それは、あまりにも突然な言葉だった。


「頼む鈴科!そのレシート上条さんに譲ってください!」
「…はァ?」
とある5月下旬の良く晴れた朝、俺は登校途中にあるコンビニで昼食と頼まれ物を買った。
頼まれ物というのはまぁ、適当なジュースであり。
保護者である黄泉川愛穂が「買いそびれたから買ってきて欲しいじゃん。その代わり今日の夕飯はお前の好きなメニューにするじゃん?」などとふざけたメールを送信してきたことに端を発している。
そして会計を済ませ、コンビニから出て暫くしたところで急に背後から名前を呼ばれた。
そして振り返れば、クラスメイトである、黒い髪をツンツンに尖らせた少年がこちらに向かって走ってきていた。
「………」
無視して進もうとしたが、何せこっちは杖をつきながら歩いている。
案の定すぐに追いつかれて、隣に並ばれてしまった。
「もー、振り返ったんなら止まってくれたって良いだろ」
「………」
返答せずに、黙々と歩く。
彼は、何というか。
こっちが距離を置いているにも関わらずぐいぐいと近づいてくるようなタイプの人間だ。
「……何の用だ」
「お、やっと口きいてくれたな。おはよ、鈴科」
質問に答えない彼、上条当麻に尋常ではない怒りを覚えながら、首筋に取り付けられているチョーカー型電極のスイッチを入れ替える。
「質問に答えろ」
彼の右手の前には、俺の能力は全く意味を成さなくなる。しかし能力から派生した物理攻撃であれば、彼を傷つけることは十二分に可能なのだ。
声のトーンを落とし再度質問する。
しかし帰ってきた言葉は相変わらずの平々凡々としたもので。
「そうそう、忘れるところだった。……鈴科」
普段は頼りなさすら感じさせる彼の顔が引き締まる。何故こんな平日の朝から、そんな真剣な表情にならなければいけない事態に陥っているのだろう。
まさか、また学園都市の。
そう考えただけで脳の中が一瞬で冷え切り、最悪の事態を幾通りもシミュレートする。
思わず立ち止まり、彼のことを凝視してしまった。

ほんの少しの沈黙の後、酷く切羽詰まった声で先程のように懇願された。
あまりに馬鹿らしくなったので、電極を通常モードに切り替えて歩み始める。
「…頼むから無視はしないで、事情だけでも聞いてくれませんでしょうか」
そう言って彼は勝手に横に並んで歩み始め、勝手にペラペラと事情とやらを話し始めた。
何でも、コンビニと飲料メーカーと学園都市がコラボレーションしたキャンペーンが現在行われており、その賞品欲しさに右往左往しているらしい。
しかし何故か、彼がコンビニで買い物をすると応募に必要らしいレシートが詰まったり紛失したりと、まともに応募できていないらしい。
「…で、このレシートが欲しいってか」
「はい。…やっぱ駄目か?」
たかが紙切れ一枚だ。
このまま財布に入れておいてもゴミ箱の餌になるだけならば、有効活用してやっても良いかもしれない。
「……チッ」
舌打ちをしてから、スカートのポケットに手を入れてレシートを取り出した。
少し皺がついてしまっているが、問題はないだろう。
そのまま上条に渡すと、少し歩く速度を上げる。
「サンキュー鈴科!…ていうか、何で早歩きなんだ?」
上条は難なく追いつき、会話を続けようとしていた。少しイラついたので睨み付けて応対する。
「うぜェンだよ。用が終わったんならさっさと失せろ」
「いや、えっと。もう1つ用事があってさ」
「ァあ?」
並んで話しながら歩いていると、同じ制服の人間を数人見掛けた。走ったり、しきりに時計を気にしている様子から、どうやら始業時間が近いらしい。
「…さっさと話せ、遅刻すンぞ」
「えっ、えーとだな。その、キャンペーンの間一緒にコンビニ寄って貰えないか?朝と、帰りの一日二回」
「……それで俺に何の得が?」
「…そう言われると厳しいんだが…、うん。なぁ、頼む!」
繰り返す。
現在は登校途中のため、同じ学校に通っている人間があちこちにいる。
上級生だったり、クラスメイトだったり。
そしてこの男、上条当麻は学校内の有名人である。
その有名人が朝から同級生の女子に何かを懇願する様子が、目立たないはずがない。
「…期間は」
「2週間」
上条の言葉に俺は思い切り舌打ちで返す。こんな衆人環視の状況で、断れるわけがなかった。
「…コーヒー一本だ」
「え?」
「…コンビニ一回コーヒー一本で手ェ打ってやるっつってンだよ」
誘いを受ける代わりの条件を提示すると、上条の顔が明るくなった。
俺には、何がそんなに喜ばしいのか解らない。
「…ほんっと、ありがとう鈴科!よーしこうなったら上条さん頑張っちゃいますよ!」
「あァそうですか」
ただ、コロコロと変わる彼の表情を眺めていると、退屈しなかった。


