普段どおりの諍いが発端となった新事実の発覚の後は、色んな方面が慌しく動いた。
休憩から戻った直後たまたま居合わせた事務員の青年は淹れたてのコーヒーをひっくり返した直後にプロデューサーに連絡を取って、そんなプロデューサーは大慌てで外回りから戻り、主役たる少年に各SNSでの報告を課し、もとい、懇願した。
その情報を受けたファンは文字通り阿鼻叫喚の渦に叩き込まれ、そんな彼らから寄せられるコメントに対し、少年はにんまりと笑う。
何分、本当に急なことなので同じ事務所に所属している他のアイドルたちとは殆ど予定が合わず、彼の誕生日は事務所内でささやかに祝われた。
何せ週のど真ん中。翌日にも予定が詰まっているプロデューサーと事務員が後ろ髪を引かれる思いで会を終わらせたのは、午後十時のことだった。

人通りの減った夜のオフィス街は昼の熱を蓄えていたようで、この時期には珍しく肌寒さを感じない。主役たる少年牙崎は銀髪を夜の風に靡かせながら、上機嫌で歩いていた。
彼の足には真新しいスニーカーが宛がわれていて、感触を確かめるように。跳ねるように歩く彼の足取りは非常に軽い。その背中を、一人の青年と一人の少年が緩やかな速度で追っている。
青年円城寺と少年大河は、降って沸いた彼の誕生日祝いの為に昨日から今日一日にかけて文字通り東奔西走を繰り広げていた。大河は出会った時から変わらない彼の奔放さに呆れつつ、無言のままに歩を進め。円城寺は嬉しそうに笑う牙崎を眺め、頬を緩ませている。
「気に入ったか? 漣」
「まァまァだな。仕方ねーから使ってやる」
「何様のつもりだ、バカ」
「おいチビ、今なんつった」
「やーめろっての。折角の誕生日なんだから」
円城寺の仲裁で、一時視線を合わせ火花を散らしていた少年二人は勢いよく顔を逸らす。珍しく自分から突っかかっていた大河の気持ちは、円城寺にも分からないわけではない。
彼らは円城寺が知る前からの付き合いで、大河曰くその腐れ縁は年を跨いで続いているらしい。人付き合いの輪を広げることが不得手な大河にとって数少ない同年代だ。多少は気になることだってある。
誕生日や出身地と言った『その人を知る為の情報』を当時の大河少年が尋ねたところ、まあ手酷くはぐらかされたらしい。その割りに周囲を良く観察していて、大河が悩んでいる時には必ず声を掛けてきていたのだという。
大河が追えば距離は開いて、放って置くと寄ってくる。正に猫の生態そのものではないだろうか。流石にそう言ってしまうことに気が引けたので、円城寺は大河の髪をくしゃくしゃに乱してやる。
そんな不思議な関係を築いていた時間が長く続いたのに、それを崩す突然の告白である。それは大河が臍を曲げても仕方が無い。見透かされていたことに気付いている大河は気まずそうに髪を直してから、トレーナーのポケットに両手を突っ込み、牙崎の背中に視線をやる。
行く先は円城寺のアパートである。いくら元格闘家二人とはいえ、未成年を夜の街に放り出すことなど面倒見の良い円城寺にできる筈が無いからだ。
「なんかケータイうっせー。ずっと鳴ってる」
「そりゃみんなお祝いしてるからな。明日で良いからちゃんと返しとけよ」
「はは、めんどくせェの」
「おい」
「く、ははは」
まるで酔っ払いのように上機嫌なまま、牙崎はすたすたと円城寺と大河の前を歩く。擦れ違った通行人が目を丸める様を幾度と無く見た円城寺は会釈をして、大河と二人彼の後ろを行く。
やがて見えてきたのは円城寺宅最寄路線の乗り場へと続く、地下道の入口である。巨大なビルが立ち並ぶ夜のオフィス街の中で、それはまるで魚のようにぽっかりと口を開けて、牙崎達同様、帰路に着いているサラリーマンを飲み込んでいる。
ゲームによく出て来るダンジョンみたいだ、と大河がぼんやり考えた瞬間のことだった。入口から漏れる穏やかなクリーム色の光を背にしながら、牙崎が勢い良く振り返ったのだ。
そして、白くしなやかな腕が伸び、一点を指す。
「オレ様喉渇いた。チビ、コンビニ行ってこいよ」
「はぁ??!」
余りにも突然言い渡された命令に、大河は大きな声を上げた。
「聞こえねーのかよ。ほら、そこにあンだろ」
「お前な……!」
「あーもうやめろって。自分が行ってくるから。ほら、何が飲みたいんだ? 漣」
「らーめん屋は残れ。チビが行け」
「…………!!」
余りに高圧的な物言いに、円城寺から見て分かるほど大河の米神に青筋が浮いた。自身の代替案を受け入れないことから牙崎の拘りを見抜いた彼は、一度咳払いをしてから大河に財布を渡す。
「……漣、お前さんが買った飲み物が良いんだってさ」
「え?」
どうやら円城寺の読みは当たっていたらしい。色素の欠けた肌は瞬時に赤みが差して、細い眉尻が勢い良く持ち上がった。
「はァ?! ンなこと言ってねーし!! オマエもさっさと行けっての!!!」
「え、あ、……わかった」
どうやら状況を飲み込めていないのは大河だけらしい。半ば押されるようにして近場の雑居ビル一階に入居しているコンビニへと足を向けた大河は、少し距離を開けてから振り返る。
そこでは顔を真っ赤にした牙崎が円城寺に食って掛かっていて、円城寺は悪びれながらもそれを適当にあしらっている光景が見えた。

