じめじめとした梅雨のある晩。
コンビニから帰ってきた俺の家のドア前に、見知った白い人影が立っていた。
蝙蝠を連想させる柄のTシャツに、細身のパンツ。肩口につくかつかないか位に伸ばされた白い髪に、それと同じくらい真っ白な肌。首もとには黒いチョーカー型の電極と、間違いなく記憶の中の『恋人』と一致する。
恋人と言ってもまだまだ付き合いたてで、精々手を繋いだりする程度の清い清い関係ではあったが。
彼はチャイムを押そうか悩んでいるようだったので、声を掛けることにした。
「よ、一方通行。上条さんちに何か御用ですか?」
びく、とチャイムへ伸ばされた彼の手が強ばり、顔がゆっくりとこちらを向く。
それを見た俺は、少し驚いた。
彼の下唇から顎にかけて、大きめのガーゼが貼られていたからだ。
「…な、どうしたんだよ!その怪我」
「…っ…」
思わず手を伸ばして触れようとしたところで、彼が身を引いて廊下の手摺りに足を掛けた。
もう表情は此方側から伺うことが出来ない。
生温い風が、彼の髪を揺らしていた。
「…何でもねェよ、クソ」
そう憎々しげに呟いた彼は、そのまま飛び降りて去ってしまった。




「(…何があったんだろう)」
それから三日が経ち、週末になった。
当たり前のように浜面が俺の部屋で寛いでおり、ホストたる自分と携帯ゲームで対戦を行っていた。
カチカチとボタンが操作される音と、ゲーム内で相手を攻撃する音が部屋に響く。
本日の対戦成績は、6戦1勝5敗。
どうにも集中できていない証拠だ。
「…あー、そうだそうだ。ちょっと聞いてくれよ上条」
「んー?」
思い出したように浜面が声を上げたので、生返事をする。彼にとっても大したことではないらしい。声がそう物語っていた。
「俺さ、お前の不幸属性うつったかも」
「何でだよ。不幸は上条さんの専売特許ですー」
言葉を返すと、浜面は一度溜息を吐いてから。

「一方通行とキスやっちまった」

と、爆弾発言を投下する。
みぎし、と今まで聞いたことがない音を立ててゲーム機が手の中で軋むのが解った。
画面に夢中になっている振りをしながら耳に全神経を集中させる。
「……それは、」
「だろー?まぁ事故だったし、別に初めてって訳じゃねーし、俺としてはノーカンなんだけどよ」
ふざけんな上条さんにとっては一生に一度あるかないかのラッキーイベントだよ何が不幸だよちくしょう。
という本音を飲み込んで、適当に相槌を打って話の続きを促した。
ほらこれ、とゲームを一旦中断した浜面が口元を指して見せる。そこには瘡蓋と、痣が残っていた。
てっきり殴り合いの喧嘩でもしたのかと思い、スルーしていたのだが。
「スーパー行ったらたまたまあいつと会ってな。珍しーとか思って立ち話してたらいきなり缶詰タワーが倒れて俺ら2人とも下敷きになって、そのままこう、な」
「へぇー…」
ガチガチ、とボタンを操作する指に力が籠もる。
恐らく、浜面に過失はない。
しかしそこで何故どうして、唇が重なってしまうのだろうか。
やり場のない怒りが携帯ゲームに押し付けられて、画面の中にいる浜面の体力がどんどん削られていく。
「(……俺だってまだだってのに)」
「え、ちょ、上条そのハメ技はエグい」
「ははははは。今日の上条さんはバイオレンスに行きますよー」
これまでの戦績が嘘のように浜面を負かせていく。彼がゲームをボイコットしたあたりで、ゲーム機の電源を切って机の上に置いた。
浜面は床に大の字を書いて寝そべり、腑に落ちないと言わんばかりに頭を掻いていた。
「…なんかなー、アイツすっげーショックみたいな顔してな。謝ろうにも笑い飛ばそうにも微妙なんだよ。なぁ上条、お前ならどうするよ」
ふと時計を見れば、午後五時を指していた。今日はもう一人客人が来る予定だったので、夕飯の準備をしようとキッチンへ足を運ぶ。
眉間に皺を寄せている浜面へは、気のない返事をした。
「そういう状況になったことがないのでわかりません。以上」
「お前ほんと酷いな」
夕飯が出来上がり始めた午後六時頃。
玄関のチャイムが鳴り、客人が訪れた。三日振りに会う恋人の口元には、もうガーゼも瘡蓋も痣も何も残っていなかった。
柔らかそうな唇が、そこにある。
「……よ、一方通行」
「おォ」
短い挨拶の後、部屋に入った彼は荷物を下ろす。彼を視認した浜面も身体を起こし、声を掛けていた。
「よぉ第一位。怪我大丈夫か?」
「あンなもン、1日で治した」
「そうかよ。まぁ悪かったな」
「終わったことだろ」
結局浜面は軽く流しつつ謝る作戦に出たらしい。一方通行も軽く流して、浜面の背後にあるベッドに腰を掛ける。
「(………もしかして)」
あの日、一方通行がわざわざ我が家に訪ねてきてくれたのは。
フライパンで特大のオムレツを作りながら、ぼんやりと考えた。


