私だけの秘密




あの雨の日の邂逅から約3ヶ月。
連絡先を交換してから、示し合わせて甥っ子と就也君を交えて遊ぶこと数回。2人で夕ご飯を食べたり1日掛けて出掛けること数回と会う回数を重ねていった。メッセージアプリでのやり取りもほぼ毎日しており、その流れでお互いに敬語は止めようとなった。文章の応酬ではそうではなくとも、会えば時折敬語混じりの辿々しい会話。だがそれすらも楽しく次第にそんな辿々しさも消え、代わりに冗談が交じることも。時を同じくして、不死川さんから名字ではなく名前さんと呼ばれるようになった。俺のことも下の名前で呼んでいいぞと言われたが、照れが勝って言えないでいる。



今日は不死川さんの妹さんの1人の誕生日プレゼントを買うため、ショッピングモールへと来ている。ネットでは既に品切れである希望の品は、実店舗ならまだ残っていると聞きつけ、良ければ一緒にと誘われてここまで来たのだ。そんな妹さんへのプレゼントを真っ先に買い、あとは気になる所を見て回ろうとモール内をブラブラしている。夏休み中でかつ土曜日だからか、家族連れが多い。人混みの中を縫うように移動する時は、不死川さんは私の歩幅に合わせてピタリと横につき、逸れることのないように気遣っているのがわかる。
こういうことが自然と出来る優しさを、何度目かのデートでわかった。
次いでカブトムシが好きなことも知った。
あれは甥っ子が公園でカブトムシを見つけて飼うと言い出した時のことだ。不死川さんは甥っ子にもわかりやすいように、よくよく噛み砕いてカブトムシの飼い方を説明する。その顔は楽しそうでどこか幼く見え、カブトムシが好きなのだと伺い知ったのだ。
他にもおはぎが好きなこと、同僚の先生達が個性豊かで楽しそうなこと、1つ知る度にもっともっと知りたいという欲深さと、好きだという気持ちが増していく。


ふと、目の前を歩くカップルの姿が目に入る。もしも今、私と不死川さんが付き合っていたらああして手を繋いでいたのだろうか。
今日も含めて何度も会っているのだが進展らしい進展は、未だない。つまりまだ付き合ってもいないのだ。
不死川さんからお出掛けに誘われる度に、もしかして告白されるのではと淡い期待に包まれる。だがそれも虚しく、毎回きっちりと玄関前まで送り届けられ、部屋に入ることもなく不死川さんは帰っていく。まさに紳士だ。今日こそは何かが起きるかもしれない。いや、起きてほしいと強い希望を胸に臨んでいる。この後はモールを出てから2人で夕飯にする予定だ。告白は食後か別れ際か。私の心の準備は万端ですよ、不死川さん!ちらりと隣を見やり、そう心の中で叫ぶ。

夕飯は何でもいいと言う不死川さんに、たまにはエスニック料理が食べたいと希望した。思っていたよりもスパイシーすぎたナシゴレンに、ヒーヒーと涙目になる私を見て楽しそうに笑っている。「ちょっと口つけちまったがこっちにするか」と差し出されたのは美味しそうなガパオライス。ちょっと口をつけたって、間接キスじゃんと年甲斐もなく照れる私の顔は、辛さで赤いからバレなかったろう。お互いのお皿を交換し、不死川さんは辛いのが平気なのか涼しい顔で食べている。

「なんだ?」
「不死川さんも辛くてヒーヒーいう姿を期待してた」
「ははっ、そりゃあ期待に添えなくて悪かったなァ」

またも楽しそうに笑い、ノンアルのビールをゴクゴクと飲む。別にいいのだ。この後期待通りの行動をしなかったら、多分落ち込むけども。


「思ってたより遅くなっちまったが大丈夫か?」
「うん、大丈夫。いつも送ってくれてありがとう」

いつものようにきっちりとアパートの私の部屋の前まで送り届けてくれる。
告白、されるだろうか。
私の心臓はあの時のように早鐘を打つ。ねとりとした湿気が纏わりつき、暑さだけではない汗が滲み出る。

