「……なんだ、オマエだけか」
「うっせーな。文句あるなら帰れチビ」
とある日の夕暮れ。315プロの事務所に顔を出した大河はソファでだらけているユニットのメンバーの顔を見るなり悪態を吐いた。
それを受けた少年、牙崎は身体をいったん起こすと同じように悪態を返し、再びソファに身体を投げ出す。これらは彼らの日常的なやりとりなので特に気にすることもなく、大河は事務所のドアを閉めた。
肩に掛けていたスポーツバッグを直した彼の視界に飛び込んできたのは、彼が主演を務めた映画のポスターだ。数か月前に撮影が終わり、編集を終えたその映画はつい昨日から全国の劇場で公開され、なかなかの動員を記録しているらしい。
決してナルシストではない彼にとって自分の顔が大きく引き伸ばされた印刷物が行く先々にあると言うのはなかなか気恥ずかしいものだったが、これもアイドルとして登り詰める為には仕方がないことだと腹を括る。
牙崎が眠るソファの前にあるテーブルにも彼と円城寺。それに共演した同事務所のユニット、もふもふえんの子供たちが表紙を飾っている雑誌がいくつも並べられていた。中途半端に開かれたものもあるので、恐らくソファの主が暇つぶしの娯楽としていたのだろう。
彼らにこれと言った会話は生まれなかった。しかし特に気まずさもない。静かに秒針が刻む音が響くだけの時間が過ぎた後、再び事務所のドアが開く。
「ちわーっす!」
「……お疲れ様です」
事務所内に響き渡る元気な声と、寄り添うような静かな声が一つずつ。彼らも大河や牙崎と同じ、315プロに所属するアイドルである。
元気な声の持ち主、伊勢谷はその大きな瞳できょろりと周囲を見渡すと、首を傾げて素直な疑問を口にした。
「あれ、タケルっちと漣っちだけっすか? プロデューサーちゃんは?」
「……知らない。俺が来た時にはこいつだけだったから」
「漣っちー」
「メガネと一緒にすぐそこのコンビニ! っつーかその呼び方やめろ!! オレ様の方が年上なんだからな!!」
「えー、だって響きイイ感じじゃないっすか! じゃーザキさんとか? あやっぱダメっす、メガ違和感っす」
物怖じせず、牙崎の暴言に笑顔で返事をする伊勢谷のおかげで事務所内の空気は非常に賑やかしい。彼と共に入室した物静かな少年、榊は二人のやりとりに多少肝を冷やしながら空いている別のソファに腰を下ろし、壁に貼ってあるポスターを一度見た後に大河へと視線をやった。
その穏やかな視線に気付いた大河も彼に向き直ると、榊は一度目を逸らし、口を開きかけた後に口をまごつかせ。その後に言葉を吐き出した。どうかすれば伊勢谷の声に掻き消されてしまいそうな声を聞き漏らすまいと大河が近寄ると、榊は少し照れ臭そうに笑う。
「……映画、見たんだ。シキと。……すごく、かっこよかった」
「え」
不意に。何の裏もない賞賛の言葉を掛けられた大河は思わず思考を停止させた。プロデューサーや監督など映画や現場に関わっていた人達からの賞賛は勿論嬉しかったが、それ以上に、いつも同じ場所で時間を過ごしている同じ事務所のメンバーに改めてそう言われてしまうと、思わず頭が真っ白になってしまう。
「あ、…………っと、………………サンキュ」
「……うん。また、行くね」
榊は決して口数が多くなく、また表現が豊かとは言えない。残念なことに大河も彼と同じように言葉で感情を表すことを不得手としているので、自然と言葉は短く不愛想になってしまう。
だが視線を彷徨わせて必死に発した言葉は榊に伝わったようで、大河からの礼を受け取った彼は穏やかに笑った。誰が見ても整った造りをしている彼の笑顔は大変に眩い。大河が目を逸らして再び元いた場所に戻ろうとしたところで、牙崎とやりあっていた伊勢谷が勢いよく大河へと向き直った。
「そう!! そうっすよタケルっち!! オレナツキっちと一緒に初回行ったんすけど!! メガ感動したんすよ!!」
緑色の眼を大きく見開いた彼はずんずんと大河との距離を詰め、マシンガンのように感想をぶつけていく。
「ポップコーンとかマジ途中で存在忘れちゃって! あの、最後んとこ勇者が突っ込んでくとことかマジ泣いちゃって! オヒメサマとの約束とか、も〜!!! みたいな!!! 最後とかもうメガ感動しまくってナツキっちにハンカチ借りたんっすよ!!! もーマジヘビロテするっすから! ガッコの皆にもおススメしまくるんで!!」
