これは、なんという名前の感情なのだろうか。


どこまでも広がる大雪原の中、四肢を放り出している人間が三人居た。
俺は先ほど彼からダメージを受けた体を引き摺りながら傍に寄る。
三人のうち二人には見覚えがあった。
ほんの数日前殺し合いをした人間と、ほんの数日前助けを求めてきた少女だった。
なぜ彼らがロシアに居たのか、俺の貧相な頭では想像が及ばない。
そして最後の一人である、自分と同年代のように見える女性には、学園都市にいるはずの少女の面影が重なった。
取り急ぎ意識が残っている少女の傍らに寄ると、明るい茶色の目が微かに細くなった。
「俺のことがわかるか?打ち止め」
言葉を出す体力すら残っていないようだった。
微かに顎が引かれた仕草を見て、肯定と受け取る。
外気温は一桁だというのに、酷い量の汗が彼女の肌を伝っていた。
科学側から何らかの攻撃を受けているのか、それとも魔術側からなのかすらわからない俺は、右手を彼女の額に当てた。
幻想を壊す甲高い音が響いたかと思うと、鈴の音のような可愛らしい声が耳に届く。
「……、…ありがとう、上条当麻…っ、て、ミサカはミサカは…」
彼女を含む『妹達』が使う独特の言い回しに苦笑すると、そのまま髪を撫でる。
「無理して喋らなくていい。大丈夫だってわかれば、それで十分」
脱力した身体を抱え上げると、想像以上に軽かった。
「…ミサカをどこに連れて行くの、って…ミサカは……」
至極当然な疑問をぶつけてくる打ち止めという名の少女に、俺は笑顔で返答する。
「少なくとも、ここよりは安全な場所、かな」
先ほど理不尽な怒りを俺にぶつけてきた『彼』。
はるか遠く離れた場所にある学園都市の第一位と言う席に君臨していた『彼』に目をやる。
雪原に負けないくらい白一色で統一された服を着込んだ彼の体のあちこちには、赤黒く変色した染みがあった。
もちろんその原因の一端は俺にあるが、それより以前になんらかのダメージを受けていたのだろうと思う。
「レッサー!悪い、手伝ってくれねーか?」
少し離れたところで何やら考え込むような仕草をしている少女に声を掛けると、嬉しそうに足早に駆け寄ってきた。
「お手伝いというのはアレですか?卑猥な意味の」
「違うっつーの。こいつらを安全な場所まで運びたいんだ」
黒髪の、レッサーという名の少女の発言をするりと受け流すと、破壊を免れたトラックのトランクを開く。
彼の目的地はわからないが、少なくともこんな寒いところよりトランクの中の方が断然マシだろう。
毛布を敷き、簡単な寝床を作り打ち止めを寝かせると、残りの二人を回収するために身体を動かす。
「そこまでする義理、あるんですか?」
レッサーからすれば当然の疑問が投げ掛けられたので、これまた軽く返答する。
「俺は、あの子にアイツを助けてほしいって頼まれた。それに、目の前に怪我して倒れてる人間が居る。それだけで十分だ。義理なんてねぇよ」
二番目に、白い戦闘服に身を包んだ女性を抱き上げる。
顔面が血で濡れているため判断がつきにくいが、やはり学園都市に居るはずの彼女とその母親に似ている様な気がした。
しかし俺が知っている『妹達』は、こんなに成長はしていない。
なのできっと、これは他人の空似なのだろう。
その女性をまた毛布の上に寝かせると、最後に彼を抱き上げた。
俺と変わらない身長のはずなのに、酷く軽く感じられた。
ほんの一月半前。
ほんの数分前殺しあったとは思えないほど穏やかな気持ちで、意識を失っている彼を観察する。
月の光の下で怪物だと思っていたモノは、日の光の下では頼りないほどに人間だった。
体温も、呼吸も、脈もある。
血の通った人間だった。
「仕方ないですねー。運転手に話をつけてきます。この貸しは大きいですよ?上条さん」
「はいはい、よろしくおねがいします」
彼。
一方通行も毛布の上に寝かせた時に、ふと、ジャケットの胸元から何か紙のようなものが見えた。
よく目を凝らしてみれば、普通の紙とは違うようだった。さらに、判別できないような文字や見慣れた魔方陣が描かれている。
恐らく俺が右手で触れれば壊れてしまう類のものなのだろう。
下手に触れないほうが得策であると判断し、打ち止めの方に身体を向けた。
「…、あの人って、アイツのことだったんだな」
9月30日。