やがて答えは出ないまま夜は更けて、午後十時を回る。


「じゃー風呂借りるぜ」
今晩は、2人とも泊まりの予定だった。何というか、24時間女性に囲まれてばかりの俺たちにとって、こうして男だけでだらだら喋ったりするのは数少ない憩いの時間であったりする。
浜面が風呂に消え、少しの間だけ部屋の中を沈黙が支配した。
そして2人きりという展開になると、やはりどうしても彼の唇に目が行ってしまう。
柔らかいのだろうか。
温かいのだろうか。
意識を逸らそうとするほどに、ぐいぐいと割り込んでくるような感覚だ。
「…な、ぁ。一方通行」
「ァあ?」
「浜面から聞いたんだけどな」
気を紛らわせようとテレビを見ながら、世間話のように話題を投げる。
彼は机に肘をつきテレビを見ているので、眼が合うことはない。
ごく、と口の中に溜まった唾液を飲んでから、話を続ける。
「…………その、キス、したって」
キス、と言う単語が出た途端に彼はこちらを振り向いて、何とも言えない表情を浮かべた。
怒っているような、申し訳なさそうな、恥じらっているような、泣き出しそうな。
「あ、ご、誤解すんなよ?事故だって聞いたし、その」
再び、部屋の中に沈黙が訪れる。
それから、失敗した、と話題を掘り下げてしまった自分をぶん殴ってしまいたくなった。
こんなことを話題に出す時点で、初めてがどうこうと拘っているのと同じ事だ。
一方通行も同じように受け取ったらしく、少しだけ落ち着かない様子でかりかりと頭を掻いていた。
うん、謝ろう。
と思い顔を上げたところで、俺は思いっきり背中を床にぶつけて、天井を見上げていた。
いきなりのことに疑問符を浮かべていると、見慣れた白い人影がのそりと俺の腹の上に乗る。
それから三秒もしないうちに、俺の唇に何か柔らかくて温かいものが重なった。
「…ン、…ふ」
視界に入るのは、色素が抜けた真っ白な睫だ。そして、小さくぬるりとした彼の何かが俺の唇の形をなぞる。
「…ァ、」
名前を呼ぼうと口を開けると、それが入り込んで俺の口の中にある同じものと絡まった。
白く華奢な手を両方使って俺の頭を固定するものだから、余計な発言など許されない。
なので、眼を閉じて口元の感覚に溺れることにする。
たまに響く水音や彼の吐息のせいで下半身がじっとりと熱を持ち始めていることに、彼は気付いているのだろうか。
それからどれくらい時間が経過したのか解らないが、ちゅ、と音を立てて唇を離した彼は、身体を起こす。
唾液でぬらぬらと唇を光らせ、若干頬を赤らめているその表情足るや、なんと淫猥なことだろう。
「…これで、」
一方通行は、ぐい、と唇を拭いながら言葉を紡ぐ。


「俺のナカの初めては、オマエのもンだ」


凄まじい威力の口説き文句を真っ正面から放たれた俺は、一気に顔が熱くなるのが解った。
そういうのは、アレ。
彼氏の方がリードしつつ言うものなんじゃなかろうか。
「…あーっと、一方通行」
身体を起こし、相変わらず乗りっぱなしの彼に声を掛ける。
「ンだよ」
ぎゅ、と背中に腕を回して抱き締めると、そのままゆっくりと仰向けに倒す。
ぱらり、と白い髪が床に広がった。

「………もう一回」

とても一回で足りるとは思わないが、一応彼に了解を取ることにした。
幸い、シャワーの水音はまだ止んでいない。
であれば、もう少しくらい彼といちゃつかせて貰おうではないか。












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