キャンペーン期間中、何があったかは割愛する。
(スキルアウトに絡まれたり上条が財布を家に忘れたり対象商品が売切だったりと、彼にとっては日常茶飯事だったからだ。)


「(…今日で終わり、か)」
6月上旬。
曇り空が目立つ時期の放課後に、教室で上条を待っていた。
担任である月詠から渡された課題のプリントを埋めるまで帰ることが出来ないらしい。
俺にとっては簡単すぎる内容なので答えを教えてやってもいいのだが、問題に四苦八苦する上条が面白いので手伝ってはやらない。
すでに教室には自分達しか残っていなかった。
「…いつまでかかってンだ?もう完全下校時刻近ェし」
「…面目ない」
「早く終わらせやがれ。今日までだろ」
上条の前の席の椅子に座り、馬に乗るような体勢で机の上に乗っているプリントを眺める。
何だかんだで、8割程度は埋まっていた。
「どうしてもここが解んなくってさ」
シャープペンの指す問題は、ごくごく初歩的な応用問題だった。
溜息を一度吐いてから、口を挟む。
「あァ?ここはこっちの公式応用するだけじゃねェか」
「へ?あ、ホントだ」
言われて気付いた、と言わんばかりに上条はペンを進め、プリントを埋めていった。
夕日が射し込む教室で、かりかりとシャープペンの芯が削れていく音が響いている。
「………」
空調が利いているとは言え、夕日が肌に当たれば暑い。上条もそうらしく、頬に汗が伝っていた。
無言が続く間、ぼんやりと上条を眺めていた。
喋らずにこうやって真面目な表情をしていれば、悪くはない顔の作りをしているというのに。
「…な、なぁ。鈴科」
「ンー?」
「コンビニの件」
「ンー」
プリント課題を全て埋めた目の前の彼は、筆記用具を片付けながら話し出した。
気のない返事をしても、その話は止まらなかった。
「確かに学園都市のキャンペーンは今日までなんだけど、明日からまた別のキャンペーンが始まってさ」
「…へェ」
薄っぺらい学生鞄に筆記用具を詰め込んだ後椅子から立ち上がった上条は、さらに言葉を続ける。
もう帰る準備が出来たのかと思い、俺も椅子から腰を上げる。
「だから明日からも、朝と帰りは一緒にお願いしたいのですが…」
上条は酷く鈍感な男なので。
普通ならば胸をときめかせてしまうような言葉を平然と使う。
それが解っていれば、一々反応してやることもない。
以前と同じように、平坦に言葉を返す。
「期間は?」
「………ずっと」
「…はァ?」
彼の言葉の真意を確認するために問い返すと、何やら顔を押さえて俯いていた。
それから聞き取れない声で何やら呟いた後、顔を上げた。
「…あぁもう、わかった!正直に言います!!」
その顔が真っ赤に染まっていたのは、おそらく夕日が射し込んでいるせいだろう。
そして、腹を括ったようにこちらを真っ直ぐ見据えてきているのは、多分。


