プロデューサーとの打ち合わせを終えた円城寺は、できるだけ物音を立てないように室内へと踏み込んだ。
ベッドが三台並んで置かれているその部屋に本日最初に訪れた際、彼と同じユニットの少年たちはそれぞれ部屋の両端に置かれているベッドを指したのだ。
必然的に円城寺が真ん中のベッドで眠ることになったので、午前一時を回った現在。すでに眠っているだろう彼らの邪魔をしないように、ベッドに潜り込むことが彼の仕事となっていた。
「……?」
だが円城寺の予想は比較的すぐに裏切られることとなる。
暗いはずの室内は読書灯が点いているからなのだろう、ぼんやりと明るく照らされている。
そして円城寺が眠るはずのベッドには、一人の少年が寝そべって何かを読み込んでいた。
「…………漣? 何してんだ、お前さん」
「……見てわかんねーのかよ」
「読んでるの、台本か?」
「……」
どうやら大河は眠っているらしい。なぜ牙崎だけが起きて、しかも円城寺のベッドの上で台本を読み込んでいるのか。理由がわからない円城寺はとりあえず小さな声で話しかけながら部屋着に着替え、ベッドの空いたスペースに腰掛けた。
よくよく見ていれば、牙崎もそこそこに眠気が来ているらしい。時折船を漕ぐ様子を微笑ましく眺めながら、円城寺は言葉を掛ける。
「眠いなら寝たらどうだ。明日も早いんじゃなかったのか」
「……っせーな」
吐かれる悪態にも迫力がないことから、それだけ彼が睡魔と戦っていることがわかる。そして彼が理由を話す気がないことも察した円城寺は、彼の様子を窺うことにした。
その違和感は比較的すぐに、拾うことができた。
寝転がり、上体を起こしたままで台本を読んでいる彼は先程から、左手しか使っていない。彼は両利きなので普段であれば気にも留めないのだが、今この時間この状況では何か引っかかる。
円城寺はそっと、牙崎の右腕がどうなっているかを知るために、ベッドの逆側を覗き込む。
「…………」
その。大河のベッドの上では、二つの手が重なっていた。ベッドで安らかに眠っている彼の手が、伸ばされている牙崎の手を取っているのだ。
「………………?」
突然の状況に、円城寺の思考が止まる。彼がこれは一体どういうことなんだ。と口を滑らせる前に、牙崎の口からぽつりと言葉が漏れた。
「……今日、昼間」
「ああ」
「しけたツラしてやがったんだよ、このチビ」
「……そうか」
彼の言葉を正しく訳すと、今日の昼間、大河は何か思い悩んだ様子でいた、と言うことらしい。円城寺はその繋がりをまじまじと観察するのは失礼だと判断したので、すぐにもと居た場所に戻り、腰を落ち着かせる。
「まー、オレ様がフォローしてやったんだけどよ」
「うん」
「……そーいう顔した晩、大体魘されんだよ、チビ。うるさくて眠れやしねえ」
「……」
大河が同世代の少年よりずっとストイックに、目標に向かって邁進する様を、円城寺はよく知っている。
口下手で誤解を受けやすく、だが生来の真面目さのせいで考え込んでしまいやすい、真っ直ぐで優しい少年であることも、知っている。
「どんな夢見てんのか知らねーけど。オレ様の、睡眠の邪魔させるかっつーの」
「……手、繋いでると落ち着くのか?」
「……」
円城寺の言葉に、牙崎の首が縦に動いた。
彼が大河の良いところ、弱いところをよく知っているように、牙崎も大河の色々な面を知っているのだろう。むしろ付き合いが長い分、円城寺よりも多くのことを知っているに違いない。
眠そうに伏せられた金色の瞳はそれでも、大河の寝顔を見つめている。
「知らなかったな、自分。映画の時同じ部屋だったのに」
「オマエ、一回寝たら朝まで起きねーだろ。あとイビキもうるせーし」
「え?!」
「くはは、だっせえツラ」
「……お前なあ」
意地悪く吹き出す牙崎の顔から嘘であることを知った円城寺は、恨めしげに彼の横顔を見る。楽しげに歪む彼の横顔はすぐに整って、再び小さな言葉がぽつりとこぼれた。
「余計なこと言うなよ、らーめん屋」
「言わないよ。タケルが気にする」
「……ン」
こう見えて円城寺に信頼を寄せている牙崎は、彼からの返事を聞いて少し安堵したように、小さく息を吐いた。
その間も大河の安らかな寝息は続いており、微笑ましさからそのままにしてやりたい気持ちは確かに、円城寺も抱えていたのだが。
「……けど、今日は朝から撮影だろ? 悪いこと言わないから寝とけって」
「はァ? ンで……」
牙崎は円城寺の提案に眉をしかめ、不機嫌そうにこちらを向く。言外に、では大河をどうするのだ、と言っている彼を安心させるために、円城寺は少しの恐れ多さを抱きながら、その右手を差し出した。
「漣が寝不足でフラフラしてたら、誰がタケルをフォローするんだ? 今日の撮影、自分は別行動だから何もしてやれないぞ」
