「……」
金色の瞳が映した天井には見覚えがあった。彼が所属するプロダクションが入居している、少しばかり小奇麗な雑居ビルの白いタイルだ。
意識が覚醒しないままぼんやりと視線を泳がせれば、自分がソファに身体を横たえていることに気が付いた。なぜ自分がこんな場所で眠っていたのか、記憶が繋がらない彼は小さく物音を立てて身体を起こす。
ぼんやりと明かりが灯っている方へと向けば、スタッフである山村と言う名の青年が疲れ切った様子でデスクに突っ伏したままで眠っている。
そしてソファのすぐ下。正しく言えば床にも、倒れこんでいる男がいた。浅黒く、健康的な色をした肌に、しっかりと付いた筋肉。いつも頭につけているバンダナは今日はどこかに消えていて、クセのある髪が床に散らばっている。
「……オイ」
兎に角、自分が置かれている状況を把握するために、少年は仰向けのまま眠っていた男の肩を強めに叩いた。すると男は一度大きく身体をびくつかせた後、驚いたように身体を起こす。
「えっあっ、漣?! 良かった、目覚めたか」
「意味わかんねェこと言ってんじゃねーよバーカ。どーなってやがる」
「ああ、えーと、……だな」
彼は円城寺と言う名の、少年と同じユニットを組んでいる男だ。彼も山村が眠っていることに気が付いたらしく、声のボリュームを落としながら説明を始めていく。
「平たく言うと、倒れたんだよ。お前さん」
「はァ?! なんでオレ様が!!」
「しっ!」
口の前で人差し指を立てた円城寺は少年の口を塞ぎ、流れるようにソファの空いたスペースに腰を落ち着けた。耳との距離が近い方が声のボリュームを落とせるという、判断からだろう。
事務所の壁に掛けられている時計はすでに日付を跨いでいるため、確かにその判断は賢明だ。鋭い目つきを崩さないままの少年に苦笑いを浮かべながら、彼の口からそっと手を離した円城寺は、ぽろぽろと段取り良く、経緯を話していく。
「今日、ユニット合同練習あっただろ」
「ああ。ザコ共ばっかの」
「一言多い。それで、練習後半のダンスレッスンの時。練習終盤の通しやってた時にいきなりぶっ倒れたんだよお前さんは。……水分摂るのサボったろ」
「……んなことあったかァ?」
「そりゃお前は覚えてないだろうね……」
やれやれと肩を竦める円城寺の様子を横目に、少年は自身の記憶を辿る。
今日は彼が言ったとおり、確かに全ユニット合同練習の日だった。それぞれが得意とするジャンルを見せ合うことで、互いの刺激になればよいとプロデューサーによって企画されたものである。
所属しているアイドル四十人全員が揃うことなど滅多に無いため、その場で注目を集めることはプロダクション内で一目を置かれることを意味する。アイドルの頂点を目指す彼にとって、逃すことの出来ない好機だった。
ボーカルやビジュアルに難があろうと、それを上回るほどの表現力が彼にはある。得意のダンスレッスンの時間が訪れた際の彼は間違いなく、輝いていた。
肌に浮かんだ玉のような汗も、それによって肌に貼りつく銀髪の煩わしさも忘れられるような。地に伏して許しを請う瞳で彼を見上げてくるどこかの誰かの泣き顔を見るよりもずっと興奮するその瞬間が、彼には堪らなく心地が良かった。
実際、参加していた他のアイドル達も軽やかに舞う彼の身体の動きに魅入られていた。天才、と持ち上げられるにはそれなりの理由があるのだということを、納得していた。

そして、その時は訪れる。

音楽の終了と同時に、彼のしなやかな身体は良くワックスが効いた板が張られている床に倒れこんだのだ。
真っ先に駆け寄ったのは元自衛隊員、信玄だった。それから一瞬遅れで元消防隊員、木村、元医師である桜庭が駆け寄り、全身から汗を噴出しながら喉を鳴らして激しく呼吸する少年の容態を確認する。
痙攣している白い手首から脈を取り、救急箱から取り出した体温計で体温を確認した彼らは少年がごくごく軽度の熱中症であると判断した。プロダクション内で五指に入る体力を持つ彼がそのような事態になったことを受け、合同練習は予定を繰り上げて終了となり、プロデューサーからは残ったメンバーに対する水分補給と休息の指示が出た。
その後、元専門職のメンバーの手によって措置を受けた少年は円城寺の手によりこの事務所に運ばれ、彼は彼が目を覚ますまで付き添うことを進言した。
「後でお礼言っときなさいよ。あともふもふえんの子らには謝っとけ。ガクガク痙攣するお前見て泣きそうになってたんだぞ」
「ガキどもがどーなろうが知るかよ。……あー、めんどくせェ」
少年は反省する様子も見せず、とさりと音を立てて再びソファに沈み込んだ。無論、大の男二人が自由にするには限られたスペースのため、彼の脚は円城寺の肩に乗せられている。
彼を良く知らないものからすればとんでもない奴だと、評価を著しく下げるであろうが、円城寺は彼のことをよく『良く知っている』。雰囲気から様子の変化を察した男は、茶化さない程度の軽い雰囲気で、彼に問う。
「凹んでる?」
「ねぇよクソ。だせェとこ見せたってムカついてんだよ」
「(それを凹んでるって言うんだろうけどなあ)」
そう言ってしまえば、彼は思い切り噛み付いてくるに違いない。敢えて想いを噛み殺した円城寺はこのまま朝まで過ごしかねない少年の機嫌を伺うように、声を掛ける。