「じゃあ、俺はこれで」
「え!?」
「ん、どうした?何かあったのか?」
「う、ううん。何でもないの!夜遅いから不死川さんも気をつけて帰ってね」
「ありがとな」

嬉しそうに笑って去る不死川さんはやっぱり格好良い。最後に素敵な笑顔が見られて良かった。告白はされなかったけれど。
今日も進展がなかった事に落ち込みながら扉を閉めて鍵を掛ける。そんな私を迎えてくれるのは室内に漂うむわりとした熱気だけ。電気をつければキレイに片付いた自分の部屋が姿を現す。昨晩は「明日帰宅したら不死川さんの恋人になってるかも!もしかしたら不死川さんがこの部屋に来るかも」なんて都合の良い考えを膨らませてせっせと掃除をしていたのだが、現実は儚い。
あの雨の日の夜は、半ばお互いに告白しているようなものだと思ったのだけど違ったのかしら。それとも最初は確かに好意があったけれど、何回か会ううちに「何か違う」と思われてしまったのか。それともただ単に女友達が欲しかったのかな。
わからない。いくら他人の気持ちを推し量ろうとしても、結局は本人の考えは本人にしかわからないのだ。
ミニテーブルにそっと頭を載せて座り込んだ。側に置いた鞄を見つけ、今日のお礼のメッセージ送らねばと手繰り寄せる。
不死川さんへのお礼メッセージを送信した後、少し考えてから別の名前を探して再度文章を打つ。


「と、いう事なんだけど、お姉ちゃんはどう思う!?」
「んー、そうねぇ…」

あの後、不死川さんの事で相談がありますと姉に連絡すれば、すぐさま明日なら空いてると返事が来た。レスポンスの早さは流石だ。手土産を購入してから姉宅に行けば、甥っ子とお義兄さんは義実家に遊びに行っているという。
これまでの経緯を話して人生でも恋愛面においても先輩の意見を求めた。

「他に好きな人でもいるのかなぁ?それとも彼女出来ちゃったとか?」
「彼女出来たなら、そもそもあんたには会わないでしょ。そういう事をするような人でもなさそうだし。それに、志津さんだって長男に良い人がいるなら紹介してほしいって心配そうにしてたし」
「…ん?待って、志津さんって誰?」
「不死川さんのお母さん」
「お母さん!?お姉ちゃん、不死川さんのお母さんと交流あるの!?」

意外な人物の登場に驚きのあまり声を出せば姉は楽しそうに笑って説明する。
公園でたまたま就也君と会ったら、その日連れてきていたのは母親の志津さんだった。子供達を遊ばせながら話せば、保育園も一緒という偶然。そこから育児の悩みを吐露すれば、流石は7人の親である。自分の経験を交えてアドバイスをしてくれ、気が楽になった姉はもし良ければと連絡先の交換を申し出た。それからすっかりママ友になったそうだ。

「ママ友っていうか、もう先生だよね。志津さんは本当に凄いよ。仕事も育児も卒なくこなしてて本当に尊敬しかないわ。私なんて1人でひーひー言ってんのに、志津さんは長男が自立したとはいえまだ6人育ててるのよ」
「確かに、それはすごい」
「一緒に公園で遊ばせてたら急な雨降りでさ。もし良ければって志津さんのお家で遊ばせてもらったのよ。その上お昼もご馳走になっちゃってさぁ」
「それって……それって不死川さんの実家じゃん!はぁー…、お姉ちゃんの方が進んでるってどういうこと…?」

私は不死川さんの実家どころか、一人暮らしをしているアパートにすら行ったことがないというのに。自然と深く重い溜息が出る。

「そうそう、不死川さんといえばその時たまたま泊まりに来てたみたいで家にいたのよね」

寝起きだったようで髪の毛が少し跳ね、白シャツにハーフパンツ姿、そして薄っすらと髭が生え、覚醒しきらない頭でいた状態だったらしい。姉と甥っ子の姿を見て驚いた不死川さんは慌てて引っ込み、次に姿を見せた時は身嗜みが整った状態に。そうして志津さんと一緒にお昼御飯を作り、皆で食べたという。そんな全てにおいて羨ましい話を聞き、姉に羨望の眼差しを向ける。