学園都市に科学の天使が降り立った日。
俺と彼が交差していた日。
今日、彼の声を聞いて思い出した。
あの日、電話の向こうの相手は今ここに居る彼であったのだ。
「…えへへ。…約束を守ってくれるアナタはとても律儀な人ねって、…ミサカはミサカは…、感動してみたり」
「まぁ、今日のは完璧に偶然なんだけど」
苦笑して頭を掻くと、打ち止めも笑う。先ほどよりは体力が回復しているように見えた。
「ここがどこかわかるか?」
問うと、打ち止めは首を横に振る。
彼女が与り知らぬところで一方通行は何かを考え、わざわざロシアまで彼女を連れてきたということらしい。
彼女は学園都市第3位のクローンであり、『妹達』と同じであれば学園都市の高度な医療技術がなければ存在を維持できないようなデリケートな存在だ。
『絶対能力進化』に参加していて、妹達の事情を知る一方通行であれば、そんなことは百も承知だろう。
学園都市に居なければ生きていけない彼女を何故、連れ出したのか。
俺の頭で考えられる理由は一つ。
科学側から何らかのアクションを取られたのだろう。
先ほどの、彼の悲鳴のような怒号のような言葉が思い出された。
学園都市という籠の中でしか生きられないのに、その籠ですら安全でないと知った時、彼は一体どれほど心細かったのだろうか。
「……」
ふと、自分と同い年くらいの女性の方を見る。
その服装から察するに、ロシア兵や魔術師でないことは明らかだった。
つまりは、籠から逃げ出した二人を追ってきた刺客ということなのだろう。
今の一方通行と打ち止めにとって、学園都市は敵以外の何者でもない。
が、怪我を負っている女性を放って置くことなどできるわけがない。
三人とも、心身ともに疲弊していることは見た目で判断がついていた。そんな彼らをどうやって安全な場所まで避難をさせるか。
本来であれば一緒に学園都市に殴り込みに行きたいのだが、今、俺には成すべきもう一つ重要なことが残っていた。
流石に怪我人や重病人を抱えて動くことは、出来ない。
「…、今から、お前らをエリザリーナ共和国って所に連れて行く。そこは学園都市の手が届かない場所だから、きっと安全なはずだ」
制服の内ポケットからメモ用紙を取り出して、俺が助ける必要がある少女の名前を書いた。
打ち止めを助けるために学園都市から脱出してきた一方通行。
科学技術の象徴とも言うべき彼がわざわざ懐にしまっているのだから、恐らくなんらかのヒントが隠されているのだろう。
しかし今の俺では、何も出来ない。
「それから、俺はここから別行動になる。…約束、最後まで守れなくてごめんな」
枕元にメモを置くと、もう一度打ち止めの額を撫でた。
一方通行が目を覚ませば、メモに気付いてくれるだろう。
俺の言葉を聞いた打ち止めは微かに首を横に振ると、また笑ってくれた。
「大丈夫。貴方は約束を必ず守る人だから、って、…ミサカはミサカは…断言してみる」
彼女の言葉を言い換えれば、必ず戻ってきてほしい、ということだ。
「あぁ、わかってる」
俺の言葉を聞いて打ち止めは安堵したらしく、ゆっくりと瞼を閉じて意識を失った。
それから俺は一方通行の方を見て、その色素が抜け切った髪を撫でた。
傷の手当くらいしてやりたいところだが、生憎そんなものは持ち合わせていない。腕も肩も足も顔も傷ついていて、出血している。
俺が殴った彼の左頬を撫でると少し火照っていた。
「…絶対、戻ってくるから」
頬から手を離すと、立ち上がりトラックの外に出た。
すぐ目の前に得意げな顔のレッサーが居て、『さぁ、頭を撫でてください』とでも言いたそうな表情を浮かべている。
「その3人をエリザリーナまで、ですよね?上条さんの心内を呼んで先にドライバーと交渉を完了させた私に、何かすべきことがあるんじゃないですか?」
「あー、まぁ。なんていうか。ありがとう、助かったよレッサー」
求められるがままに髪を撫でると、彼女は嬉しそうな声を上げる。
「では、行きましょうか。少し時間をロスしてしまいましたからね」
俺はまだ壊されていない車両に乗り込み、彼と違う道へと進んでいく。


後ろ髪をほんの少し抓まれて、引っ張られているような気持ちだった。


→A



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