「……」
「タケルの心配してるのはよーく知ってるよ。だからこれからは、自分にも手伝わせてくれないか」
「…………」
差し出された手を、金色の瞳はまじまじと眺めている。
今の心境は、野良猫に手を差し出した時と似ているかもしれない。無視されるか、引っかかれるか、噛みつかれるか、それとも。
少し緊張しながら様子を窺っていると、牙崎は何も言わないままのそりと身体を起こした。名残惜しげにタケルの手を離した彼は円城寺の瞳を一度見ると、安堵したような、納得したような、穏やかかつ寂しげな声色で返事をする。

「……そーだな。……オマエなら」
「……」

円城寺が彼らと知り合ったのは、彼らが知り合ってから時間が経ってからなので。また二名ともあまり自分の過去を話したがらない性分をしているので、これまでどうして日々を過ごしてきていたのか、全てを知っているわけではない。
ただ牙崎にとっての大河と、大河にとっての「さがしもの」は同じ位置に属していて、第三者が迂闊に触れるべきものでないことは、十分に察していた。
だから彼の言葉は最大限の信頼を意味していて、円城寺はその事実が、酷く嬉しかった。
「オレ様の睡眠、邪魔すんなよ」
「ああ、努力する」
のそのそとベッドを移動した牙崎は布団に潜ると、すぐに静かになった。円城寺は彼の体温が移った暖かなベッドに身体を横たえると大河の手を取り、その寝顔を見つめる。
一体、これまで牙崎は何度このような夜を過ごしたのだろう。
もしや彼が昼間に寝こけていることがあるのは、こう言ったことで眠れない夜があったからなのだろうか。
どこまでも想像の枠を越えないことを頭の中で考えていると、安らかだった大河の眉間に皺が寄った。
まずい、と思った直後に。瞼がうっすらと開き、青みがかった黒い瞳が円城寺を映し込む。
「……えん、じょうじ、さん?」
「ああ、すまんタケル。起こしちまったな」
「ん……、あ」
大河は寝起き独特の間延びした声で返事をした後、自分が何を握っているのか気付いたらしい。素早く手を離した大河は恥ずかしそうに、布団に鼻から下を埋めてしまう。
「……すまない、円城寺さん。ガキみたいだ、俺」
「……」
体温が消えてしまった手を眺めながら、円城寺は苦笑する。大河に負い目を感じさせないように、いかに甘えさせられるか。なかなかの問題を課せられた彼は、眠気で惚け始めた脳を動かし、選んだ言葉を組み立てて、声に出す。
「気にすんなよ。自分もお前さんと手繋げて嬉しかったんだ。……うん、ほら、手貸してくれ、タケル」
空いた手を動かし誘えば、おずおずと大河の手が掛け布団の隙間から現れたので。円城寺が半ば引きずり出すようにして掴むと、突然のことに大河の目が大きく見開いた。
円城寺の手の中にある大河の手は一回り小さく、細い。
ガキみたい、と言うよりも、二十代半ばの円城寺にとって未成年などガキそのものだ。
「実は自分、誰かと手を繋いで寝ないとイビキがうるさいらしいんだ。協力してくれないか?」
「…………」
にんまりと笑って見え見えの嘘を吐く円城寺に、大河は渋い顔をする。その嘘が自分を想った優しさから出来ていることを知っているので、迂闊に反論も出来ないのだ。
繋がっている手から伝わる体温に安らぎを覚えながら、彼は小さく息を吐く。
「……円城寺さんがそこまで言うんなら、仕方ねーな」
「おう、頼む」
円城寺が握る手に少し力を入れると、大河の手がそれに反応した。左手で読書灯を消すと、室内は本格的に真っ暗になる。小さな言葉で就寝の挨拶を交わした数分後に大河は再び夢の世界へと旅立ったようで、円城寺の両隣からは安らかな寝息が聞こえてくるようになる。
そして暗い室内で、彼は思った。
「(やっぱり、違うってわかるもんなんだなあ)」
繋ぐ手が変わった途端に目を覚ました大河にとって、きっと牙崎の手はそれだけ慣れ親しんだ存在だったのだろう。
無意識に存在を必要としている、無くては成らないと言う点では確かに、大河にとっての彼は、彼自身の名前である牙と同じかもしれない。
若い虎と、付随し虎の武器となる牙が両隣にいるのなら。
道を冠する円城寺に出来ることは彼らが道から外れないよう共に歩くことだろう。
円城寺より付き合いの浅いプロデューサーが付けたユニット名であるが、もしここまで彼らの繋がりが深いことを見抜いたのであれば流石としか言いようがない。
もし機会があったなら、彼に尋ねてみるのも良いかもしれない。そんなことをぼんやりと考えながら、円城寺は静かに襲い来る眠気に身を委ねた。
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