「そうね…名前。一つ言っておくわ。」
「…何よ」
「寝起きの不死川さんは、なかなかに色気があったわよ」

そんなの、私が先に見たかった。


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結局姉からのアドバイスは「今時男からの告白を何時までも待つなんてナンセンス。好きなら女だろうが自分から行け」だった。そこで初めてお義兄さんと付き合う事になったのは、姉からの告白だと知り驚いたが大いに刺激を受けた。

ーー次のデート、私から誘って告白しようかな。

いつもは不死川さんからここはどうかと打診があったり、私が行ってみたいと反応した場所に誘い出してくれる。私から誘うのは初めてだが、女性からいったっていいじゃないか。そうだそうだと気持ちが盛り上がり、そのままの勢いで初めて自分からデートに誘ってみた。
だが不死川さんは目前に控えた新学期の準備やら弟妹達の宿題の面倒を見るので時間を作るのが難しいとのこと。落ち着いたら必ずまた誘うから待っていて欲しいとの文章に、これは真に受けてもいいものなのだろうかと不安になる。そう言ってフェードアウトされちゃうパターンかもしれない。
考えは自然と悪い方向へと寄ってしまう。
そんな悶々とした日々を送っていた時のことだ。

「え?また急な仕事になっちゃったの?」

いつかのように、姉夫婦から週末が仕事で預かり先も見つからないとSOSがきた。要請には応えてあげたいのだが、8月末とはいえまだ暑い。そんな中以前のように公園に行って大丈夫か疑問に思った。
甥っ子の事は勿論だが、どちらかというと私の体力に不安がある。普段会社や家でエアコンという文明の利器を一心に浴びる身に、今更太陽の下で甥っ子と遊び、倒れない自信はない。

『公園には行かなくていいよ。でもお家遊びも飽きちゃったみたいでさ、良ければあんたのアパートで遊ばせるのはどう?』

今はだいぶ涼しくなったものの、今夏の猛暑により家で過ごすことが多かったためお家遊びは飽き飽きしてしまったらしい。幸いにも私と姉の家は近い。場所が変われば家の中でも遊べるだろうと目論んだようだ。
それならと了承したのだがーー。

「うわあぁぁぁぁん!しんかんせんー!!!」

預かり日当日、私は泣きわめく甥っ子を前にして打ちひしがれていた。
私の家に来た甥っ子は「おねえちゃんのおうちだ~」と目新しいものに囲まれて機嫌よく過ごしていた。そこまでは良かった。
持参した新幹線のミニ図鑑を広げて「これはこまちだよ」と一つ一つ説明する姿に頬が緩み、愛おしく思っていた。そこでふと、いいものを見せてあげようと思ったのがいけなかった。ネット動画で新幹線を見せてあげたら喜ぶかなと思ったのだ。姉からも見せてもいいと予め言われていたので、長時間にならない程度にと甥っ子に声を掛ければそれはそれは喜んでいた。
だが何が原因か全く分からないがネットに繋がらない。テレビへの接続はこれでいいと思ったのだがとアワアワしているうちに、「まだぁ?」と甥っ子も痺れを切らす。仕方ないとスマホで見せようとするも、そもそも回線が悪いのか止まって動いてを繰り返して無限ロード地獄。新幹線の動画を満足に見られない事に絶望した甥っ子は、先程のように泣きわめいてしまったのだ。

「えーっと、えーっと。あ!そうだ、なら公園に行くのはどう!?」

これ以上は近所迷惑になってしまうと苦し紛れに代案を出せば、甥っ子にヒットしたようでピタリと泣き止んだ。

「こうえん?さいきんいってないから、いきたい!」
「…よし、わかった。行こうか」

これ以上甥っ子に泣かれる大変さと、日差しの下で遊ぶことを天秤にかけたら甥っ子の方が大きく傾いた。幸いにも今日は曇り空で風もある。つい最近までと比べると外であっても格段に過ごしやすい気温だ。命綱とも言える飲み物を用意し、いざ公園へと向かう。

「今日はお砂道具持ってきてないから、遊具で遊ぼっか」
「ぼくね、あれであそびたい!」
甥っ子の指差す先にあったのは巨大なローラー滑り台。多種多様な登り口を経て高さが違うローラー滑り台を選んで降りてくるものだ。