「軽い症状で良かったな。皆心配してたんだぞ」
「……あのチビはしねーだろ」
「してたって。ただ、どうすれば良いのかわからないって感じだったな。今頃お前のことが心配で眠れてないかもよ」
「ありえねェー……」
円城寺の肩や胴を軽く足蹴にしながら他者からの善意を否定する彼に悪気はない。円城寺はその事実が少し、悲しく思う。
試しに同ユニットのメンバーである大河と言う名の少年に簡単なメールを送れば、比較的すぐに返信があった。普段喧嘩ばかりしている間柄のため返信内容も刺々しいが、液晶に浮かぶ誤変換がその棘を丸くする。
ほら、と。すでに身体を丸め始めている少年に液晶を見せてやると、下らないと言わんばかりに鼻が鳴った。どうやら彼の機嫌が直るには、まだまだ材料が足りないらしい。
薄暗く静かな部屋の中を見回しながら、円城寺はぼんやりしはじめた脳内で話題を探す。うまく頭が回らないのは間違いなく、昼間の疲労が彼を襲っているからだ。
「……あー、そうだ。漣」
「ンだよ」
「お前さあ、なんでそんなに最強最強って拘ってるんだ? アイドルに最強なんか関係ないだろ」
「……」
隠す気などさらさら感じない派手な舌打ちが聞こえた。円城寺の胴を撫でていた脚が床に着いたかと思えば、のそりとした動作で少年が身体を起こす。
室内にあるささやかな光を集め反射する金色の瞳は、非常に迫力がある。負けじと視線を交差させ睨みあいを続けているうちに、彼の形の良い唇が歪んだ。
「一番じゃねーと意味ねェだろ。ザコ共はザコのくせに勝った側しか見ねェ。一回でも負ければ掌返してオレ様のことを無視しやがる」
銀髪の隙間から覗く瞳も、歪んでいる口元も全て野生の獣そのものの形だ。その中に見える彼の憎しみのような感情が彼の凄みを増させている。
「オレ様はそれが許せねェ。ザコはザコらしく、オレ様のことだけ見てれば良いんだ。だから、俺を負かしたチビを負かして、最強にならなきゃなんねーんだよ」
「……」
円城寺は彼の。牙崎漣と言う名の少年の少し前から現在に至るまでを知っているが、それ以前のことは何も知らない。
だから彼がそうして強迫観念に近いモノに囚われている原因がわからない。民衆は敗者に興味を持たない。それはかつて円城寺も経験済みだ。
だが彼は自身の向上を他者からの注目を浴びるための目的としたことがないので、彼の想いに共感することが出来ない。答えのような、答えになっていない牙崎の揚げ足を取るように、彼は意地悪な質問をした。
「じゃあさ、もしタケルを倒して、ここのユニットみんな追い越して、正真正銘の一番。最強になったら。どうすんだ、お前さん」
「……」
鳩が豆鉄砲を食らったように、金色の目が丸くなる。
「どこに行っても皆がお前のことを見て、CDも売れちゃったりして。何にもしなくても生きていけるくらい最強になったらどうするんだ?」
遠い遠い夢物語のような仮定。普通の人間ならば馬鹿なことを言うな、と切り捨てられてしまいそうなものだが、牙崎は腕を組み、真剣に悩みだした。
円城寺にはあり得ないというカテゴリに分類される目標でも、彼には手が届く範囲の目標なのだろう。五分ほどうんうん唸っていたかと思えば、整った顔を上げて「何もねェな」とだけ結論を零す。
「最強になったときゃアイドルなんてめんどくせぇことも辞めるだろーしィ? かと言って今更昔みてぇに殴り合いばっかして金稼ぐのももっとめんどくせぇ」
「だよな。だったらそんなに最強目指すの焦らなくてもいいんじゃないか? 俺も、もっとお前やタケルと一緒に色んな景色を見てみたいから」
「……あァー、まあ。それも悪くねェか。世間がオレ様の才能に気付くまで、付き合ってやんねーこともねえ」
先ほどまでぶすくれていた表情は何処かへと消えてしまい、彼の整った顔には普段と変わらない傲岸不遜な態度が表れている。
扱いが上手くなったものだと心の中で自賛しながら、円城寺はソファから静かに立ち上がった。
「んじゃ、帰るか。今日は俺んち泊まって来なさい。お前さんほっとくとろくなもん食べないしな」
「うるせぇんだよいちいち」
極々自然に伸ばされた手を取った牙崎は彼に倣いゆっくり立ち上がると、幾度か爪先で床を叩き、伸びをして自分のコンディションを確認する。問題なしと判断した彼はもうこの部屋に用は無いと言わんばかりに、円城寺よりも先に歩き出した。
男はその自分より一回り小さな背中を見ながら頭に浮かんだ馬鹿な提案をそのまま言葉にし、彼に掛ける。
「すること無くなった時は俺んとここいよ。うまいらーめん毎日食えるぞ」
「食ってやっても良ィけど手伝いなんざしねぇからな」
案外彼は地獄耳だったらしい。しっかりとした返事があったので、特に何も考えずにぐだぐだと世間話を続けていった。
「んーじゃあお前はあれか。ペット枠か。迷子にならないように首輪着けて飼ってやろうかー?」
「束縛されンのはだいっきれェだわ。トロトロ歩いてんじゃねーよ、さっさと帰んぜ」
「はいはい」
出来るだけ静かにプロダクションのドアを閉めた二人は、そのまま帰路に着く。
初秋を感じさせるほどに冷えた夜風は眠気で火照った脳内を程好く冷やしてくれたので、酷く心地が良かった。
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