在りし日の名残りを結ぶ




慌ただしく人が出入りする部屋の片隅で、私はこの部屋の主であるかのように一日中居座っている。パソコンに向かいデータを入力し、出入りする人がいれば「お気をつけて」「お疲れさまです」と声を掛ける生活が始まって2週間経った。



事の発端は同僚と共に部長に呼び出された事にある。
何でも営業で大きな案件を抱えたプロジェクトチームが発足され、もう少しでそれも無事に終えるという段階でメンバーの1人が緊急入院となった。入院した人の分を他の者に割り振ったが、負担が増えれば当然残業が増える。残業が増えれば疲労から作業効率が落ちる。当然、人員を補充して欲しいとの声がチームから上がるも、本来は喜ぶべき事なのだが、今は他の営業も忙しいらしくそれも難しい。

そこで我が総務部に白羽の矢が立ったのだ。チームが抱える細々とした仕事を担う、縁の下の力持ちをして欲しいと頼まれたそうだ。有り体に言えば雑用係だ。
こっちだって仕事を抱えているのにという不満も噴出したが、営業部と総務部の部長が大学野球の先輩後輩という間柄だった事もあり断りきれず、若手で比較的仕事の量が少ない私と同僚のどちらかに行ってほしいと部長自らが頭を下げに来た。
「本当にすまない。どっちでもいいから行ってくれるかな?」
せめてこれが名字さんにしか出来ないんだ。と言われれば、仕方ないですね、やりましょう!なんて気にもなるのに。同僚と顔を見合わせ、いざ尋常にと行ったじゃんけんに負けた私は「早速今からお願いね。査定に色つけとくから」との部長の言葉に、絶対ですよと内心念押しつつ総務部を出たのだった。


チームに与えられた部屋に行けば、よく来てくれたと大歓迎された。外回りは一切しなくていいからねと次々と渡される入力用書類やらデータを渡され、貼り付けた笑みを浮かべつつ「あー、あの時パーを出していれば」と思うのだがもう遅い。出勤すればこの部屋に直行し、お手洗いとお昼以外は缶詰状態になった。
だが、想定よりもだいぶいい生活が送れている。そりゃあ、残業は増えたものの、戻ってきた営業の人達から渡される仕事と共に「いつもごめんね、これ良かったら食べて」「試供品貰ったんだけと、名字さん使う?」と献上品の如く渡されるものだから、嬉しくないわけがない。数量限定で滅多に買えないお菓子を渡された時は、あまりの喜びように「新鮮な反応でいいね」なんて部屋に笑いが溢れたくらいだ。
おそらくチームの人達も申し訳無いと思っていたのだろう。ここまで良くしてくれるのだからと、私もやる気を出して仕事に取り組んだ。そんな生活もプロジェクトの終了を控えた週末で終わる。

長いようで短い2週間だったなと思うと同時に、つまりは2週間もジムに行っていないのだなと気付かされる。


不死川君が私を覚えていたと判明した日、懐かしいねなんて当たり障りのない会話をして終えた。その後は気まずさを抱える私を、同僚が引き摺るようにしてジムに連れて行くこと数回。何回かは不死川君と会ったが、向こうは今までと変わることなく接してきた。だが、一度だけ私達以外に誰もいない廊下ですれ違った時は「お、今日も来たのか。無理すんなよォ」と敬語ではない砕けた話し方をしてきたのだから心臓に悪い。
あの体育館での笑顔を思い出して以来、不死川君への恋心まで蘇ってしまった気がする。

彼女いるのかなぁ。あんなに格好良いんだもん、当然いるんだろうなぁ。むしろ結婚していてもおかしくはない。
もしいなかったとしても、ジムには明らかに不死川君狙いと思われる女性達がいるからなぁ。と悶々とした気持ちを落ち着かせるにはちょうどいい2週間であった。

お昼に行ってきますと声掛けをしてから食堂に行けば、久し振りに同僚と遭遇した。
そっちの様子はどうかとの質問に、いい生活させてもらってるよと説明すれば「私がそっちに行けば良かった!」なんて悔しそうに言うから笑ってしまった。だがその笑みも、同僚が口にした次の言葉で固まった。

「そういえばさ、不死川さんが最近名字さんが来ないけど何かあったのかって聞いてきたよ」
「そ、そうなんだ」
「人手不足のチームに駆り出されて忙しそうなんで、当分は来れないと思いますよーって言ったら、不死川さん少し寂しそうにしてたよ」
「…そう…なんだ」
「もしかして寂しいんですかって聞いたら、そうですね、寂しいです。だって!良かったね、脈ありだよ」