「おねえちゃんもいっしょにすべろ!」
「うん」

ローラー滑り台なんていつ以来だろうか。甥っ子を先に行かせて階段を登り続けると、更に上へと続く階段と滑り台の広場に出た。甥っ子はもっと上に行くと再度階段を登りはじめ、一番上まで到達してから楽しそうに滑り始めた。そのすぐ後でスピードを調節しながら私も滑れば、お尻に懐かしい痛みを感じる。
ようやく地面に足をつけ、いたたとお尻を擦る私を他所に、甥っ子は「もういっかいやろ!」と楽しそうにしている。

「こんにちは」

不意に掛けられた声に驚き振り返れば、そこにいたのは就也くんと、なんと不死川さんだった。

「あー、しゅーやくんだ!いっしょにあそぼ」

パッと顔を輝かせた甥っ子は、同じく嬉しそうに笑う就也くんと連れ立って再び滑り台へと向かう。慌てて私も背筋を伸ばして不死川さんに挨拶をする。

「久しぶりだね。忙しいって言ってたから公園にいるとは思わなかったよ」

言い終えた後、存外に責めた口調になってしまったかもしれないと後悔した。
だが不死川さんはさして気にしていないようだ。

「下の弟が急に風邪引いて熱出しててな。家に就也がいると静かに寝れないってんで外に連れて来たんだ。本当はこの日までに兄弟全員が宿題終わらせたら遠出に連れて行ってやるって約束してたんだがなァ」
「そうだったんだ…それは残念だったね」
「まぁなァ。でも他の日に連れてってやるって言ったら納得してたわ。だから名前さんと出掛けられるのももう少し先になっちまう。わりぃな」

多分この日以降なら都合がつくと挙がった具体的な日付に、フェードアウトの可能性は消えたかもしれないとひっそりと喜ぶ。

「今日はお姉さんは?」
「また2人とも仕事になっちゃったんだって」
「ああ、そりゃ大変だなァ」

その後は弟さんの自由研究の内容や甥っ子のカブトムシの成長具合など、他愛もない事を語り合って楽しんでいた。
その時だ。

「もしかして、名字?」

振り返ればそこにいたのは、マラソンのウェアに身に包み、額がしっとりと汗ばんでいる男性。よくよく見れば大学時代に同じ学部で、何人かの男女でやれBBQだの海に行こうだのよくつるんでいたメンバーの1人だ。

「やっぱりかぁ、うわー懐かしいな」
「本当だね。こんな場所で会うなんて思わなかったからビックリした」

卒業以来会っていない懐かしい顔についつい顔が緩む。

「もしかして家この近くなのか?…つーか、もしかして隣の人彼氏?俺、邪魔しちゃってるかな」
「あ、ううん。この人は……友達、だよ」

不死川さんとの間柄を表す言葉に悩みながらも友達と告げる。ふぅんと些か納得していない顔をするものの、俺は名字の大学時代の友人ですと律儀に挨拶をする。不死川さんも軽く一礼してそれを受ける。

「で、名字。ちょうど良かったわ。実はあの時のメンバーでリモート飲みやろうって話が出ててさ」

挨拶を交わして再度私に視線を向けた友人は概要を話す。仲の良かったあの時のメンバーは卒業して各地に散らばり、なかなか会うことが出来ない。でもたまには懐かしさに浸りたい。そんな時に通信アプリの存在を知った友人が、他のメンバーに話せば面白そうだからやってみようとなったそうだ。

「近々やるつもりだから、名字も参加しろよ。日時の候補を送りたいんだけど連絡先とか変わってないよな?」
「うん、それは変わってないよ。あ…でも今ネットの調子が悪くて」

先程の事を思い出す。読み込みが遅い状態なら会話なんて難しいんじゃないかなと不安になり話せば、友人は少し考えてから再度口を開く。

「昨日までは普通に使えてたんだよな?」
「うん。今日急に悪くなっちゃって。一時的なものならいいんだけどさ」
「なら俺が見てやろうか?」
「え?」
「さっきこの近くに住んでるって言ってたよな?実は俺もここから近いんだよ。名字の家に行って直接見てやるよ」
「それは助かるけども…」

