黎明 後編




実弥さんの傷がすっかり塞がったのは、桜も散り、遠くの山々がキレイな緑に染まった新緑の頃だ。
その頃になると2人での買い出しも定着し、行く先々のお店から「今日も仲が良いね」なんて笑顔で声掛けされるのが常になった。重い荷物は率先して持ってくれるし、賑やかな通りに入ればそっと人避けになってくれる。膳の上げ下げどころか食事も一緒に作ろうとしてくれる。日々注がれる実弥さんからの優しさに、私も何か返してあげたいなぁと贅沢な悩みも持つようになった。

その日は、洗い終えたばかりの洗濯物を干すために庭にいた。皺を伸ばすために洗濯物をパンパンと叩きながらも、頭は何をすれば実弥さんは喜んでくれるのかしらと考えを巡らす。

「おはぎと甲虫以外で好きなのってあるのかしら…」
「そりゃあ、アイツが夫婦になるくらいだ。名字に決まってるだろ」

ポツリと口から零れた思考は、思いがけず人に拾われた。

「わっ…!?う、宇髄様!ご無沙汰しております」

心の臓が口から飛び出そうになりながらも慌てて振り返れば、風呂敷包みを持った元音柱の宇髄様がにこやかな笑顔で立っていた。

「よぉよぉ、名字元気か?って今はお前も不死川か」
「は、はい!宇髄様におかれましてもご壮健そうで何よりで…」
「あー、そういう堅っ苦しいのはいいから。アイツ、いる?」
「はい!今呼んで…」
「おい、騒がしいんだが何かあったのか…って、テメェかァ。何の用だ、宇髄」
「久し振りだなぁ、この前冨岡や嫁達と温泉に行ってきたんだわ。で、土産持ってきた」

持参した風呂敷包を掲げてニコリと笑う。
早速客間にお通しし、お茶を出してから私はそっと退出する。元柱同士のお二人には積もる話もあるだろうと思ったからだ。お洗濯物干しの続きでもしようかなぁと歩き出した時、宇髄様の良く通る声が耳に入った。

「で、どうなんだよ」
「あ?何がだ」
「新婚生活だよ。夜の方とか大丈夫か?ちゃんと名字を満足させられてるか?何なら忍の指南書でもやろうか?」
「ブッッッ!っ、テメェ…何言ってやがる!!!」

実弥さんが口に含んでいたお茶を激しく吹き出した音が耳に入る。私も危うく手に持っていた丸盆を思わず落としそうになった。

「お前は堅物だったからなぁ。鬼殺隊時代も色街に誘っても全然乗らなかったし、そういう方面うまく出来てるのか心配なのよ、俺は」
「余計なお世話だァァ!!んな心配されなくても十分満足させてるわァ!」
「本当かよ。女は演技するからなァ。気持ちいいと思ってるのは自分だけって事もあるぜ」
「……」

ボソボソと実弥さんが何かを言っているようだが、よく聞き取れなかった。私も恥ずかしさの余りこれ以上この場に留まるのは耐えきれず、足早に戻っていった。
その晩、実弥さんにいつもよりひどくねちっこく責められ「本当に気持ちいいんだよな…?」とどこか不安気な様子。勿論演技などする必要もなく気持ち良いのだが、それをちゃんと伝える余裕もなく気をやれば目が覚めたときは朝だった。太腿をはじめ体の至る所が痛く、体を起こすのも非常に辛い。そうしていると実弥さんがやって来た。ばつの悪そうな顔をして「朝飯作ってくるからまだ寝てろ」と甘やかしてくれる。昨晩散々無体を強いられたのだしまぁいいかと、二度寝を決めてスヤスヤと眠りについた。

そんな日々が続き夏の日差しもすっかりと和らぎ、いつしか秋の気配を感じるようになった。庭に散乱する枯れ葉を寄せ集め、これで焼き芋をするのもいいかもしれないと計画していると、大きな欠伸が出た。

ーーやっぱりなんか眠いなぁ。

目の端に滲み出た涙をそっと拭う。ここ最近は寝ても寝ても眠気が取れずにいる。お昼御飯を食べた後、頻りに欠伸をする私に苦笑いをし「昨日も寝たのが遅かったからなァ」と実弥さんが昼寝を勧めてくれる事も多々ある。だがその後も日中眠たげになることが多く、ホヤ掃除をしながらも船を漕いでいたようで実弥さんに大層驚かれた。私の身を案じて、しばらくは夜の方も大人しくすると宣言されてしまった。それはそれで寂しいのだが、確かに異常なまでの眠気が襲ってくるので、睡眠不足が解消されるまではそうしようと思っていたのだが…。

胸のムカムカや月の物でもないのにお腹に感じる鈍い痛み、倦怠感が次々と襲ってくるので床に臥せる事が多くなった。最初は夏の疲れが今頃出たのかなぁなんて思っていた。だがお腹が痛むと訴えれば、実弥さんはこれはただごとではないぞと感じ取ったようだ。ある日蝶屋敷に行くぞと連れて行かれた。

