「俺も、オマエのことが、好きだ」

ラストシーンの撮影は一度でOKが出た。
その日の撮影は全体的に順調に進み、日の沈む頃にはスタッフの大半が撤収できるようになっていた。空が薄紫色に染まり始め、辺りの風景の色がくすんできた時間に大河や円城寺はプロデューサーの指示でホテルまでのバスに乗り込んだ。
だがなぜか最後の一人だけが、なかなかバスに戻ってこない。
そんなことをしている内に辺りはどんどん暗くなり、とうとう沈んだ太陽の残光より照り始めた月光が強くなってしまった。
仕方なしに。大河が彼を捜すことを引き受けてバスを降りる。
夜の学校と言うのは七つ知ったら死んでしまうと言われるような不気味な噂が生まれるほど、暗く静かで巨大な施設だ。縁のない生活を送っているとは言え、嫌な威圧感を覚えてしまう。
在校生はとっくに帰宅しているため周囲に人の気配はないという事実が、それを更に加速させているのだろう。
「……」
衣装であるスニーカーで芝生を踏む音。砂利を踏む音。
自分の衣擦れの音。大河はその中に、夜風でざわめく木々の音が混ざり始めたことに気がついた。
濃紺の夜空と対比するように銀色の月の光が降り注ぐ中で、満開の桜の木が揺れているのだ。はらはらとぶつかりあった花同士は互いに散りあって、比較的寒い地方に生まれた大河にとっては生暖かい夜風が、その残骸を振りまく手伝いをしている。
「……」
そしてその桜の木の下で、いつまでもバスに訪れなかった彼を見つけることが出来た。
銀色の光を受けている銀髪は春の夜風にさらさらと揺れて、きらきらと光っている。あまり芸術に詳しくはない、なおかつ、銀髪の持ち主の性分を知っている大河でさえその様を見て、綺麗だと感じてしまう。
だがだからと言って、集合時間に遅れた言い訳にはならない。
思考を一度切り替えた大河は、彼を窘めるために口を開き声を上げようと、した。
「____、?」
突然訪れた不測の事態に、大河の思考は混乱する。
声が出ないのだ。思わず喉を押さえ現状を把握しようとしている間にも桜吹雪は増えて、ひたひたと彼の頬を撫でて地面に落ちていく。
風は相変わらず生暖かく、目の前の少年は動かない。
普段、騒がしいと感じるほど活動的な彼が静かにしている姿をこうして見せつけられていると、改めて彼の体の造りが現実離れしていることを気付かされる。
全体的に色素が薄い、のではなく、欠けている皮膚はうっすらと筋肉の色を透かしていて、遠目から見れば桜の花と同じ様に映る。
金色の瞳は半分ほど伏せられて、細い睫が彼の頬に陰を落としている様さえ見える。ゆるく纏められた銀髪は持ち主の首筋でふわふわと揺れたまま。
そんな冗談のような人間が、学校の制服を着て、赤いパーカーを着込んでいる様子は酷く、違和感がある。
出身地も血液型も誕生日さえわからない彼はもしや、この世のものではないのではないかと、下らない妄想を抱くほどに。

大河は思い切り息を吸い込んで、叫んだ。
少なくとも本人はそう感じていた。
とにかく、思い浮かんだイメージを吹き飛ばしたかったのだ。
幸いなことに身体は動く。徐々に強まる夜風は散らす花弁の量を増やし、ぱらぱらと耳障りな音が鼓膜に響いたので、大河は牙崎に言葉を投げた。
だが喉から音は発せられていないので、正しくは唇がその形が動いたと言うだけだ。それでも通じたのか、彼は静かに瞼を閉じてしまうと緩く首を横に振る。
何を淑やかなことをしているのだ。
オマエはそんな奴じゃないだろう。
大河は下らない茶番を終わらせるべく一気に駆け出して、彼との距離を詰める。まるで邪魔をするかのように強まる桜吹雪を掻き分けながら進み、彼は彼の腕を取る。