なんだか悪いなと思わなくもないのだが、正直に言えば助かる。登録している有料動画配信サービスが使えないのは結構痛いぞと思っていたのだ。じゃあお願いしちゃおうかなと言い掛けた時、不死川さんの声が被る。

「名前さん、就也達が向こうに移動した」
「え?あ、本当だ。ごめん、実は今甥っ子の面倒見ててさ」
「いいよいいよ。また後で連絡するな」
「うん、じゃあまたね」

手を振ってすぐに甥っ子達の現在地を探そうとすると、不死川さんがあっちだと指差す。巨大なローラー滑り台を堪能したのか、次は電車の形をした遊具に向かって走っている。私達も小走りでそちらに駆け寄れば、先頭車両につけられているハンドルを回して楽しそうな声を上げていた。
きゃあきゃあと楽しそうに歓声を上げる姿を動画に撮って、姉に送ろうかとスマホを取り出す。

「さっきの」
「え?」

不死川さんが口を開いた。どこか雰囲気が険しいのは気の所為ではないだろう。
もしかして先程甥っ子達から目を離してお喋りに興じていたのがまずかったかと、慌てて謝る。

「あー、いや。俺が見てたから別にいいんだが……ネット、俺が見てやろうか」
「え?」
「実家とかでもネットやらなんやらは俺が全部やってるから、それなりにわかるつもりだ。俺じゃなくてさっきの奴に見てもらいたいってなら無理にとは言わねぇが」

この感じ、懐かしい。

「ううん!不死川さんがいいな。お願いしてもいいかな?」

しまった。返事が前のめり過ぎたかしらと少し焦るが、不死川さんはわかったと少し笑う。先程まで漂っていた険しい雰囲気も消えたことでホッとした私は口も軽くなり、家での甥っ子とのやり取りを話すと「災難だったなァ」とまた笑う。
早い方がいいだろとの不死川さんの言葉により、今日の夕方家に来てくれる事になった。家族や仕事とかは大丈夫なのかと心配になったが、それは気にしなくていいと力強く言われた。
姉の帰宅に合わせて甥っ子を送り届け、お茶の誘いを断り慌てて帰宅する。部屋を片付けてテレビやモデム周りの埃を取らねば。ああ、公園で汗をかいたからシャワーも浴びたい。時間がないぞと慌ただしく動き回り、なんとか形になったかなと部屋を見回すとチャイムが鳴る。

「はい!」

すぐさま玄関に行き扉を開ければ、不死川さんが少し驚いた顔をする。そうしてから少し眉根を寄せた。

「おい、ちゃんと俺だって確認したかァ?」
「あ、してない…です…」
「女の一人暮らしなんだから、ちゃんと用心しろよ」

ったく、と困りながらも微笑む。部屋に招き入れて問題のモデム置き場所へと案内する。不死川さんが座り込み、これかと呟いてからケーブルを弄りだす。その姿を後ろから覗き込み、はたとお茶を出さねばと気付く。麦茶をテーブルに出してから、再度じっくりと不死川さんの後ろ姿を眺める。考えるの時の癖なのか、首を右に傾げてから左手で項を擦りながら「こっちは異常ねぇなァ」と呟いている。
自分の部屋に不死川さんがいる。好きな人がこの場にいるだけで、よく見知ったはずの部屋が違う部屋に感じられる。この空間に2人きりという甘い緊張を享受していると、不死川さんがこちらを振り向く。

「多分これでいいと思うんだが。確認してみてくれ」
「うん」

不死川さんの隣に座り込み、テレビをつけていつもの有料動画配信サービスを見ようとリモコンを触る。午前中はWi-Fiの接続を確認してくださいの文字が出ていただけだったが、今はいつものように様々な番組のアイコンが並ぶ。