「(……やっぱり、円城寺さんには敵わないな)」

いつか吐いた言葉を、もう一度心の中で口にする。
自分も大人になったなら、ああやって彼の真意を測ることができるようになるだろうか。
自分が年を取ればその分牙崎も年を取るわけだが、今は考えないようにする。大河は正面に向き直ると、自動ドアの前に立った。


まるで喧嘩後の猫のようにこちらを威嚇してくる牙崎を宥めるのは、実は中々難しい。円城寺はなんとかそれに成功すると、歩道の脇に寄り彼を手招きする。
素直に横についた彼の旋毛を見てから、行き交うバスやタクシーに視線を移すことにした。
「漣」
「ンだよ」
「本当にびっくりしたんだぞ。誕生日のこと」
「あァ、そーかよ」
興味の無い話題だと言わんばかりに、彼はパンツのポケットからスマートフォンを取り出した。液晶画面には夥しい量の通知が映し出されており、ペースは落ちたもののその件数はリアルタイムで増えている。
祝福されることに喜びは感じるらしいが、その後のお返しが非常に面倒らしい。だるそうな表情で端末を元の場所に戻した彼は、金色の瞳で円城寺を見上げてくる。
「もっと早く教えてくれてたら、色々準備できたってのに」
「オマエらが知らねーって知らなかったし」
「あのな」
「昨日まで聞いてこなかったくせに何言ってンだ、バァーカ」
「…………」
実に痛い場所を突き刺されたので、円城寺は言葉に詰まる。それを見た牙崎は可笑しそうににんまりと唇の端を吊り上げると、悪戯が成功した子供のように言葉を続けていく。
「なァらーめん屋。誕生日っておもしれーな。昨日からずっと、オマエらオレ様のことしか考えてねェの」
くはは、と。笑い声を続けた彼は、更に言葉を続けていく。
「アイツもメガネも、ファンの奴らも、揃いも揃って一日中オレ様のことを考えてやがる。ほんっと、物好きしかいねェ」
「……」
ふと。空気が変わったことを円城寺は察した。彼が本当に傲慢で高飛車で不遜なだけの人間であるならば、そんな言葉は出てこないはずだ。
だからこれは彼が垣間見せる『最強の殻の中身』である。だがそれは迂闊に触れてはいけないものだ。円城寺は思わず伸びそうになった手を引いて、彼の言葉に耳を傾ける。
「一日前に教えてこーなら、来年はどーなんだよ。ずっとオレ様のこと考えンのか? 変なの。バカばっかだな!」
余りにもあっけらかんと、満面の笑みを浮かべてそんなことを言うものなので。円城寺の方が呆気に取られてしまう。自分に好意を寄せている人間を物好きと評するとはつまり、自身の卑下に他ならない。
つまり彼はどこかで。無意識かもしれないが、自分に重きを置いていないと言うことだ。そんなことは、円城寺には許せない。
牙崎は大河にとって、また円城寺にとっても水面に映った対照の存在なのだ。たとえ誰がなんと言おうと彼のダンスは観たものを虜にするパワーに溢れているし、三人のうち誰が欠けても彼らの関係は成り立たない。
だから円城寺は極めて穏やかに、彼に同調することにした。

「……そうだな。来年はどうするか、今晩からずっと考えるさ。再来年も、その先も」

祝ってもらえないかもしれない。忘れられてしまうかもしれないなどと言った思いを微塵も抱かせないように。
何せ彼の誕生日を知ったばかりなのだ。今年出来なかった事を来年に。また出来なかった事を再来年まで持ち越して、ずっと祝ってやろうではないか。
彼の言葉を耳にした牙崎は一瞬ぽかんと口を開けた後、次の瞬間には大きく笑い出す。ひいひいと腹を抱えた彼は金色の瞳を潤ませながら、息も絶え絶えに言葉を返す。
「折角、教えて、やったんだ。忘れたら、ショーチ、しねぇからな」
「当たり前だろ。あ、プレゼントのリクエストあったら早めに頼むぞ。こっちは万年金欠なんだ」
「知るかそんなの! オレ様の欲しいものくらい、オマエらが考えろ!」
終いにはしゃがみ込んでしまっても、彼の笑いは止まらない。げほげほ、と咳き込む声が聞こえた辺りに、大河がコンビニ袋を提げて戻ってきた。
その整った顔立ちの眉間には思い切り皺が寄っていて、どうしてこのような状況になったのかを円城寺に目線で問うて来る。円城寺自身もどう説明したものかと悩んでいれば、牙崎はすっくと立ち上がって大河の手からビニール袋を引っ手繰る。
中に入っていたのは、大河が良く口にしているメーカーのミネラルウォーターである。その銘柄を確認した彼は満足げにキャップを捻る。
「ま、チビにしてはわかってんじゃねーの。さっさと行こーぜ、オレ様もう眠ィ!」
「その前に。タケルに礼ぐらい言ったらどうだ」
「別にいいよ、円城寺さん」
再び軽い足取りで歩き出した牙崎は、一足早く地下道への階段を下っていく。暗い街の中でも彼の白い手足は浮き上がって目を引いていたが、LED灯の下でも彼が愛用している真っ赤なジャージは人の目を引き付けて離さない。
名は体を表すの言葉通り、彼は肉食獣の牙そのものだ。一番早く食らい付いて、こちらの肉を抉って引き千切って、彼と言う名の存在を刻み付けて離さない。
円城寺にも大河にも出来ないその生き様に抱く思いは、憧れなのか、尊敬なのか、それとも。

「来年は絶対、言わせるから」

小さな決意は、円城寺にしか届かない。
男も小さく返事をすると、帰路を急ぐ。何せ道は、まだまだ先まで続くのだから。
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