「つーわけなんだがよォ、コイツ何かの病気じゃねぇのか?」
「そう、ですねぇ…確証がないのでハッキリとは言えませんが、少しだけ名前さんと2人だけにしてもらえますか?」

今や蝶屋敷の主となったカナヲさんに私の症状を話せば、逡巡してから実弥さんに席を外すように言う。実弥さんは少し不服そうだったが、私からもちゃんと後で話しますからと後押しすれば、渋々と扉の外へと消えた。

「単刀直入に言いますが、最後に月の物が来たのはいつですか?」
「ええっと…確か二月程前でしょうか?って、もしかして…?」
「はい。御懐妊の可能性が高いのではないかと……その、お二人が夫婦生活をしていればの話ですが…」

ポッと頬に朱が差すカナヲさんにつられて私まで頬が熱くなる。夜の夫婦生活なんて、今でこそ大人しくなったが、宇髄様のあの一件以来かなりの頻度でしていた。思い当たる節しかなく、どんどんと熱くなる頬と胸。お腹にそっと手を当てて、そこに存在するかもしれない命に思いを馳せる。この上なく嬉しいのだが、彼は喜んでくれるだろうか。

「私はそちらの方は専門外なので、きちんとした所で見て頂くのがいいかと思います。お体、大事にしてくださいね。気が早いかもしれませんが、おめでとうございます」

今ではすっかり自然に笑うようになられたカナヲさんのその笑みに、胸がグッときた。深々と頭を下げて診察室の扉を開ければ、向かいの壁に背を預けて腕組をしている実弥さんがいた。

「あ…実弥さん、その…」
「ん…」
「えっと、その……」

喜んでくれるだろうか。
一時は他の男性との縁談を持ち掛けてきたくらいだ。半ば私の泣き落としのような形で夫婦生活を送っているのではないかという不安も、胸の奥底にあった。日々受ける優しさを甘受して、それに目を向けぬようにしていたのだが、新たな命を前にその問題がむくむくと目を覚ます。

ーーどうしよう。

そう思案して口を開けては閉じるを繰り返せば、先に言葉を発したのは実弥さんの方だった。

「嬉しくねぇのか…?」
「え?」
「出来たんだろ、赤子が」
「なん、で…それを…?」
「耳が良いんだよ。ここに居ても会話が聞こえた」
「そうでしたか…」

言われてみればこの薄い壁と柱を勤め上げた者の聴覚が加われば、いとも容易く中の会話なんて聞こえるのだろう。お腹に赤子がいるかもしれないと知った時の彼の反応を見ることが出来なかったのが残念ではあるが。

「………私、産みたいです。産んでもいいですか?」
「…むしろなんで俺が許可しねぇと思うんだ」

フーッと深い息を吐いたかと思えば、実弥さんは着流しの上に纏っていた羽織をそっと肩に掛けてくれた。

「外、風が強いからな。体冷やすなよ」

そう言って瞳を細め、私の好きな優しい顔をするものだから鼻の奥がツンとする。涙がポロポロと零れ落ち「嬉しいです」「良かった」と繰り返しては号泣する。私の泣き声に慌てて出てきたカナヲさんが、空いた部屋で少し休むようにと案内をしてくれた。
そこで己の胸の裡を全て吐き出せば、実弥さんは最後に悪かったと頭を下げた。

「あの時は…俺も少し気弱になってたと思う。今の俺なら他の男との縁談を組もうとしてる過去の俺を殴ってでも止めるがなァ」
「どうしたって俺はずっと傍にいてやれねぇ。女手1つで子を育てるなんて苦労も多い事をお前に背負わせちまうけど、産んでほしい」

トントンと私の背中を優しく叩くものだから、一度止まったはずの涙がまたポロポロと出てしまった。
ようやく私が落ち着いた頃には、流石は秋の釣瓶落としともいうべきか、すっかり陽が傾いていた。
その晩はカナヲさんのご厚意で蝶屋敷に泊まることにした。懐かしい病室の寝台に二人身を寄せ合い、仄暗い天井を見上げながらあんな事もこんな事もありましたねと、鬼殺隊時代の話に花を咲かせた。


翌日からの実弥さんは凄かった。
私が席を立つ度に「何処に行くんだ」「何をするんだ」と家の中でもついて回り、洗濯どころか板場に立つのも禁じられた。
これからの時期は水で体が冷えると最もな事を言われたのだが、何も出来ないとなるとそれはそれで退屈というもの。

「せめて何かさせてくださいよ。実弥さんが動き回っているのに私だけ何もしていないのは居心地が悪くて…」
「腹の中で赤子を育ててるんだ。何もしてねぇわけないだろォ」
「それは…そうなのですが…」
「おら、洗濯物干したら構ってやるからそこで座っとけ」

