「うん、成長痛みたいね」
おっとりとした女性の声が、医療棟内の病室の一つに響く。柔らかなミルクティー色の髪を耳に掛けながら彼女が椅子から立ち上がると、傍に立っていた少年が安心したように息を吐いた。
「ありがとうございます、ニーナさん。てっきり今流行ってる風邪かと…」
「そうねぇ。関節の痛みに発熱。たしかに間違えやすいから……。でも大丈夫、感染するものじゃないから、隔離する必要はないわ。暫く身体を休めていれば、熱も下がるだろうし」
彼女の名はニーナと言い、彼らハウンドのマネージャーを務めている。本来であれば彼女の先輩に当たるホダカがこの場にいるはずなのだろうが、今彼女はとある人物に連絡を付けるために席を空けている。
「だとよ。良かったなぁ、アレックス?」
「……うるさいよ、もう」

そしてその人物とは、白いベッドの上で顔を真っ赤に染め上げた少年。アレックス・サザーランドの保護者だ。
「クライブ。いくら風邪じゃないとは言え体調が悪いことに変わりはないんだ。喧嘩を売るような真似をするんじゃない」
「はいはい、りょーかいです。リーダーさん」
「まったく」
口と態度の良くないチームメイトであるクライブと呼ばれた少年は、橙色の髪を揺らしながらリーダーからの叱責に笑って返答をする。
態度だけで見れば病人を茶化しに来たとしか受け取られないが、彼が朝方から熱を出した少年を慌てふためいた表情で医療棟に担ぎ込んで来たことを知っているニーナは、微笑ましく思い。くすりと笑う。
そんな事情を知らないカミヤは大きく息を吐くと、ベッド横の小さなテーブルに置かれている時計に目をやった。
そろそろ、彼が出撃する時間が近付いている。
本来であれば今日はオフの予定だったのだが、チームメイトの体調が優れない時に休んでいる場合ではない。
「じゃあ俺はこれで。ちゃんと寝てろよ、アレックス」
「……わかってるってば」
口ではつっけんどんな言葉を吐いているものの、態度からして申し訳無さそうな雰囲気を漂わせている。
カミヤが苦笑しながら病室のドアレバーに手を掛けた瞬間、ばん、と勢い良く扉が開く。
「ねえさま!緊急の出撃要請が入りました!総員持ち場に着くように……と、あれ?そんな所で何をしているんですか?カミヤさん」
「……大したことじゃない」
ドアにより顔面を強打したカミヤは鼻を押さえながら、突如部屋に舞い込んだ少女、リリアに向かって誤魔化してみせる。
一部始終を見ていたクライブとニーナは互いに咳払いをしながら、噴き出すことを堪えていた。
「しゅ、出撃ね。わかったわ。……ごめんなさいね、アレックス君。暫く一人にさせちゃうけど」
「……大丈夫だって。何回言わせんの?ほら、さっさと行って」
アレックスは熱で赤く染まった顔面の中にある緑色の眼を細め、余計なお世話だと言わんばかりの態度を見せつける。
ニーナは苦笑をすると汗で湿ったアレックスの頭を幾度か撫で、「じゃあ、お大事に」と言葉を掛けた後、リリアに引かれるようにして病室を後にした。
カミヤも鼻を押さえ眼に涙を浮かべながら退出し、残されたのはクライブとアレックスの二人だけだ。
「……」
「……」
嵐のような騒がしさが過ぎた後の奇妙な静けさに、アレックスは居心地の悪さを覚えてしまう。
病室の入り口に立っている彼に背を向けるように寝返りを打った後、小さな声で沈黙を切り裂いた。
「……行かないの」
「行くぜ。アドミラルクラスに間に合うようにな」
「何それ……」
思わず口から出てくるのは悪態ばかりで、本当に言いたいことは肋骨の内側で蠢くばかりだ。
昨夜は、普段クライブが繰り出すような夜の街に二人でこっそり遊びに出かけたのだ。
毒々しく光るネオンと、アルコールの不快な匂いと、人工的に作られた香料を塗りたくりサービスを行う大人の女性達。
これまで書類やインターネットの中でしか見たことの無かった世界はひどく幻想的で、刺激的だった。