次の瞬間、その腕は小さな音を立てて地面へと落ちた。

大河は肘と手首の中間を握り込んだ。
その力に耐えられなかったと言わんばかりに落ちた腕の断面からは花弁が溢れ、音もなく崩れていく。崩壊の様子を見届けた大河の精神は恐慌状態に陥った。
大きな黒い瞳は見開かれて、喉からはひきつった空気が漏れる。
その中で。辛うじて保った正気の一端で彼は、彼の顔を見上げた。
月光を背負った彼が最期に浮かべていた表情は、


「…………っ!!!」
声を上げることも無く、大河の意識は覚醒した。
全身に浮いた脂汗が酷く気持ち悪く、心臓は運動もしていないと言うのに、嫌な早さで脈を打っている。
身体を勢い良く起こした大河は周囲を確認し、状況を整理することにした。
大河はベッドの上にいる。いつの間に着替えたのか、寝間着のジャージを着用している。厚いカーテンの隙間からは白い光が射し込んでいて、部屋全体は薄暗い。
枕元に置かれている携帯電話に触れ画面で時刻を確認すれば、午前六時を少しすぎた時間を表示している。
深呼吸を繰り返しながら出来る限り現実的な思考にたどり着いた大河が出した結論は、「嫌な夢」と言うことだった。
「(……そうだ。夢。夢に決まってる)」
何せまだ朝早い時間だ。大河の隣のベッドでは、寝起きの悪いあの少年が安らかな寝息を立てているはずだ。
普段であれば全く意識することもない事実に縋るように、大河はゆっくりと首を動かした。
その視線の先には人間一人分が入っているような掛け布団の膨らみと、そこからはみ出した銀髪が。
「…………!」


ばたばた、と言う騒がしい足音に気付いたのは円城寺だった。ホテルのロビーで本日の撮影スケジュールと現在の進捗をプロデューサーやスタッフと打ち合わせている途中、真っ青な表情を浮かべながら走っている大河を見かけた彼は事態の異常を察知し、ソファから立ち上がり、声をかける。
「おいタケル! どうしたんだ」
「……! え、ん、じょうじ、さん」
頼ることが出来る数少ない大人を視界に捉えた大河の表情は一瞬和らいだ。だが顔色の悪さは戻らないまま。彼は円城寺に、起きた異変についてたどたどしく説明する。
「あ、あいつ、あいつがいないんだ。昨日、撮影の帰り、あいつ、いなくって」
二十センチも差のある背丈のせいで大河は見上げながら、必死になって訴える。それをどう思ったのか。円城寺はふ、と口元を押さえると、穏やかな声で大河に言い聞かせてやった。
「ああ、漣か。漣ならバスの一番後ろで寝てるとこ、二人で見つけただろ? そんでホテルに着く前にお前さんも寝ちまったから、師匠と自分で部屋に運んだんだよ。寝ぼけてるのか、珍しい」
「……でも、部屋に」
「さっき廊下ですれ違った時、風呂に行くって言ってたな。お前さんも朝風呂ですっきりしてきたらどうだ? ここの露天風呂は最高だぞ」
大きく暖かい手のひらでわしゃわしゃと髪を乱された大河はそこでようやく、恐慌状態から抜け出した。
途端に、取り乱した姿を見せてしまったことに羞恥を覚えた大河は、周囲で驚いた表情を浮かべている大人に対し頭を下げる。
円城寺も同じように会釈をした後、大河の背中を優しく撫でながら。思い出したように言葉を続けた。
「そう言えば、漣の顔色も良くなかったな。二人して、怖い夢でも見たのか?」


