時間という物は、酷く残酷だ。

「おや、わざわざ来てくれたのですか?とミサカは上条当麻に尋ねます」
学園都市での戦争が終わってから数年が経った。
俺ももうすぐで成人と言うに相応しい年齢を迎える。
場所は病院。待合室。
診察待ちの患者達が溢れるロビーで、俺は御坂妹に声を掛けられた。
「あぁ、うん」
「そうですか。ありがとうございます」
正しく言えば、俺は付き添いなのだけれど。





「…おや、…お久しぶりです、一方通行。と、ミサカは身体を起こして出迎えます」
「良ィから寝とけ」

柔らかな日差しが差し込む個室タイプの病室で、彼女は横になっていた。
学園都市と世界を巻き込んだ戦争が終わって二年ほど経過した頃だっただろうか。
生き残っていた妹達の1人が、急逝した。
原因は怪我でも何でもなく、ただのリバウンドだ。急激に成長した分の負担が身体に掛かってしまい、耐えられなくなったのだ、とカエル顔の医者は言っていた。
別に、クローン人間が全員平均寿命まで無事に生きていられるなんて呑気なことを考えていた訳ではない。
しかしだからと言って、これは余りにも早すぎるのでは無いだろうか。
そんなことを考えている途中で、ふと気付いた事があった。
そして其れを証明すべく、チョーカーのスイッチを切り替える。
ミサカネットワークによる代理演算。
その演算用スペースが、一人分減っていた。

「ではその言葉に素直に甘えましょう、とミサカは呟いてベッドに背中を預けます。今日は良い天気ですね、とミサカは一方通行に話題を振ります」
「そォだな。昼寝には向いてそォだ」

それからすぐ、カエル顔の医師から提案があった。
今の技術力があれば、ミサカネットワークのみに頼らなくても演算は可能だということらしい。
例えば精神感応タイプの能力者に思考を拾ってもらったり、全く同一のAIM拡散力場を機械で再現する、など。
俺の答えなんて、最初から決まっていた。
しかし俺が返答する前に、死の淵に立っている妹達からの懇願があった。
『これ以上、ミサカから何も奪わないでください』、と
酷く暗喩的な表現だった。
ただきっと、彼女たちが産まれてから今日に至るまでは奪われるものが多すぎて、一々口に出せなかったのかも知れない。
一人の人間として生きることが出来ないのであればせめて、演算補助の道具として死なせて欲しいと彼女達が願っているのではないか、という解釈は、自惚れだろうか。

「昼寝、ですか。まだ午前10時です。昼寝をする時間にしては早いのではないでしょうか、とミサカは一方通行に問い掛けます」
「昼間に寝てりゃ関係ねェだろ」
「そうですか、とミサカは案外大雑把なあなたの言動に驚きつつ微笑みます」

妹達の死について、一番影響を受けたのは番外個体だった。
妹達の『死にたくない』という恐怖の感情。一万人分の恐怖が彼女を追い詰めて、責め立てた。
死にたくない。
何故こんな感情が芽生えたのか。
上条当麻に。
一方通行に助けられて。
世界というものを知ってしまったからだ。
微かな希望を見せられた後絶望の淵に叩き落とされるくらいなら、最初から希望など必要なかった。
あの、八月の日。
あの、十月の日。
あのままあなたに殺されていれば良かった。
助けてよ。
彼女はそう言って泣き崩れた。
俺に出来ることは何もなく。
著しく精神に不調を来した彼女はカエル顔の医師の下、入院することになった。
まだ安定には至っていないらしく、半年ほど会っていない。
そして打ち止めはと言うと。
彼女が死ねば俺の演算が出来なくなると言うことから、最優先に寿命の『調整』が行われた。
彼女は一日の殆どを人工羊水が入ったカプセルの中で過ごすようになり、限られた時間しか面会が出来なくなっていた。