縁側の陽の当る場所に連れてこられ、両肩をググっと抑え込まれて仕方なく腰掛ける。そこには先客がいて、私と実弥さんを繋いだ猫がお腹を上にして気持ちよさそうに横になっていた。野生をすっかり忘れた様な姿に笑みが溢れ、そっと頭を撫でれば気持ちがいいのかもっと撫でろと催促する。そうして構っていると、洗濯物を干し終えた実弥さんが隣に腰掛けた。

「…なぁ、話があるんだが、いいか?」
「はい」

改まってそう言うものだから身構えて体が固くなる。何の話だろうとの不安が顔に出ていたのだろう。実弥さんはフッと笑い、左手で私の眉間の皺を解す。

「そう畏まるこたぁねぇよ。話っていうよりは、提案だな」
「提案、ですか?」
「おう。ここは御館様より貸し与えられた屋敷だろ?もう柱でもないのに此処に住み続けるのはどうかとずっと思っててなぁ」

曰く、実弥さんは柱時代に賜った邸宅は、鬼殺隊が解散となった今の己の身には過ぎた物なので返上したいと以前に申し出たそうだ。だがまだまだ傷が癒えていなかったため、体が完治して尚且夫婦生活が落ち着いてそれでもと言うのなら話を受けるよと、輝利哉様のお気遣いにより保留になっているのだそうだ。

「ここは広いし将来子供が遊ぶには十分な場所だ。でも奥まった場所に位置するから街への買い出しもそう簡単にはいかねぇ」
子供が生まれればどうしたって子供中心の生活になる。その時にお前が不便ないように、もっと街の方へと移らないか。という提案であった。
実は候補地も見つけてきたという実弥さんから聞かされたのは、宇髄様達が住んでいる邸宅のすぐ近くだった。
「この前見てきたんだが、ここ程ではないにしろ広さもあるし、家の造りもしっかりしてる。近所には子供が多いのかなかなかに賑やかな場所だったぜ」

実弥さんの意図する事がわかり、急に目頭が熱くなる。

ーー自分がいなくなった後の事を考えているんだ。

私と子供が不便ないようにと、きっと宇髄様に後のことを頼んでいるのだろう。彼の寂しいまでの優しさをひしひしと感じ、滲み出た涙をそっと手で拭う。

「…そこならこの子のお友達も、沢山出来そうですね」

そうしてお腹をそっと撫でる。声はきっと、震えていただろう。それでも実弥さんは、心配ないというように今度は頭をそっと撫でてくれる。

「そうだな…ああ、言い忘れていたけど、宇髄の嫁も今妊娠中らしいぜ」
「え!?そうなんですか?」

驚きのあまり涙も引っ込んで実弥さんを見やれば「賑やかってもんじゃなくなるな」と楽しそうに笑う。
新年を最後にここで迎え、雪が溶けて私の悪阻もすっかり落ち着いた時、新居へと移った。元隠の方々や宇髄様が手伝ってくださった事により、家移りは瞬く間に終わった。私はというと、実弥さんが手配してくれた人力車で悠々と新居に向かうという、なんとも贅沢な体験をして恐縮したくらいだ。何かあった時の為にと、まきをさんも同乗してくださり「お腹が出ているんだから、これ位したっていいのよ」と言って、あちらではこれが美味しいから食べるべきだよと色々と教えてくれた。

そうしてすっかり新しい家での暮らしにも慣れ、少し前から始まった胎動に実弥さんが顔を綻ばせるようになった。

「男の子と女の子、どっちですかねぇ」
「さぁなァ。名前と赤子が元気なら、俺はどっちでもいいなァ」

愛おしそうにお腹を撫でる姿に、私も嬉しくなる。そこへ自分もいますよと主張するように、猫もにやぁと鳴き体を擦り寄せてくる。そう、風柱邸に住み着いていた猫も連れてきたのだ。私達の依怙で連れてきていいのか悩んだものだが、実弥さん曰く「コイツが望んだ」らしい。
家移りの当日、家具を積んだ荷車に飛び乗り毛繕いする猫に「お前も来るか?」と聞いたらにやぁと鳴いたというのだ。荷物と一緒にゆらゆらと揺れ、ここに着いたらいの一番に縁側に飛び乗り昼寝を始めたという。
側にいるのは愛しい夫とそれを繋いでくれた猫。もうすぐ生まれる子もいる。例え終わりが見えているのだとしても私は幸せだ。


しばらくしてから、

「お前んちの赤子も可愛いけどよ、うちの子の方が派手に可愛い」
「はァ!?何言ってんだ。どう見たってうちの子の方が可愛いだろうがァ!!」

と子供より親の方が賑やかな日々が始まるのだが、それはまた別のお話。



20210909
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