上条が目を覚ますと、知らない天井が目の前に広がっていた。
正直彼にとってそんなことは日常茶飯事だったので、とにかく身体を起こして情報収集をすることにする。
「…、いってぇ…」
少し身体を動かしただけだというのに、響くように左腕が痛んだ。
着用しっぱなしだった学ランの腕を捲ると、注射をされたような赤い点が残っている。
「(……土御門の奴……)」
上条は右手でその痕をさすりながらベッドから降りると、部屋の中を探って行く。
古めかしい、臙脂色の絨毯が敷かれている床。
歴史の教科書の写真で見たことがあるような、そこそこに豪勢なシャンデリア。
それと、何か書き物でもするためにあるのか。立派な机と椅子が一組部屋の隅に置かれていた。
窓については、何故か内側に鍵穴が向けられている。試しに机の引き出しを漁ってみれば、一つのリングに纏められた鍵の束が入っていた。
「……何か」
設定的には良くある脱出ゲームの様に感じられる。
恐らく、謎の亡霊を倒しつつ洋館を脱出した後は、悪の親玉が待つ都会のビルに殴り込むのだ。
「(………つーか)」
現実逃避から戻った上条は、一緒にいるはずであった白い少年の姿を探す。
この部屋には、上条しかいないからだ。
首を捻りながら鍵の束を弄くっていると、ポケットに入っていた携帯電話が低い音と振動を上条へと伝える。
彼が着信画面を確認すると、そこには見覚えのある名前が表示されていた。
上条は一度溜息を吐くと、通話ボタンを押してスピーカーを耳に当てる。
「もしもしー?」
『おー、カミやん。グッドモーニングですたい』
「………」
自分をこの場所へと招いたクラスメイト且つ、お隣さんである彼の声を聴いた上条は、頭を掻いて言葉を返した。
「ここがお前の言ってた施設か?」
『そうだ。ついでだし色々事前に説明しておくか』
スピーカーの向こうで、ぱらりと紙をめくる音が聞こえる。どうやら、中々に長い話になりそうだと感じた上条は、ベッドに腰を下ろしてその話に耳を傾けた。

要約すると、上条達が居るのは学園都市ではない、日本の某県。
50日間この館で過ごし、適当にレポートを書いて最終日に提出すること。
食料や生活用品は準備してあるが、他に必要なものがあれば自分で買い足すこと。
それに。
『一方通行のことなんだが』
「あぁ」
『今はカミやんとは別の部屋に寝かせてある。んで、アイツに関する一切の権利はカミやんに移してあるから、どう扱ってくれても構わない』
「……は?」
突然の言葉に、上条の思考が止まった。
一切の権利と言われても、平凡な男子高校生である上条にはその意味が理解できない。
土御門もそれを理解したのだろう。さらに簡単な言葉を探しているようだった。
『んー、簡単に言うとだな』
一旦言葉が途切れ、ほんの少しの沈黙が訪れる。
『今、一方通行は社会的にカミやんの所有物になってる。極論を言っちまえばついうっかり殺してしまっても誰も咎めないって事だ』
「……殺す、って」
突然現れた物騒すぎる言葉に、上条は思わず息を呑む。しかし言葉を発した本人は悪びれる様子もなく、いつものように。
笑いを含んだ言葉を続けていた。
『まーカミやんのことだ。さすがに殺すって事はないだろうから、一方通行の立場って感じで覚えておく程度で良い。あと、最後に二つ』
土御門の長い説明は、もうすぐ終わりを迎えるらしい。ちらりと携帯電話のバッテリーを見れば、残量が心許ないことを表すマークが表示されていた。
「何だ?」
『一つ目は、《一方通行に余計な情報を与えるな》。何せアイツは頭が良いからな。能力が使えなくとも、ちょっとした情報だけでソコから逃げ出す方法を編み出しかねない』
上条は、土御門の言葉に小さく相打ちを入れてその意味を受け取った。
つまり、一方通行が脱走しないようにして置かなければいけないという事らしい。
『あとはまあ、《なんか解んないことがあったらこちらまで》ってとこですたい。簡単な質問なら答えられるから、お気軽に』
「…おう、了解。あ、いきなりで悪いんだが」
『何だ?』
「ここって電気通ってんだよな?携帯の充電をしときたいんだけど」
お気軽に連絡を、と言われてもその手段がなければ何の意味も成さない。
土御門は思い出したような声を上げると、その道具の在処を口にした。
『あぁ、充電器なら机の引き出しの一番下に入れてある』
「ん、ここか」
ベッドから降りた上条が言われた場所を探ると、確かにそこには充電器があった。

一つは、上条にもよく見覚えのある。
携帯電話を購入した際に無料で貰えたりするような形だった。
しかしその横にある、細いコードのようなものは。
上条が初めて目にする形のモノだった。