「え、あ」
「ほら、あの旅立ちの時! 勇者がオヒメサマにアレするじゃないっすか!! 別れの挨拶!! もーあんなフラグ回収とか止めてくださいっすよ!!!」
「……シキ」
主演俳優を目の前にして感極まったのか伊勢谷の声は更に大きくなり、どこか涙声にも聞こえてくる。そのテンションの上がり具合を心配した榊が名前を呼ぶも、そのヒートアップは止まらない。
……大河が演じた映画は、勇者が仲間を見つけて小さな魔法使い達と協力し、強大な魔物を統べる魔王を倒すという内容だ。王道と言えば王道の展開だが、だからこそ人は惹きつけられる。
ただ、ラストは所謂大団円。皆が望むハッピーエンドとは行かなかった。
小さな魔法使いたちが魔王を倒すため大魔法を完成させるまでの間、勇者と仲間は魔王や周囲の強大な魔物たちと戦っていたのだが。
その最後の魔法が完成する直前に魔王は最期の力を振り絞って巨大で醜悪な姿へと変貌し、世界の全てを滅ぼさんとしたところに、勇者が単騎で挑んだのだ。
最終的に勇者は魔王と共に魔法で封印され、彼の勇気は後世へと語り継がれることとなる。
そんな内容の序盤。勇者として世界を救う力を持った若者は国王の命令で魔王討伐の旅へと出るわけなのだが、出発の際、密かに思いを寄せていた王女に別れを告げるシーンがあるのだ。
わざわざ別れを告げていくのだから、きっと物語の終わりでこの二人は結ばれて末永く幸せに暮らすのだろう。テンプレートのような王道展開を望む観客たちはそんな期待を抱いたのだが、残念ながらそれは裏切られることとなった。
試写会を見た映画関係者からのレビューや特集を組んだ番組でもそのシーンは高く評価され、見どころとしてコマーシャルや予告映像に使用されている。
伊勢谷はつまり、そのシーンを感動的だと言っているのだ。
「道流っちのアレ、あのシーンもめっちゃかっこよかったっす! ていうかタケルっち前より逞しくなってるっすよね?! やっぱ野外ロケとかメガ大変だったんっすか?!」
「いや、その……まあ、……」
伊勢谷の、情熱に語彙が追い付いていない感想は微笑ましいものであるので、大河は止め時が分からずに輝く視線を受け止めるだけだ。
榊も大河と同じ状況なようで、普段と変わらないように見えるその顔に少しの困惑の色が見える。ハイテンションなマシンガンラブトークがプロデューサーの帰還まで続くのだろうか、と大河が気恥ずかしさから冷や汗をかき始めたところで、大きな舌打ちが響いた。
「オイメガネ。なにあれぐれェで感動してんだよ。バッカじゃねえの」
ぴしゃりと彼の賞賛を打ち切ったのは、不機嫌そうな顔を隠そうともしない牙崎だ。
「つーかオマエめちゃめちゃ褒めてっけど、あんなモン編集と加工でどーにか見れるレベルってだけだし? 見る目無さすぎ。褒めンなら監督と演出したヤツだろ」
「……は?」
大河の努力を一ミリも認めない彼の言い分に、今度は大河周辺の空気が重く淀む。自分の意見を否定された伊勢谷は唇を尖らせてはいるものの、「だってカンドーしたんすもん」と、凹んでいる様子は見られない。
むしろ直後に何かを思いついた様子で声を上げると、大河に一つの提案をした。
「てーか漣っち映画見てないからそんなこと言えるんっすよ! タケルっち! 是非ナマで! ナマでやって見せてほしいっす! そしたらきっと漣っちもハイパー感動するっすよ!!」
「はぁ?!」
鬼のような振りに困惑するタケルは、思わず年相応に、素っ頓狂な声を上げた。もう自分では止められないと判断した榊は事務所の隅で申し訳なさそうにタケルを見つめている。
二人の掛け合いを見ていた牙崎は鼻で笑うと、伊勢谷の提案を一蹴した。
「リテイク出しまくってたチビがンなこと出来るわけねーだろバーカ。大根の方がまだマシな演技すんじゃねぇ?」
くはは、と大きな笑い声を付け足した彼の態度を、大河は挑戦と受け取った。喉まで出かかっている反論を飲み込み、一度大きく息を吸い込んだ大河はスニーカーの底で事務所の床を蹴りながら、静かに牙崎へと歩み寄る。

ここは事務所ではなく、映画のロケ地でもなく、物語のワンシーンだ。