無理すんじゃねぇぞ、と掛けられた声に子供扱いをされていることを感じ取ったアレックスは、勿論反発する。
そして遠征時にクライブが仮宿としている安いホテルの部屋で雑魚寝をした直後に、この高熱であった。
このタイミングであれば誰であろうと、連れ回した方に問題があるに違いないと判断するに違いない。
だからアレックスは自分自身の貧弱さに腹を立てており、クライブに対しても申し訳なさを抱いていた。
もそ。と一度ベッドの中で体勢を整えた彼は少し口元をまごつかせた後、蚊の鳴くような声で呟く。
「……悪かったってば」
「何がだよ」
「…………クライブの言うこと聞かなくて」
「別にぃ?成長痛だってんなら俺のせいじゃねーし。お前のせいでもねーし。ま、精々大人しくしてるこったな」
「……」
彼の言うとおりなので、アレックスは返事をすることもなく枕に髪を擦り付けた。
背伸びをしたがる年頃の彼にとって子供扱いされることは不愉快に違いない。
しかしクライブにはその姿が彼の弟分達を思い出させて、どうしても構ってしまう。
自らの過保護さも反省しながら、クライブはガリガリと頭を掻いた。
「(……わかってんだけどなぁ)」
クライブ達孤児が置かれている境遇と、アレックスが置かれている境遇には天と地ほどの差がある。
クライブが同じ年の頃は、似たような症状で寝込んでも暖かく清潔なベッドは無く。
悪い衛生環境の中、些細なことで命を落とす仲間達が居ないわけではなかった。
「(……ここはあそこじゃねぇし。コイツは、あいつらじゃねぇ)」
乱れた髪を手櫛で整えて、クライブは布団の端からはみ出す金髪に視線をやった。
カツ、と。ブーツの底を床で鳴らしながら近寄れば、布団の中身がもぞりと動く。
どうフォローをしたものか、と慣れない思考で脳内をぐるぐると巡らせていると、妙な沈黙が生まれてしまった。
尚更に言葉を発しにくくなってしまった狭い空間の中で、先に沈黙を破ったのはまたしてもアレックスだった。
「……絶対、クライブの身長追い抜いてやるから……」
「あ?」
「子供扱いなんか、出来ないくらいに、なってあげるから」
「……」
一瞬呆気に取られたクライブだったが、アレックスの意図を受け取るとその微笑ましさについ、噴き出した。
自らを子供だと自覚する彼の強がりが、ひどく可愛らしい。
布団から微かにはみ出る金髪に指を沿わせると、しっとりと汗で湿っているのが解る。
クライブがそのまま軽くかき乱すと、恨みがましい目をしたアレックスが寝返りを打ってきた。
「あー、もうっ!早く行きなよ!!」
「ハイハイっと」
顔を真っ赤にしながら癇癪を起こす彼の怒りを避けながら。

クライブはその汗ばんだ額に、そっとキスをした。

「っ、」
「じゃあな。帰りにアップルサイダー買ってきてやんよ」
何をされたのか理解が出来ないアレックスをほったらかして、満足したクライブはスタスタと病室を後にする。
「……え、あ……ぅ……え……?」
クライブの唇が触れた場所が、酷く熱い。
火傷をしていないかと思わず指を這わせるが、肌の触り心地は普段より湿っている程度だ。
キスをされた。
多忙な両親以外、全て自分より身分の低い人間に囲まれて育ったアレックスにとって、それは初めての経験で。
陶器を思わせるような滑らかで白い肌が、一気に赤く染まっていく。
うまく回らない頭をぐるぐると動かしている内に、かちゃりと音を立てて何者かが侵入してくる。
「アレックス、具合はどう、って……酷い顔じゃない!大丈夫なの!?」
保護者への連絡を終えたホダカが血相を変えてベッドに駆け寄るが、当の本人とてそれどころではない。

頭も身体も上せたままで、まだまだ熱は下がりそうになかった。







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