そんなバカな。


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プロジェクトの無事終了を祝っての飲み会をやるからと、小洒落たバルに連れてきてもらった。ジムに通いだしてからこういったお店に行く事が無くなったので、油っこい料理に懐かしさすら感じる。美味しさはカロリーだなと思いつつ、アヒージョやエビやイカのフリットについ手が伸びてしまう。ええい、今日はチートデイだと都合の良い考えをしてこの時を楽しんだ。

「いやー、本当に名字さんが来てくれて助かったよ」
「ほんとほんと!雑用係みたいなもんだったのに、くさくさする事なく引き受けてくれた上に、よく気が利いてくれて助かったよ」

うーん。流石は営業。お世辞とわかっているのにこんなにもヨイショされれば、誰だって気分が良くなる。皆さんが良くして下さったお陰ですよと謙遜するが「いや、本当に本当だからね。営業事務に欲しい人材だって部長に進言しようかって話てたんだよ」なんて言葉に、嘘が本当かわからないが勘弁してくれと思った。

「残業ばっかりで大変だったよね。彼氏とか大丈夫だった?」
「あー、彼氏はいないので。大丈夫です、はい」

そうなの?それなら俺立候補しちゃおうかなー。なんて酒の場でのくだらない戯言を聞き流していると、話題は会社近くに出来たフィットネスジムへと移った。その言葉にビクリと反応した私には誰も気付かなかったと思う。
「前を通りがかった時にちらっと受付が見えたんだけど、そこにいた女の子がすっごい可愛かったんだよなぁ」
あそこはイケメンインストラクター揃いだって聞いたけど本当なのか。なんて他愛もない話から、再度こちらに質問が投げかけられた。

「そういえば、前に名字さんらしき人が入ってくのを見た事があるんだけど、もしかして通ってる?」

その言葉に実は…と肯定すれば、本当にイケメンばっかりなのかという質問からマシンはどんなのがある?という真面目な質問まで飛び交った。その中で一際熱心に質問する人がいた。他部署だが後輩にあたる男性だ。それに一つ一つ答えていけば、連れて行って欲しいと懇願された。
「すっげー気になってんスけど、ああいう所って1人で行くにはなんか敷居が高くて。でも体鍛えてモテたいんすよね」
営業がそんなんでどうするんだと先輩達から揶揄されているが、モテたいと言い切る姿勢に好感すら覚えるし、何となく敷居が高いのはわかる。私も同僚から誘われなければ行かなかっただろう。悩む素振りを見せた私に、お願いします!と頭上で手を合わせる仕草をしてみせるので、じゃあ電話しておくよと渋々言えば、さっきまでの塩らしさはどこへやら「やりぃ!筋肉ムキムキになって今年の夏こそは彼女が欲しいっす!」と破顔していた。
確か紹介制度があったはずだと思い、ジムのホームページを開けばやはりあった。1000円分の商品券か。悪くないなと思いつつスクロールすれば、後ろ姿で顔こそ見えないものの、色素の薄い髪色から一目で不死川君だとわかる写真に目が留まる。

ジムに行きにくいと思っていた筈なのに、その写真を見れば無性に不死川君に会いたくなった。本音を言えば私だって会えなくて寂しい。例え会話をしなくとも、他の人に指導している声が聞こえれば、ああ不死川君の声だ懐かしいなと聞き耳を立ててしまう。受付に行けば個人レッスン用の部屋で女性とマンツーマンでいるのを見て嫉妬のような感情が渦巻く。
学生時代にハッキリ振られたわけでもないから、今でもこんな中途半端な気持ちを引き摺ってしまうのだろうか。ならいっそう気持ちを伝えてハッキリさせてしまおうか。なんて、らしくもない思いになるのは酔っているからなのかもしれない。


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「ハッキリと言おう!筋肉ムキムキになるのは今年の夏ではない!来年の夏だ!そんなにもすぐに筋肉がつくわけではない!君は筋トレを軽視しすぎている!」


同僚と共に後輩を連れてジムに行けば、事前に電話をしておいた事もありスムーズに進んだ。申込書を書き終えた後輩の元へ来たインストラクターは、煉獄さんだった。
筋肉つけて細マッチョになりたいっす!と言い切る後輩に現実はそんなに甘くないと諭され項垂れる後輩。