『コンセントは枕元の壁紙を剥がした下にある一個だけだ。使い終わったらちゃんと隠しておかないと、アイツに足下掬われちまうぜい』
楽しそうな声色の土御門をよそに、上条はその、細く長いだけのコードを手に取った。
片方はよく見かけるプラグの形状だが、もう片方はまるで小さなUSB端子のようだ。
パソコンやその周辺機器の充電器とも、違うらしい。
「なぁ土御門、このもう一つの奴って何に使うんだ?」
『……あー、それについてはまた後日使い方を連絡する。まあ何だ、一方通行の様子が可笑しくなったら使えばいい』
「?、そうか」
とにかく、今すぐ必要と言うものではないらしい。そう判断した上条は言われたとおりの場所にあったコンセントを使用し、バッテリーの充電を開始する。
ただ、充電を行ったところで。
案内役のチュートリアルは既に終了してしまったわけなのだが。
『んじゃーカミやん。健闘を祈るぜい』
「あぁ。じゃーな」
通話は滞りなく終了し、上条は電源ボタンを押した。土御門から一方通行が屋敷のどの部屋にいるのかを聞き出し損ねてしまったが、学園都市ほど広いわけはない。
そう考えた上条は鍵の束を学ランの内ポケットに仕舞い込むと、部屋から出た。





「…あ、起きてたのか。一方通行」
「……っ、オイ!どォ言うことだ!オイ!」
上条が一方通行の元に辿り着けたのは、部屋から出て約15分後のことだった。
意外なことに、この屋敷の廊下の窓には雨戸が取り付けられ、全て厳重に外側から鍵が掛けられていた。
老朽化が進んで欠けた雨戸の隙間から入る明かりだけでは足下に不安があるので、この鍵の何れかで開ける必要があるだろう。
そんなことを考える上条を無視した一方通行は、物言わない携帯電話に対して怒声を浴びせていた。
上条がちらりと目をやると、液晶画面が暗いことがわかる。
「なぁ一方通行、もう電池切れてんじゃねぇの?ケータイ」
「…、っ…!!」
それを、指摘されることでようやっと気付けた一方通行の顔が歪む。
充電手段があることを申し出ようかと思った彼だったが、土御門からの言葉が脳裏を過ぎった。
「(……まぁ、教えなかったからって死ぬわけじゃねぇもんな)」
彼は言葉を飲み込んだ後、次に吐き出すべき言葉を脳内で組み上げる。
先程液晶画面を見た記憶によれば、上条が最後に食事を採ってから半日以上の時間が経過していた。
恐らく一方通行もそうであろうと上条が思うのも、無理はない。
「なぁ一方通行、腹減ってねぇ?」
「……ァ?」
事態を把握していない上条の呑気な言葉に、これまで携帯電話に向かっていた一方通行の感情の矛先が、上条に向かった。
ただのプラモデルになってしまった携帯電話をベッドに投げつけた一方通行はつかつかと上条に歩み寄り、彼の胸ぐらを掴み上げる。
「何のつもりだ」
「え?」
その赤い眼は、敵意という感情を剥き出しにして上条を射抜いた。
上条としては、なぜ一方通行がそんな表情をするのか。
理解が出来ない。
「何が目的で俺をここに連れて来た。正直に吐け。返答次第ではオマエだろォが関係無ェ。血とクソが詰まった袋に変えて吊す」
その声は、確かに本気だった。
ふざけた言葉を返せば、まず間違いなくその言葉の通りに彼は行動を起こすだろう。
しかし。
上条の胸ぐらを掴むその手は、酷く非力だった。
それを、彼自身が理解できないわけがない。
土御門のことだ。恐らく能力が使えなくなるようなことをされたのだろう、と上条は推測した。
しかし例え能力が使えなくとも、一方通行は諦めずに全力を尽くして足掻く。
その様が、彼には酷く哀れに見えた。
上条は一方通行の手首にそっと触れると、骨が軋む感触が伝わってくるほどに握り込む。
「んな余計なこと、考えんなよ」
「っ、ぎ!?」
華奢なその手首は、上条のものより一回りは細い。血管を急に圧迫されたためか、白い手の甲に幾つか筋が浮かんでいく。
痺れるような痛みに、一方通行の手が一瞬弛んだ。
そしてその隙を見逃すほど、上条は優しい人間ではない。
「…っ、」
一方通行を支えている杖を外側にずらすように蹴り飛ばせば、体重の軽い彼はそれに釣られてバランスを崩す。
「オ、マ」
どう贔屓目に見ても、『友人』に対して許される行動ではない。
しかし上条は気にすることもなく、身体の右側から倒れ込んだ一方通行にのし掛かる。
ほんの、一瞬の出来事だった。
「………!」
「だからさぁ、そんな怖い顔すんなって。な?」
一方通行を冷たい木の床に貼り付けた状態で、彼は笑いかけた。
上条からすれば、この施設はただ単に休養を取るための場所。
しかし一方通行にとっては、いつ解放されるかも解らない牢獄に等しい場所。
お互いがお互いを理解できなくても当たり前だと許されるくらいには、認識に差違があった。
「今から飯作ってやるよ。何食いたい?」
普段と、何ら変わりのない言葉。
一方通行にとっては、それが信用できなかった。
現に、ほんの少し心を許しただけで軟禁されてしまっているのだから。
「……要らねェ」
「そう言うなって。腹減ってんだろ?」
「同じ事言わすンじゃねェよ。クソ野郎」
この施設で信じられるのは、自分自身しかいない。
周りの人間は全て敵でしかない。
ある意味懐かしい感覚を思い出した一方通行はそのまま、上条と目を合わせることすら止めた。
彼が首を動かす度に揺れる白い髪が、同じく白い肌にひたりと貼り付いていく。
「………そうか」
些細な、変化だった。
今上条の前にいる一方通行は、今まで彼が見たどの『一方通行』でもない。
端的に言うのなら、『悲しそうな』、という言葉が似合うのか。
怒りでも諦めでもない、負の感情。
ただその表情を浮かべている一方通行は、上条の眼には酷く頼りなく、儚く見えた。
このまま乱暴な真似を働いたら、砕けて壊れてしまうのではないかと勘違いさせるほどに。
「………」
「…………」
部屋の中は、極端に無音になった。
一方通行は抵抗を止めたまま、脳内でもう一度状況を整理していく。
電話の男が言っていた一方通行の社会的な立場。それについては恐らく嘘偽りのない事実だろう。
一方通行の問に対する上条の返答。全く具体的な言葉を引き出せなかったせいで、何の推測も立てられない。
もし此処から学園都市に戻られる方法があるとするならば、恐らくは上条が必要になる。
例え一方通行に利用価値が無くなったとしても、上条にはまだ価値が残っているはずだ、と。
一方通行は打算的なことを幾つも脳内で駆け巡らせ、口と眼を閉ざす。
それは、余計な情報を取り込まないようにという防衛行動だった。
ただ上条には残念ながら、その意図が伝わらなかったようだったが。
「………」
ごく、と上条が唾液を飲み込む。
散らばった髪の隙間から見える首筋が、酷く艶めかしいモノに見えたからだ。
そろりと左手を伸ばして触れてみれば、今ほど激しく動いたせいだろう。
しっとりと湿っていた。
彼がこれまで有害と判断していたもの全てを拒絶していたその肌に触れることは、思い返してみれば初めてだった。
確かめるように撫でると、それを不快と感じたらしい一方通行の目蓋が開き、赤い眼だけで上条をじろりと見る。
「……男の身体なんか触って、何が面白ェ」
上条はその問いに返答せずに、引き続き白い少年の肌に触れた。


