されていた。
休学、と書いてあるものの、実際に彼が居たのはロシアのど真ん中で。
しかも暴走したあの人を止めていて。
このデータが捏造だということは火を見るより明らかだった。
そしてなぜ学園都市は上条の休学理由を捏造しなければならなかったのか。
なぜ上条は、学園都市に戻ってきていないのか !
「…ううん。多分ミサカはもっと身勝手な理由でイライラしてるんだよって、ミサカはミサカは冷静に自己分析してみる」
そうだ。
今の私にとって、休学理由の捏造などどうでもいいことだ。
もっともっと根幹的な部分で醜い感情を覚えている。
「ふぅん。第一位が縋るようにテレビに食い付いているのが不満ってワケだ」
番外個体は遠回しに、でも確実に言葉を的に当ててくる。
あの人が上条にどんな種類の感情を抱いているのかは、私にはわからない。
もしかしたらあの人自身、自覚が無いのかもしれない。
人に対してマイナスの感情を抱くことが多かったあの人は、私に対してプラスの感情ほぼ全てを注いでくれている。
父性なのか母性なのか兄弟なのか恋人なのかは区別がつかない、ぐちゃぐちゃに混ざった愛情だ。
ただ確実なのは、『何者にも代えがたいもの』であるということだけ。
あの人も成長して、これから色々な形の愛情を覚えていくのだろうけれど。
その細分化した全ての対象の終点が私であって欲しいと願うのは我侭なのだろうか。
「……かみじょう、とうまだっけ?ミサカもネットワーク内の情報でだけ知ってるよ。絶対能力進化計画を止めた人だっけ」
「うん」
「第一位にオトモダチが出来るんならいいことなんじゃないの?」
「あの人にとって上条当麻はお友達じゃないんだよ。そういうモノを越えてるの。それに」
一度言葉を区切ってから、また続けた。
「ミサカと約束をしてくれたもの。必ずあの人を助けるって」
「ふぅん」
番外個体は退屈そうに髪の毛の毛先を指で撫でていた。
「…………」
上条はきっと、関わったすべての人の心を奪ってしまうんだと思う。
お姉様も、妹達も、あの人も。
みんな上条に特別な感情を抱いているからだ。
あの右手で、人がようやっと支えにしていたものを壊してしまってから、その跡地に上条が居座ってしまっているから、皆憧れてしまうに違いない。
きっと確実に上条は戻ってきて、ミサカの約束どおりあの人を助けてくれるのだろう。
それはいい。
ただその後、あの人は上条に一体どんな感情を抱くのだろうか。
尊敬?敬愛?恋慕?友愛?
どちらにせよ、今まで以上に上条の存在が大きくなることに違いない。
あの人に敵以外の存在が出来ることは、本当に嬉しいことのはずなのに。
あの人の交友関係が広くなることは、喜ばしいことなのに。
なぜこんなに、胸の中に澱が溜まってしまうのだろう。
「難しい年頃だねぇ」
「……………」
番外個体はそれだけ呟くと、私の顔を覗き込んできた。
「アレだね。ミサカはぶっちゃけ一方通行が困ればそれで大満足だから」
彼女が足を組み替えると、しゅ、とアオザイが擦れる小さな音がした。
そして、言葉が続く。
「あの人があなたと上条当麻のどちらを選ぶのかって言うのはすごーく興味がある。だから全力で彼を応援するね?」
上条を選べば私との今までの関係が壊れるかもしれない。
感情の区別が曖昧な彼の弱点を見抜いた上で、彼女はそんなことを言うのだ。
「あなたは本当に意地悪だねって、ミサカはミサカは怒ってみる」
「そうだよ?でもそんなミサカもあなたの妹達の一人だってこと、忘れないでね」
番外個体は得意げな笑みを浮かべてからソファから立ち上がる。
「じゃ、ミサカはもう寝るから。上位個体もさっさと寝ないと明日起きられなくなっちゃうよん」
あのニートと同じになりたくないでしょ?と一言余計な言葉を付け加えて、彼女はリビングから出て行った。
私は空になったグラスを手の中で回しながら考える。
妹達以外に上条の居場所に心当たりがある人。
例えば一緒にロシアに行っていたお姉様を頼ればいいのかもしれないが、彼女はミサカネットワークに接続されていない。
おまけに、酷く鬱ぎ込んでいて何も聞くことは出来そうにないと、先に気を利かせていた妹達から報告があった。
お姉様。
御坂美琴が鬱ぎ込む理由。
上条が死んだとは考えたくないが、それに近しい状態と言うことなのだろうか。
「…自分勝手だなって…ミサカはミサカは呟いてみる」
助けて、なんて言っておきながらあの人が私以外を頼ることを快く感じない私。
任せろ、なんて言っておきながら勝手に行方不明になっている彼。
本当に自分勝手なのはどちらになるのだろうか。
考えても答えが出ないと判断した私はグラスをシンクに置くと、寝室に戻ることにした。






それから数日後、夕飯の買い出しに出掛けたあの人が夜遅くに帰ってきた。
少しだけ気分が晴れたような表情を浮かべていて、日課になっていたニュースのチェックをすることもなくお風呂に行ってしまった。
それとほぼ同時刻に、ミサカネットワーク内に通信が入る。


「上条当麻が約二週間ぶりに学生寮に帰宅したようです、とミサカ10032号は安堵しながら全ミサカに情報を発信します」




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