「……」
湯の中で、何度も掌の開閉を繰り返した。
掌を見て、甲を見て、爪の先を、指の間接を。
普段と何一つ変わらない腕を見て、持ち主はほっと息を吐いた。
自分の身体が崩壊する夢など、気分が悪いに決まっている。気分転換にと、円城寺に勧められた露天風呂に身体を浸しているのだが、岩の近くには桜が植えられているらしい。
ひらひらと舞い落ちる花弁が湯に浮いて、それがあのイメージをちらつかせるので、非常に気分が悪い。
天気が良く、雲一つない青空が広がっていることだけが唯一の救いと言っても問題ない。
少年、牙崎は髪が湯に浸らないよう簡単に纏め直すと、肩までしっかりと身体を沈ませる。部屋を出る前に覗き見た時、大河は静かに眠っていた。
彼に自分が弱っている姿など、見せるわけにはいかない。
夢は夢だと思考を切り替え、暖まった両手で自分の顔を一度覆った彼は、すぐに身体を起こした。
露天風呂の入り口から、人の気配がしたからだ。
「……」
片田舎の小さなホテルはドラマ撮影の関係者だけでほぼ貸し切り状態となっている。つまりこちらに向かってくる気配も関係者の一人ということなので、本来ならば警戒する必要もないのだが、今の彼は非常に虫の居所が宜しくない。
見るものすべてを威圧する金色の瞳で出入り口を睨みつけていた牙崎だったが、ほんの数分後に肩透かしを食らうことになる。
出入り口から訪れたのが、つい先程まで眠っていたはずの大河だったからだ。
「……」
「……」
互いに会話はない。だが大河は湯船に身体を沈めると、ちらちらと視線を向けてくる。その刺激に気付かないはずがない牙崎は、胸の内のざわつきを押さえながら彼に声を掛けた。
「なにしけたツラしてんだ、チビ」
「っ、……別に。大したことじゃない」
「じゃあ陰気なツラすんなよ。見てるこっちがメーワクだぜ」
「……」
「……」
普段であれば口喧嘩に発展するはずのやりとりなのに、大河は口を噤んだまま静かに俯いてしまった。
これはどうやら、重症だ。そう判断した牙崎が汗で湿り始めた髪を掻き、どうしたものかと対応に迷っていると、遠くから雀の鳴き声が聞こえてくる。
それからほんの数秒後、大河は小さな声で牙崎に言葉を投げた。
「……なあ。腕、見せてくれないか」
「…………は?」
余りに唐突な言葉に素っ頓狂な反応をしてしまったが、言いだした本人の表情は至って真面目である。それで彼の気分が持ち直すなら、と。牙崎は少しだけ彼に近づき、右腕を差し出した。
「ン」
「……ああ」
少し熱いほどの湯に浸った腕はすっかり桜色に染まっていて、嫌でも悪夢を連想させる。大河が恐る恐るその腕を取るので、尚更だ。
ちゃぷ、と湯が揺れる音をさせながら。大河は自分の手の中にある牙崎の腕を確かめた。
皮膚と筋肉と、腱と骨の感触が確かにあって、少し力を入れた程度ではびくともしない。牙崎漣と言う名の少年は確かに、ここにいる。
「……嫌な夢、見たんだ」
「くは。ンで怖くてしかたねーってか。だっせえの」
「……」
牙崎の嘲笑に対し、大河は否定も肯定も、反論さえしなかった。毒気を抜かれた牙崎はひとまず原因を探ることにしたのだが、何分彼も彼で今日は今朝から疲れている。
「で、どんな夢だっだんだよ」
「……言いたくない」
直接的な言葉には、同じような言葉が返ってくる。
だが彼の腕を宝物のように大切そうに撫でている大河に、それ以上は聞くことが出来なかった。
低い外気温に合うように設定されている湯の温度は通常よりも高めである。いつまで撫でているのだ、と腕を引こうとした時に、再び小さな声が牙崎の鼓膜を揺らす。

「勝手に、行くな」

どこかで聞いたような言葉に、牙崎の腕はびくついた。
もしや目の前の少年も、自分と似たような夢を見たのだろうか。
訊ねて確認することは簡単だが、言葉にすることは躊躇われた。
寝起きで呆けていると笑われても構わない。
ただただ単純に、口に出すことで夢が形を持って現実となるのではないかという可能性ですら、今の彼らには酷く恐ろしかったのだ。


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