「クソが、……止め、っ」
普通の人間でも敏感な部分である耳朶を爪の先で引っ掻けば、一方通行は唇を噛んで声を殺した。
今上条を突き動かしているのは多大なる好奇心と、ほんの少しの情欲だ。
「はは。やっぱくすぐったいんだな」
予想通りの反応を返された上条は笑い、一方通行はそれを疑問に思う。
彼は彼の目的が、毛の先程も理解できなかった。
「……オマエは、何がしてェンだよ」
犯すわけでも、殺すわけでもない。
まるで子供がじゃれ合うような感覚で、上条は彼に触れる。
そして問われた上条はと言えば、いつもと変わらない笑みを浮かべながら簡潔に返事をした。
「お前はさ、難しいこと考えすぎなんだよ。言ったろ?余計なこと考えないで、ここで休んでればいいんだって」
最後にくしゃりと白く柔らかい髪を撫でた上条は、一方通行の身体から退く。
「じゃー俺飯作るけど、本当に要らないんだな?」
未だ床に這い蹲っている一方通行に対して、上条は再度訊ね、つい先程と同じ返事を受ける。
「……まぁ、腹減ってねーんなら良いけど」
上条はつい最近まで一緒に過ごしていた白い少女のことを思い出しながら頭を掻いた。
少なくとも彼女がいる間、食事を抜くなどと言うことは有り得なかったため、もしかして彼自身の食生活が異常なのか、と考えたためだ。
しかしそんな彼の考えなど、一方通行が理解できるわけがない。
ゆっくりと起き上がろうとしている彼に手を貸すこともないまま、上条は何の未練も感じさせない足取りで、部屋から出て行ってしまった。
「………」
一方通行は、上条に触れられた部分を自分の指でもう一度撫でる。
あの暖かな体温がこびりついているようで、兎に角気色が悪かったのだ。
自分自身の無力さに舌を噛んで死にたくなったが、今ここで死んでしまうわけにはいかない。
どうにかして此処から生き延びる方法を、と考えながら立ち上がったところで、再び部屋の扉が開く。
「っ!」
反射的に身体を強ばらせて入り口を見れば、上条が立っていた。
何が目的だ、と一方通行が口を開く前に、上条が口を開く。
「いや、伝え忘れてたことがあってさ。部屋の鍵は開けっ放しにしとくから、好きにしてていいぞ」
「……な、」
一方通行は再び、上条の発言に疑問を抱く。
「んじゃーな」
真意を問いただそうとした彼の声は、上条には届かなかったらしい。
静かにドアは閉められて、彼は部屋の中に一人で取り残される。
「……」
通常、軟禁するのであれば部屋から出ることすら厳重に監視を行うはずだ。
それを行わないということは。
「……っ…!」
一方通行はその意味に気付くと、首筋に取り付けられている電極に爪を立てた。
彼と同じように何の意味も為さず、何の価値もないただの無機物の塊に。





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