「わ、すごい!映った!」
「じゃあ次はスマホの方はどうだ?サクサク動くか?」

自分のスマホを取り出してネットを開けばこれまた先程とは違い快適に動く。隣で画面を覗き込んでいた不死川さんに「すごい!ありがとうございます!」とお礼を言えば少し照れたように「こんなのは別にたいしたことじゃねぇから」と謙遜する。
と、私のスマホからピコンと音がなる。
お姉ちゃんかなと思いメッセージを開くと、先程公園で会った友人からだった。何時頃行ってもいいか。位置情報を送ってくれとの文面に、なんて返そうかなと顎に手を当てジッと見つめていると、大きな手が画面を遮った。
ここには私と不死川さんしかいない。画面を遮った手も、当然不死川さんのものだ。行動の意図がわからずに不死川さんを見れば、眉根を寄せ、どこか機嫌が悪そうだ。

「不死川、さん…?」
「……から…」
「え?」
「頼むから、俺以外の男は見ないでくれ」

突然の言葉に固まる。
私の胸が期待に膨らみ頬が熱を帯びていく。こんな言葉を言われて期待しない女性がいるなら会ってみたいものだ。

「さっき、公園でコイツと親しそうに話してたけど、昔好きだったやつとかか?」
「あ、ううん…グループでよくつるんでただけで、別に好きとかではなかったよ」
「……なら、いいか?」
「…なにが?」
「名前さんの彼氏になりたいんだが、いいか?……できれば、肯定以外の返事は聞きたくない」

いいも何も、私の返事は決まっている。
自信なさげな、逃げ道を作らせぬ物言いと表情。あの時も思ったが、不死川さんにこんな表情をさせているのが私だという事実に喜びで胸が震える。同時にたまらなく愛しいとも思う。

「してほしいです。私を…不死川さんの彼女にしてくれますか?」

抑えきれない喜びが顔に出ていたと思う。私の返事とその表情を見て、不死川さんは心底ホッとしたというように肩の力が抜けていくのが傍目にもわかる。そうしてから「あー、やっと言えたわァ。良かった」と画面から離した手で己の顔を覆う。覆われていない部分や耳が真っ赤な事に気付き、むくむくと悪戯心が呼び起こされる。

「いつ言ってくれるのかなぁって、ずっと思ってたよ。私から言っちゃおうかなぁとも思ってたし」
「悪かったよ…なかなか勇気が出なくて言い出せなかったんだわ」

聞けば、毎回今日こそは言うぞと心に決めてデートに臨んでいたのだが、万が一にも断られたら暫く抜け殻になるぞと躊躇い、延びに延びていたそうだ。だが今日、大学時代の友人と再会し、私の家に男が上がるかもしれない危機を眼前で目撃して、何がなんでも阻止して告白せねばと己を奮い立たせてきたらしい。

「ソイツからの、ちゃんと断ってくれ」
「うん。彼氏がやってくれたから解決したよって言っておくね」
「ん…」

私の口から出た「彼氏」という言葉に、不死川さんの眉がピクリと反応し、そっぽを向く。もしかして照れているのかしらと、ジッと不死川さんを見つめていると、視線がいてェと不満を漏らす。仄かに色付くそこに私は満足感に包まれる。

「不死川さんがこんなに照れ屋さんとは知らなかったな」
「言ってろォ…」
「えへへ、でも嬉しい」

にこにこと微笑む私の頭をぐしゃぐしゃと撫でつければ、当然髪の毛はボサボサになる。

「ハッ、すげぇ頭」

菫色の瞳を細め、楽しそうに笑う姿も初めて見たかもしれない。もっといろんな不死川さんが見たい。その想いで胸がいっぱいになり、自然と口を開いていた。

「姉が…寝起きの不死川さんは色気があるって。私も、寝起きの不死川さんが見たいな」

我ながら大胆な事を言ったものだと思う。完全にこの場の雰囲気に流されての発言だ。だが後悔はしていない。偶発的とはいえ姉が見ているのに、彼女である私が見たことないなんてと姉に対する嫉妬が芽生えてしまったのだから仕方ない。
不死川さんは、今度は目を真ん丸にして虚をつかれた顔をした。そんな顔も可愛いなと思ったのも束の間、次の瞬間には「へェ」とニヤリと悪い顔をして笑う。

「それなら明日の朝にでも見せてやろうかねェ」

果たして、翌朝に寝起きの実弥さんを見てなんと思ったのかは、私だけの秘密だ。



20210911
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