「マジっすかぁ…」
「だが今から始めれば少しずつではあるが筋肉はつく!地味だが1日1日の積み重ねが昨日より強い君を作るんだ!」
「おお、やる気出てきました!俺、頑張ります!」
「うむ!その心意気だ!!だがそもそもなぜそんなにも性急に筋肉をつけたがる!?」
「いやー、やっぱ筋肉ある方がモテるじゃないっすか。ねぇ名字さん?」

突然の被弾に、飲みかけの水を吹き出しそうになった。
空調は効いているが、運動による人々の熱気などで蒸し暑く頻繁に喉が乾く。各々の飲み物を置いておくスペースがジムカウンター近くにあるので、そこでグビッとペットボトルの水を飲み、生き返るわぁと呑気に思っていた所にそんな事を言われて動揺してしまった。

「な、なんで私に聞くの!?」
「えー、だって名字さん、アカザのあの筋肉サイコー!って先輩達と話してたじゃないっすか」

確かに言った。プロジェクトチームの女性にもJO-GENファンが数名おり、その中にアカザファンもいたため、話が盛り上がった事がある。

「まぁ、確かに私は好きだけどさ」
「ですよね!名字さん狙いの先輩も、俺もアカザみたいに筋肉つければワンチャンあるかな。って言ってましたよ」

その先輩とは誰だ。あのプロジェクトチームにいた男性1人1人の顔を思い浮かべるが、検討もつかない。
「へぇ…名字さんはモテるんですね」
いつの間にトレーニングルームに来たのか、不死川君がカウンターにいてこちらの話に参加してきたものだからギョッとした。

「久し振りですね。以前と同じメニューを無理にこなさないほうがいいですよ」
「そ、そうします」
「よし!君もそろそろ次のマシーンに取り掛かろう!」

煉獄さんが後輩を連れてカウンターから離れたので、私もそそくさとその場から離れたのだった。

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後輩は余程楽しかったらしく、体験入会を終えたらすぐに正式入会をするつもりだと、社内ですれ違った時に教えてもらった。営業なので行く時間はマチマチであるため、私達とはジムで会う機会はあまりないのだが、それでも足繁く通っているようだ。
「じゃあ名字さん、今日も心を燃やしていきましょう!」
インストラクターの煉獄さんに感化されている事が明らかな台詞を私に掛けて、後輩は外回りに出ていった。後で聞いた話だが、今まではのらりくらりとした感じであった後輩の態度が一転し、熱血漢になりつつあるそうだ。彼が「兄貴」と呼ばれるのが良く分かった気がする。



「今日はどうする。ジムに行く?」
「あー、荷物届くから今日はパス」

早いうちに受け取りたいんだよね。との同僚の言葉に頷き、なら私1人で行くかと決めた。最初こそは1人では行きにくいと思っていたが、慣れた今となっては1人でジムに行くことに抵抗はない。同僚と別れた私は、その足でジムへと向かい良い汗を流し終えた。
シャワーを浴びてさっぱりしようと、更衣室のロッカーで荷物を整理しているとマスクを忘れた事に気付いた。この後電車にも乗るのだが、何よりも素っぴんノーマスクの状態を不死川君に見られたくない。仕方がない。首から下のベタついた汗を流して、汗で崩れたメイクを直そう。頭は帰宅してから洗えばいい。

そうして受付の甘露寺さんに挨拶をしてからジムを出た直後に声が掛けられた。
「うわぁ!偶然だね。今帰り?」
声を掛けてきた男性は明らかに私を知っているようで戸惑う。誰だっけ?でもどこかで見たような気がするんだよなぁと記憶の底を探っていれば、心外というように苦笑いを零す。
「あー、覚えてない?前に自販機で俺のオススメの飲み物を買ってくれたでしょ」
その言葉に、ああ!あの時のナンパ男!と記憶が一気に蘇る。思い出した事を察したようで、男性は思い出してくれんだねと上機嫌になった。
「そっかそっかぁ。いつもこの時間だったんだね。だから今まで会えなかったんだぁ。ね、せっかく再会出来たんだからさ、どっかで飯でも食って帰ろうよ」
マスクを忘れた私のバカ!マスク姿なら気付かれなかったかもしれないのにと己を恨んでも遅い。これがただのナンパならひたすらシカトをすれば相手は大体諦める。
だが、同じジムの会員ともなればそう無碍には出来ない。あまりお腹空いてないんでとやんわり断るも、じゃあ駅まで送るよ、女の子の夜の独り歩きは危ないよ。と、じっとりと湿った視線でそんな事を言われるが目下の危険は貴方なんですよと声を大にして言いたい。どうしようと悩んでいる時、不死川君が掛けてくれた言葉を思い出した。

