静かな夜の住宅街に、ワゴン車のドアが閉まる音が響く。
周辺の住民の迷惑にならないように静かに別れと慰労の挨拶をプロデューサーと交わした円城寺、牙崎、大河の三人は、十日分の荷物が詰まったバッグを担いで目的地に向かって歩き出した。
この時間では公共交通は既に本日の営業を終了しているし、何より未成年が夜道を歩いていては補導されてしまう。そんな理由から、牙崎と大河は円城寺が住まうアパートに一泊することになったのだ。
「あー、くっそ疲れた。腹減った。肉食いてェ。ラーメンとか」
「まあまあ、明日はオフだしな。ラーメンならいくらでも作ってやるよ」
「ショージンリョウリってなんだよ。食った気しねえって、あんなの」
「あはは」
体重制限のある競技経験の無い牙崎にとって、食事制限はかなりのストレスだったらしい。減量経験のある大河は特に気にしたふうもなく、円城寺とて現役時代より身体を動かす場面が減ったため、多少は食事の質を変えている。
「あれぐらいで根を上げるとか。オマエ、意外と根性ないんだな」
「あァ?!」
「夜なんだからやめなさい。ほら、着いたぞ」
つい先程まで居た山より標高が低いとはいえ、十一月下旬の夜は冷え込みがきつい。円城寺が先頭に立ち階段を静かに上ると、背後には並んで二人分の足音が響く。
この時間では両隣の住民も夢の世界に旅立っているに違いない。一つのリングに纏められている鍵達がぶつかり合う金属音さえ最小限にしてドアの鍵を開けると、大河と牙崎に先に入るように目線で促した。
俺が先に入る、と言わんばかりの両名が円城寺を押し退けて、ほぼ同時に靴を脱ぐ。それらを見届けた彼は静かにドアを閉めると、部屋の照明を着けて郵便受けを確認した。
贔屓にしているスーパーからのダイレクトメールに、地域のお便り。急を要するものは届いていなかったので、取りあえず中身を回収した円城寺はそう広くない室内で睨みあっている牙崎と大河に声を掛けた。
「はいじゃあ布団敷こう。そっちの押入れに入ってっから。寝間着は俺のシャツでよかったら余ってるやつあるぞ」
二人は同時に頷いて、牙崎は押入れから布団を三組取り出し、大河は円城寺から彼が普段着用している店名が入ったシャツを受け取った。
「オレ様こっちな。チビはそっちで寝ろ」
「言われなくても、誰がオマエの横でなんか寝るかよ」
そう広くない部屋に三組の布団が広げられ、当たり前のように川の字の両端に大河と牙崎。中心に円城寺が入ることになった。大河から投げつけられるようにシャツを渡された牙崎はさっさとジャージの上下を脱ぐとTシャツを頭から被り、布団の中へと潜り込む。
こんもりと膨らんだ布団の端から銀髪がはみ出ているのが、まるでかくれんぼに失敗した子供のようだ。タケルも同じように着替えを済ませると、もぞもぞと布団に潜り込んだ。
「おやすみ、円城寺さん」
「おう。俺もすぐ寝るから」
「うん」
短い会話の後。五分もしない内に、静かな寝息が聞こえ始めた。なんだかんだ言って、慣れない場所で十日間も過ごすのは彼らにとって中々のストレスだったのかも知れない。
円城寺は静かに着替えを済ませると部屋の照明を落とし、彼らの睡眠を邪魔しないように静かに布団に潜り込んだ。暫く押入れの中で眠っていた布団は湿気を吸い込んでひんやりとしていたが、彼の体温が徐々に移っていくおかげですぐに温まってくれた。
自慢ではないが、円城寺もかなり寝つきが良い部類の人間だ。慣れた自宅に戻ってきたことによる安堵も手伝って、身体を横たえた数分後には睡魔に身体を任せていた。