『入り込む』ことを覚えた大河は身体の奥からその記憶を呼び覚まし、くたびれるまで読み込んだ台本の台詞と立ち回りを再現する。

『……俺は、魔王を討伐する大役を仰せつかりました』
―――勇者は、身分違いの想いを抱えていた。
『危険な旅になるでしょう。だが魔物達はどんどん勢力を強めている。このままではこの国も滅んでしまう。誰かが、行かなければならないのです』
別れは、夜に行われた。虫すら鳴かない綺麗な満月の夜に、勇者は王女に決意を告げる。
彼が持つ深い青色の眼は大河タケルではなく、勇者の色に染まっていた。
『無事に戻ってこられる保証はありません。だから明日以降、俺という男が居たことは忘れていただきたい』
勇者は王女の前で跪くと、深く頭を垂れた。そもそも、ただの村人に過ぎなかった少年がこうして王女と二人の時間を過ごせたこと自体が奇跡のようなものなのだ。
冷たい夜風が頬を撫でる。身に着けている鎧が擦れ合い音を立てる。王女は一言も発しない。そのまま沈黙の時間が少し続いた後。勇者は顔を上げると、王女の華奢な手を取った。
そして、今にも泣き出しそうに震えている王女の眼を見据え縋るように訴える。
『ただ、もし戻ってこられたなら。……その時は、俺は世界を救う勇者ではなく、一人の男として、貴女の傍にいたい。……どうか、その許しを、戴けませんか』
映画の中で、王女は答えを出すことが出来なかった。その意味を理解した勇者は彼女の手を優しく放し立ち上がると、寂しげな表情を浮かべたまま踵を返し距離を取る。
一人残された彼女は、去りゆく彼の背中を見つめることしか出来なかった―――

「…………、……どうだ」
スペースの都合上、牙崎からほんの一メートルほど離れた所で、勇者は大河タケルに戻った。一度息を吐いた大河が振り向けば、目の前で最高のシチュエーションを観覧した伊勢谷が今まで以上に両目を輝かせ、震えている。
榊の顔を見ても、抱えている感想は伊勢谷のものと近しいらしい。伊達に何度も練習したわけではない、とどこか得意げにしていれば、伊勢谷の感情が爆発した。
「うわ―――――!!! うっわ――――!!! メガやばいっすマジやばいっすハイパーやばいっすかっけーっす! あーもう泣きそうってゆーか泣くっすよマジ! うわ―――!!」
身悶えしながら全身で感情表現をする彼を見て、大河も演技した甲斐があったと胸を撫で下ろす。そして気になるのは、やけに静かな牙崎である。
てっきり大根だのジャガイモだのと言った罵詈雑言が飛んでくるかと思ったのだが、どういうことかそっぽを向いて無言を貫いているのだ。
「……何とか言えよ」
「…………別に。チビの演技とか今更見たってなんとも思わねーんだよ」
「なんだそれ」
良いとも悪いとも感想が貰えないことが、表現者にとっては一番厄介である。人のことを散々バカにしておきながらその態度は何なんだと詰め寄ろうとしたところで、彼の異変に気が付いた。
滑らかな銀髪に少し隠れ気味の、白く、形の良い耳が、ほんのり赤く染まっている。
「ていうか、オマエなんで赤くなってるんだよ」
「っ!!」
人の心の機微に疎い大河の言葉に、思わず牙崎は睨み付けるような視線を寄越す。振り向いた彼の顔は誰がどう見ても、赤く染まっていた。
「赤くなってねぇ!!」
「なってるだろ。鏡見ろよ」
「なってねぇっつってんだろチビ!!!」
「いや漣っち顔メガ赤いっすよ。大丈夫っすか?」
「うるっせえんだよメガネ!!」
牙崎が元々色素の薄い体質であることも原因の一つだろう。顔を真っ赤に染めて彼らに反論する様に、いつものような不遜な態度は欠片もない。
先程までの刺々しい空気もいつの間にか消え失せて、彼の大河に対する態度から色々なものを察した榊はもう彼らを止めることもなく、ただ優しく笑うだけだ。

「なんか賑やかだなあ……」
「そうですね、プロデューサーさん」
ドアの向こう側まで響いてくる声を聴きながら、二人の青年は階段を上る。長い髪を一つに束ね、横から流している青年の手には、留守を守った牙崎に対するご褒美であるたい焼きが入った紙袋がある。
彼が理不尽な八つ当たりを受けるのは、その数分後のことだった。
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