『何かあったら声を掛けろ』

まさに今ではないか。
だがこんなナンパくらい1人でどうにかしろよと思われるだろうか。ああもう!と半ば自棄になり、さも今思い出しましたと我ながら棒読みだなと思う声を上げた。

「ああ、やだいっけない。更衣室に忘れ物をしちゃったみたいです。だから私の事は気にせずに先に帰ってください」
「大丈夫!ここで待ってるよ」

大丈夫じゃないんだよなぁと内心項垂れるが、ここでジムの中に戻らねば怪しまれる。じゃあとジムの中に戻るも、先程までいたはずの甘露寺さんの姿が見えない。もういっそ営業時間が終わるまで更衣室で時間を潰そうかと思いかけた時、天使が現れた。

「あら?名字さん忘れ物でもしたのかしら」
「甘露寺さんーー!!」

受付の奥から出て来た甘露寺さんの背後には後光が差しているように見える。
実は…とこんな事で頼ってすみませんと話せば、入口で待っている男性を気付かれぬように盗み見て「またあの人なのね!女性の敵ね、許せないんだから!」と憤慨してくれた。そうして受付の内側に誘導してくれ、ここでちょっと待っててね!と再度奥に消えていった。立っていればあの男性がこちらを見たらすぐにバレるなと思い、カウンターの影に隠れるよう蹲った。すぐに甘露寺さんが戻って来てくれ、裏口に案内するからこっちに来て頂戴と誘導してくれる。スタッフオンリーの扉を通り、ダンボールなどが積まれた廊下を歩き続ければ、スタッフ用玄関と思われる場所に到着した。ここまで来れば大丈夫だろうと甘露寺さんにお礼を伝えて帰ろうとするも、引き留められた。
「もうちょっと待ってて頂戴、すぐ来ると思うから」
誰が??
その答えはすぐに出た。
下こそいつも見るジャージ姿だが、ジムの制服と思われる黒いシャツではない白地のTシャツを着た不死川君が玄関から出てきたからだ。
「待たせたな」
なんで?と呆ける私の手から荷物を取り上げた不死川君は、そのままスタスタと歩き出し、スタッフ用駐車場と思われる場所へと行ってしまう。

「か、甘露寺さん、あの、これはどういう…?」
「不死川さんが何かあったら困るから家まで送るって。名字さんと不死川君って同級生だったんでしょ?聞いてビックリしちゃったわ、運命的な再会ね!素敵!」

そんな事ってあるの?と混乱する私に「オイ、行くぞォ」と不死川君が遠くから声を掛けてきた。これはもう、乗るしかないのか。



「ご迷惑をお掛けして、すみません…」
掃除が行き届いている車内におずおずと乗り込み、縮こまりながらそう伝えた。不死川君も予定とかあったかもしれないのに申し訳無い。
「いや、いい。気にすんな」
ああ、その返事。懐かしい。口調もジムにいる時のような敬語ではないので余計に郷愁に駆られる。あの時はネットを挟んでいたが、今はシフトレバーを挟んでいる事に時の流れを感じる。

「むしろ言ってくれホッとしたわァ」
「そ、そうですか?」
「ああ……あの男は強制退会になるから、もう心配しなくていいぞ」
「強制退会!?」
「他の女性会員から何件もクレームが来てる。大方ナンパのし過ぎでいつもの時間に居づらくなったからこの時間帯に変えたんだろうな。もっと早くに強制退会させときゃあ嫌な思いしなくて済んだのに、悪かったなァ」
「ううん、不死川君が謝る事じゃないから…」

私が強制退会のトドメを刺してしまったのか。薄っすらと罪悪感を感じているのに気付いたのか、不死川君は優しい声で続ける。
「名字が気にする事じゃねぇぞ。目的を履き違えて来てるからこうなるんだ。今頃は宇髄と煉獄に絞られてる頃だろうぜ」
ハッと不死川君は笑うが、私も一緒に笑う気にはまだなれない。
そんな私を不死川君はチラリと見てから、赤信号で停止後に助手席のダッシュボードから何かを取り出し、私に向けて手を差し出してきた。