「…なンか、食いたいもンとかあるか?」
「いえ。先程朝食を食べたばかりなので、とミサカは一方通行の提案を断ります」
「そ、か」
穏やかな風が窓から入り、彼女や俺の髪を揺らす。この空間は、酷く静かだった。
「ああでも」
「?」
「最近病院食ばかりなので正直味の濃い食べ物が恋しいです、とミサカは呟きます。と言うわけで一方通行、あなたは妹達の誰かをファーストフード店に連れて行き、限定メガハンバーガーを奢ってください、とミサカは一方通行に指示します」
「感覚共有かァ」
「はい」
数年前は、こんな穏やかな時間が訪れるなど想像できなかった。
数年前は、こんな残酷な未来が訪れるなど想像出来なかった。
「…何だか眠くなってきました、とミサカは呟きます。…わざわざ来ていただいたのに、…すみません…、とミサカは…」
「…気にすンな」
彼女はそれだけ呟くと、眼を閉じてすぐに眠ってしまった。
カエルの医師曰く、ほんの少し会話をするだけでも、今の彼女にはかなりの負担が掛かるらしい。
保って、後数日。
きっと蝋燭が燃え尽きるように、彼女は静かに息を引き取るのだろう。
今まで見送った、彼女の姉妹たちのように。
「…………」
ふらつく足取りで病室を後にして、上条を待たせている待合室へと足を運ぶ。
彼女で、見送るのは20人目になる。自分から生き残った人数からの割合で言えば0.2%強と、医師を責めることが出来ない確率だ。
自分の力不足が腹立たしいね、と医師の言葉を思い出す。
「一方通行」
不意に、背後から声が掛けられた。
見れば、待合室にいるはずの上条が立っていた。俺が何かを口にする前に、彼が口を開く。
「打ち止めに会ってきた」
「そォか」
上条は俺の手を取り、歩くペースを落としてきた。彼の右手は、いつも暖かい。
彼の存在は、俺にとって身に余る幸運だ。
だからこそ、俺は彼の気持ちに応えることが出来ない。




『久し振りだね、上条当麻』
「よ、打ち止め」
暗い病室の中、打ち止めが入っている人工羊水のカプセルとそれらに付随する機器の画面が柔らかなオレンジ色の明かりを浮かべていた。
『あの人は?』
「一応、元気かな。今は妹達のお見舞いに行ってるよ。後から一緒に来ようか?」
微かなモーター音が響く部屋の中で会話だったが、言葉が聞き取れないと言うことはなかった。
『ううん。あの人が元気ってわかれば、それでいいの』
彼女は、初めて会ったときからは余り成長していない。『死』というリスクから限りなく遠ざける為に、成長を遅らせているらしい。
『……』
「どうした?」
打ち止めは少し目を伏せて、黙り込む。
『やっぱり少し悔しいかも知れないって、ミサカはミサカは呟いてみる』
「?」
『ミサカも貴方みたいだったら、ずっとあの人を独占できたのかもしれない、とミサカはミサカは悪い知恵を働かせてみる』
一瞬彼女の意図を理解することが出来なかったが、暫くしてああ、そういうことか、と納得した。
「横取りしたみたいで、すまん」
苦笑いを浮かべると、彼女は頬を膨らませて。それからまた少し寂しそうな表情を浮かべて笑った。
『…良いよ、言ってみただけ。…ミサカ達がこうなったときから分かってたことだから』
日の光の下、柔らかな栗色をしていた髪は、今ではゆらゆらと海藻のように水中で踊っている。
『ミサカ達が居なくなれば、あの人は学園都市第一位の超能力者じゃなくて、何も出来ないただの人間になる』
淡々と発せられる言葉は、酷くシビアな現実を表していた。
そう。
演算補助がなければ、一方通行は1人で食事すらままならないただの人間になる。
『…その時は、あの人の傍にいてくれなきゃ嫌だよって、ミサカはミサカは笑ってみる』
彼女の笑顔には色々な感情が含まれていて、うまく読みとることが出来ない。
ただ、彼女の言葉に対する返答は決まっている。
「当たり前だろ。任せてくれ」
こちらからも笑顔で返すと、彼女はそのまま安心したように眠りに就いた。
暗くなった部屋から出て暫く廊下を歩いていると、見慣れた姿が目の前を歩いていたので声を掛ける。
「一方通行」
気付いたように顔を上げ、振り向いた際の表情は、泣く寸前のように見えた。
少し歩みを早めて傍に寄ると、左手を取って身体を支えてやる。
俺の右手の中に収まっている手は、酷く冷たかった。
「打ち止めに会ってきた」
「そォか」
あまり会話は続かないのはいつものことなので、特には気にしない。
病院の広いロビーの中は行き交う人々で賑やかしいというのに、この二人だけの空間は酷く静かだ。
偶々空いていたソファに腰を掛けると、繋いでいた手を離して指を絡める。
一方通行は何も反応を示さない。嫌がることも喜ぶことせずに、静かに床を眺めていた。
「……一方通行」
名前を呼んだところで反応がないことも知っている。このような、病院での逢瀬は何度目になるだろうか。
「…いや、」
初めて『彼女』を『彼女』として認識したのは、妹達の葬儀の時だった。俺はまだ高校生だったので、くたびれた学ランを着て出席したのだが、決して多くない出席者の中に見慣れない人物がいた。
正しく言えば、『人物自体には見覚えがあったが、その服に違和感があった。』
彼女は首元から爪先まで黒一色に染まっていて、シンプルな女性物の喪服を着用していた。
皆当たり前のように彼女に接していて、誰一人として違和感を唱える者は居ない。
あまりのことに呆然としていると、意外そうに「おや、知らなかったね?」と同席していた医師に声を掛けられた。
そして学園都市第一位の化物として君臨していたヒトの本当の名前を教えられた。