それからどれ程の時間が経過したのだろうか。ずしりとした圧迫感を身体に感じた円城寺は、薄らと瞼を開けた。
豆電球だけが点灯している部屋は穏やかな暗いオレンジ色に染まっている。そして自分の腹の上には、すぐ隣で眠っているはずの少年がいた。
薄暗い室内の中、逆光になっているため表情は窺えないが、形の良い唇は両端を吊り上げているように見える。
「……漣?」
眠気が覚めやらないままぼんやりとした声で名前を呼べば、くは。と声を上げずに少年が笑う。
彼は円城寺の掛布団を捲ると直接彼の下腹部に跨り、鼻先が触れ合うほどに顔を近づけてきた。
「なァらーめん屋。寒くねえ?」
「……そりゃ、お前さんが布団取っちまったからな」
「くはは、そーだよなあ。俺も、寒い」
就寝の為なのか、普段纏められている銀髪がさらさらと広がって円城寺の頬を擽る。彼が普段着用しているサイズより一回りは大きい黒色のTシャツは彼の白い肌を余計に際立たせて、浮いた鎖骨や余った襟首の隙間から見える肌が非常に、目の毒だ。
寝間着の下を用意していなかったので、Tシャツの下は下着だけだ。白い脚が円城寺の足に絡み、何かを強請るように触れられる。
「暖めてくれよ」
「れ」
「溜まってんだろ、なあ」
彼の白い手が円城寺の耳を包むように回り、同じく白い指が癖の強い黒髪に絡む。しゃりしゃりと、髪を弄ばれている音を聴きながら円城寺が諌めようと口を開こうとするも、彼の親指が円城寺の唇を撫でてくることで阻止された。
目の前で弓の形になっている唇の隙間から長く滑った舌が現れて、彼の上唇をぬるりと唾液で濡らしていく。銀髪の隙間から見える金色の双眼は円城寺を獲物だと確信しており、とても愉しそうに歪んでいる。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこういう事を言うのだろうと、円城寺は自分の心臓が酷く高鳴っていることを自覚した。この局面を無事に乗り越えられる生き物など、きっと世界中のどこにもいない。
「タケルがいるんだが」
「オマエが声出さなきゃイイ話だろ」
「……俺が下?」
「どっちでも。寒くなければ」
声を発する度に漏れる吐息の流れすら感じられるような至近距離での会話は、彼らだけにしか聞こえない。
不意に会話が止まった直後に唇が重なって、円城寺の温かな掌が牙崎の腿を撫でた。確かに彼の肌は冷え切っていて、このまま触れ続けていれば融けてしまうのではないかと馬鹿な考えさえ抱いてしまう。
ただ重ねるだけのキスの後は互いに少し口を開き、ぬるりと舌を絡ませあう。愉しさに歪んでいる牙崎の唇を舐めると、きひ、と笑い声が漏れた。
一旦唇を離した後にのそりと身体を起こせば、少年のしなやかな腕が円城寺の背中へと回る。それはまるで、大樹に絡む蛇のようにも見えた。
大人としての自制心の無さを嘆きつつも、彼とて一人の健全な肉体を持った青年である。寺で修行をしたとは言え、悟りを開くにはまだまだ修行が足りなかったようだ。


「………………」
目を覚ますと、窓の外は白んでいた。どこからか山鳩の鳴く声もする。現実に追いつくことが出来なかった円城寺は数度大きく瞬きをすると、直後に身体を起こし周囲を見渡した。
彼の両隣からは数時間前と変わらずに安らかな寝息が聞こえており、何かが乱れたような形跡は欠片も見当たらない。
あれ。おい。これってもしかして。
羞恥から身体を震わせ。そろそろと布団を捲り自分の下腹を確認するが、幸いなことに暴発には至っていなかった。
「(……セーフ!!!)」
大きく。肺の中身を全て吐き出すような溜息を吐いた円城寺は、枕元にある目覚まし時計の時刻を確認した。
午前五時三十五分。普段起床する時間より少し早いが、このまま二度寝などできる精神状態ではない。静かに布団から抜け出した円城寺は、そのまま頭を冷やすために風呂場へと向かう。

それから約一時間三十分後。食卓には豪勢な朝食が並び、その中には寺で禁止されていた動物性蛋白質もしっかりと含まれている。
久しぶりの脂っこい食事に牙崎は喜びを隠さないまま、早く三人で食事を始める為茶碗に炊き立ての白米をよそっていた。
手伝いが出来るようになったのは良いことだ。と、円城寺は彼の成長を微笑ましく思う反面、とんでもない罪悪感に苛まれていた。てんてんと杓文字で白米を丸く整えている牙崎の横顔を見ながら、小さく溜息を吐いた。
「……ンだよ」
「え」
「いーだろこんぐらい食ったって。どーせ明日からまた動くんだ」
「あ、ああ。いや、そういう意味じゃない、ごめん」
どうやら彼は自分の食欲を諌められたと勘違いしたらしい。謝罪ついでにフライパンの上で温まっていたウインナーを一つ菜箸で摘み与えると、形の良い唇が素直に開いた。
ぱきりとした香ばしい音の後。はふはふと熱い食べ物を冷ましながら咀嚼して飲み込むまでの一連の流れは、餌を与えられた雛鳥のようにも見える。
それだけ自分に絶対的な信頼を寄せている彼を欲望の捌け口にする夢を見たんだ、などとは、口が裂けても言えるはずがない。
「……………………ごめんな…………」
「? オマエに謝られる覚え、ねーんだけど」
変なの、と付け足した牙崎は炊飯器の蓋を閉めると、踵を返して食卓へと向かった。
今日も今日とて、爽やかな秋晴れの空は高い。
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テーマ「人外ファンタジー」
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