「やる」
「え?」
「甘い物でも食べれば少しは気が紛れるだろ」

握り拳の下にそっと手を出せば、私の掌にコロンと転がる物体が。飴だ。

「ありがとう…いちごミルク味…?」

不死川君のイメージとは結びつかない味だなと思っていると、妹さん達が好きだから常備していると説明してくれた。

「そういえば、不死川君って兄弟多かったもんね」
「…よく、覚えてんな」
「あ、うん。まぁ」

覚えてるよ、好きだったんだから。
同じクラスになれた時、お世辞にも丁寧とは言い難い縫い目の手作りのお守りが鞄に付いているのに気が付いた。剣道の試合に勝てますようにと、まだ小さい弟や妹達が作ってくれたそうで、不死川君はそれを大事にしているという事を人伝に聞いた。
そういう所も、好きになったんだよ。

じんわりと込み上げる気持ちを、どう処理すればいいのか分からない。
「不死川君こそ、よく私の事を覚えてたね。クラスが同じだったのは1年間だけだったし、話した事もほぼ無いようなものだから、覚えてるなんて意外だったよ」
気持ちを誤魔化すかのように言えば、不死川君はすぐに返事をせず、少し間をおいてから口を開いてくれた。

「まぁ…そりゃ覚えてるだろ、普通。好きだった奴の事くらいは」

驚きのあまり口に含んでいた飴を飲み込みそうになり、蒸せてしまった。何度も咳をする私を、不死川君が気遣わしげにこちらを見てくる。

「おい、大丈夫かァ?……そんなに、驚く事かよ」
「驚くよ!だって、全然そんな事、思ってもなかったし……いつからって、聞いてもいいのかな?」
「……2年の時」

IH予選に敗退した事で3年生の先輩達の試合が終わった。私が出したパスがカットされ、そのまま逆転ゴールを決められて負けてしまったのだ。取りやすいパスを出したからだと泣いて謝る私に、先輩達は名前が謝る事じゃないよと優しく言ってくれた。こんなに優しい先輩達だからこそ、少しでも長く一緒にプレイをしたかったのにと、余計に涙が溢れて止まらなかった事を覚えている。
泣いても笑っても試合会場から学校に戻れば用具などの片付けが待っている。体育館の倉庫に1人で行けば、止まっていた涙が再び溢れグズグズと泣いてしまった。そこへやはり試合帰りの不死川君が荷物を片付けに体育館に来たらしい。倉庫に用があったのだが、私が泣いているので入るに入れず、かといって慰めの言葉も思いつかないし、そんな関係でもないため、ずっと扉の外で待ってくれていたそうだ。
翌日、教室で私の姿を見て今日は泣いてないのだなと思い、その日から何となく私を目で追うようになったと言われた。

「まぁ、あん時は俺もガキだったしな。あれが恋愛感情だったって気付いたのは何年かしてからだったけどよ」
「そ、そうだったんだ…」

両想いだった時期があったのかと、嬉しい気持ちとあの時の号泣を見られていたのかと恥ずかしさがゴチャ混ぜになる。

「だからよォ、体験入会の申込書を見た時はすげぇ驚いたし、柄にもなく感謝したくなったわァ。神様ってやつによ」
「…」
「名字に好きな奴がいねぇなら、俺と付き合わねぇか?」

次々と投げつけられる爆弾に意識が向いていたせいか、気付けば私のアパートの前に車が停まっていた。ハザードの灯りのように私の心臓もバクバクしている。驚きのあまり、不死川君を見つめる私の目はまん丸になっているだろう。まさかという気持ちで口をパクパクとさせていれば、不死川君が少し目線を下に逸した。

「まぁ、嫌だってんならムリにとは…」
「嫌じゃないです!!」
「お、おお。…えらい食い気味だなァ」
「ご、ごめん。その…実は私も高校の時不死川君が好きで…」
「んだよ、そうだったのかよォ!」
「うん…だから、ジムで会えた時本当は嬉しかったよ。でも凄く格好良くなってたし…あ、昔も勿論格好良かったよ?ただ今は更に格好良いっていうか、何ていうか…」
「なんか照れんな……」

頬を掻く不死川君の耳が薄っすらと赤い。それにつられて私も気恥ずかしくなり、小声で「彼女がいるかもなぁ、なんて思ってて…」と言えば「今はいねぇよ」とハッキリ言ってくれた。

「まぁ、名字さんの好きなアカザ程の筋肉じゃないかもだから、俺じゃ物足りないかもしれないけどォ?」
「もう!意地悪!」

悪戯っぽく言われるものだからムッとなって言い返せば、不死川君はははっと楽しそうに笑う。昔粂野君に見せていたような笑顔に、ああ、この笑顔も好きだったんだよなぁとしみじみと思ったのだった。



20210704


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