「…百合子」




その事実を知ってから、日々弱々しくなっていく彼女に対して積極的に関わるようになった。
病院に付き添うようになったり、引きこもりがちになった彼女を外に連れ出すようになったり、と。
そしてある日想いを伝えたのだが、思い切り拒否されてしまった。
理由は教えて貰えなかったが、きっと自分には相応しくない、などという下らない考えに基づいていたのだろう。
「……お前がなんて言ったって諦めるつもりはないし、俺はずっとお前と居る」
情け無いことに、下衆なことに。
俺はあの日、真っ黒な服を着て虚ろな紅い眼をした彼女を綺麗だと感じてしまった。
妹達を喪い、少しずつ能力を失っていく彼女が愛しくて堪らないのだ。
「…そォか」
彼女の心の中で妹達が占める割合は、きっとどうしようもなく高いのだろう。
その中で、俺はどれくらい彼女を占めることができるのだろう。
「そうだよ」
何度無理矢理手に入れてしまおうと思っただろうか。
手段さえ選ばなければ彼女を俺のモノにしてしまうのはいつだって可能だ。
でもそれでは、意味がない。
「…今日、上条さんちで晩御飯どうでしょう」
今の雰囲気を払拭するように話題を変えた。
時刻は丁度正午を回り、昼食時間になったからだろう。待合室からは人が次々に消えていく。
「…また、ショボい飯なンじゃねェの」
「いやいや、腕によりをかけて作らせていただきますのことよ」
いつの日か解らないけれど、鈴科を支えている、ギリギリに張り詰めている糸が切れる日を心待ちにしているなんて知られたら、嫌われてしまうだろうか。
「否定しないってことはオッケーだな。じゃあ、買い出し手伝ってくれ。卵が安いんだ」
「…下らねェ」
手を離してベンチから立ち上がると、その手をそのまま彼女に差し出す。
彼女はそれには頼らずに現代的なデザインの杖に体重を掛けると、ゆっくりと立ち上がった。
「(…時間が傷を癒すなんて、嘘だよなぁ)」
少なくとも彼女にとって、時間とは傷を抉り続ける凶器でしかない。
そして俺はと言うと、彼女の幸せを願いながら彼女の不幸を望んでいる。
彼女が俺といることが、彼女の幸せになれば良いと。
「百合子」
「あァ?」
「ずっと、傍にいるからな」
「…………」
並んで歩きながら彼女に笑いかけるが、返事はない。
否定も肯定もなく、柔らかな日差しの下で白い髪が揺れていた。


このプロポーズは、あと何回繰り返せば彼女に届くのだろうか。






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テーマ「人外ファンタジー」
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