「好きだ、鈴科」


教室内の時間が止まる。
こいつは今、なんと言った?
「ずっと、俺と一緒にいてくれ」
一拍置いて、何やら段階を跳ばしたような言葉が続けられる。
なぜか、首から上が熱くなる。
あぁそうだ、今日は気温が高いからに違いない。
何故か上条と距離を取らなくてはいけないと思い、少し後ずさったところで。
何故か杖の先が床に嫌われて身体のバランスを崩した。
倒れる、と思った瞬間に上条の手が伸ばされ。


からら、と軽い音を立てて教室の戸が開く音が聞こえた。
「上条ちゃーん?鈴科ちゃーん?もう下校の時間ですよー、…?」
遠くで担任の声が聞こえた。
そしてすぐ近くで、上条のニオイがする。
結局2人とも床に倒れてしまったのだと気付くのに、酷く時間が掛かった気がする。
「おかしいですねー、声が聞こえたような気がしたんですが…」
また軽い音がして、戸が閉まる。上条の席は出入口から遠いので、机の影になっている俺たちが見えなかったのだろう。
再び静かになった教室では、お互いの息遣いすら耳障りなほどに聞こえてくる。
「……か、み、条」
自分の顔のすぐ横にある上条の耳に声を届かせると、気付いたように彼も身体を起こす。
「…悪い、重かったな。今退くから」
「…あァ」
どくどく、と心臓が今までにない早さで拍動している。
上条は先に立ち上がると、遠くに転がってしまった杖を拾い上げてこちらに戻ってくる。
「た、立てるか?」
少し背中が痛んだので、彼が差し伸べてきた右手に頼る。
別に、能力を使って立ち上がれば良かったというのに。
「ケガとか」
「ねェ、けど」
立ち上がった後、机に手を突いて身体のバランスを取る。
さっきから頭は火照っているし心臓は煩いしで、碌な事がない。
少し腹が立ったので、上条の足を軽く踏んだ。
「…わけ、わかンねェ」
先程の上条のように俯くと、彼はそんなこと知ったことではないと言わんばかりに距離を詰め、勝手に俺を抱きしめた。
心音と体温とニオイと視界とその他全てが彼に埋め尽くされ、境界線が曖昧になる。
暑くて汗が滲んでいるのに、それすら心地良いと感じるのは何故なのだろう。
「あの、いきなりでほんとに悪かったと思ってる。だから返事はいつでも良いし、…ごめ」
「黙れ」
上条の腕の力が弱くなったので、代わりに俺の頭を上条の肩に擦り付ける。
髪同士が擦れて、じゃり、と耳障りな音がした。
この男は本当に勝手な男だ。
勝手に人の中をぐちゃぐちゃにしておいて、離れようとするなんて。
「…離れンな」

だから俺も、勝手なことを言ってやる。





結局、その日はコンビニには寄れなかった。
完全下校時刻が過ぎ、帰宅したと勘違いされ教室に閉じこめられた俺達は、見回りの教師に見つからないようにこっそりと下校したからだ。
そしてキャンペーンの抽選についても、彼は器用に全て外したらしい。
彼が何を欲していたのかは知らないし、興味もないが。
「鈴科さんおはよう。今日も可愛いなぁ!」
「…どォも」
クラス委員である青髪ピアスに、珍しく朝から話しかけられた。
どうやら彼も上条と同じキャンペーンに参加していたらしい。
「でな、上やんに何当たったん?って聞いてもはぐらかされてなぁ。S賞とか言うてたんやけどあのキャンペーンはA賞からしかあらへんし。鈴科さん上やんと一緒にコンビニ行ってたやろ?なんか知らんかなって」
俺の机の上に顎を乗せて可愛い仕草をしているが、図体のでかい男にそんなことをされても気色悪いだけだ。
「知らねェよ」
「さよかぁ〜…」
S賞。
青髪からの言葉を口の中で反芻させて意味を理解した後、
「(………あの野郎!!)」
上条をボコボコにしてやろうと心に決めた。









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