君となぞる夏




本日最後の授業を終える鐘が鳴るや否や、放課後の教室は一気に喧騒に包まれた。夏休みを目前に控えているともなれば、尚更賑わいが増すというもの。
寄り道の計画を立てる会話が聞こえるのはいつもの事だが、やれ家族で旅行に行くだの、このグループでプールに行こうだの髪の毛を派手に染めようかと楽しげな計画がそこかしこに飛び交っている。
中にはこの夏休み中に彼女とキメる、なんて言葉も耳に入る。女子もまだいる教室内でする話ではないのだが、素直に羨ましいと思った。
好きな女子と付き合っているだけでも羨ましいのに、一線を越えようとするなんて羨ましいを通り越して別の感情が湧く。
今の自分には夢のまた夢のようなそれを思い、小さく吐いた息は喧騒に埋もれて消えた。

部活に行くかと気を取り直し、今しがた終えた授業の教科書やノートの端をトントンと揃えてから机や鞄の中を整理する。
そうしてから目線を前に向ければ、自然と目に入るのは彼女の後ろ姿。

名字名前

それが今、自分が想いを寄せている女子の名前。彼女を知るきっかけになったのは、俺の友人の伊黒が彼女の友人の甘露寺蜜璃を好きになった事だ。
同じクラスメイトとして日々を過ごすうちに甘露寺に惹かれた伊黒は、最初は見ているだけでいいんだとしおらしい事を言っていた。本人がそう言うならと思っていたのだが、どう見ても甘露寺の方も伊黒を意識している様子に勿体ねぇなぁと内心思っていた。折しもその頃、名前から2人をくっつけたいのだけど良かったら協力してくれないかと相談を受けた。

とりあえず4人で出掛け、2人の様子次第で引き受けるかどうか決めると答えた結果、2人の仲睦まじい様子に協力する事にした。以来俺の部活がない日には4人で帰ったり寄り道したり、勉強会をしたり昼飯を食べたりと接点を重ねた末、2人は遂に付き合うことになった。
聡い伊黒は途中から名前と結託してくっつけようとしているのに気付いたようだ。それでも「お前のお陰だ。ありがとう」と礼を言われたので動いて良かったと思った。自己満かもしれないとも思ったが、友人の幸せそうな姿を見ることが出来て俺も嬉しい。
最も、俺もいつの間にか名前に惹かれていたので、途中からは自分自身のためでもあったのだが。いずれは自分も伊黒達のようになりたいと密かに願いつつ、今は名前と仲が良い男友達の座に甘んじて就いていたのだがーー。


ーークソッ、今日も喋ってやがる。アイツ絶対に名前のことが好きだろ。

先日行われた席替えで名前は俺の隣の列の3つ前の席になった。隣の席が良かったのだが、前を向けば自然と視界に入る名前の姿に、これはこれでいいかとそれなりに満足していたのだが。
新たに名前の隣の席になった男がとんだ伏兵だった。本日最後の授業を終えた直後から彼女に話しかけ、今もずっと2人で楽しそうに喋っている。しかも今日だけではない。新しい席になったその日から彼女に嬉々として話しかけているのだ。否が応でも視界に入るそれに、見る度にイライラが募り内心舌打ちを何度した事かわからない。
俺の気持ちを知っている伊黒は、その男の様子に危機感を抱いたようで「早く気持ちを伝えろ。お前なら絶対に大丈夫だ」とせっつく。

わかってはいる。
これは看過できる状態ではないということも、相手に言わなければ気持ちは伝わらないという事も。
何度か気持ちを伝えようかと思ったが、もし彼女が俺のことをただの男友達と見ているだけだったら?
他に好きな人がいると言われたら?
告白したことにより2人の間にぎこちない空気が流れ、彼女の顔から柔らかなあの笑みが消えるのは嫌だ。この関係が壊れるのが嫌だ。かと言って俺以外の男と付き合うことになった、なんてのはもっと嫌だと、堂々巡りの日々だ。

「実弥ぃー、部活行こうぜ」

同じ剣道部に所属している隣のクラスの匡近が、教室の扉からこちらを見ている。おうと片手を上げて応えれば、ニコリと見せた匡近の柔和な笑顔にささくれだった心が凪ぐ。ガタリと音を立てて椅子から立てば、自分の身に視線を感じた。それを辿り行き着いた先は名前だ。

「実弥くん、部活頑張ってね!また明日」
「っ、…ああ。またな明日な、名前」

好きな子に花が綻ぶような笑顔で応援されたら、気合もやる気も青天井になるというもの。手を振る名前に片手で応えると、隣の男も俺を見ているのに気付いた。その顔からは微かに嫉妬が滲んでいる。
これは確定だ。

四の五の言っている場合ではない。そろそろ動かなければならないと自分の勘が警鐘を鳴らす。


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その数日後、俺の部活が休みのため久し振りに名前、甘露寺、伊黒の4人で帰る事になった。4人で帰ると言っても、校門を出れば自然と2対2に分かれる。
隣にいる名前から最近したという微笑ましい兄弟喧嘩の内容を聞き、相槌を打つ。兄に季節限定のコンビニスイーツを勝手に食べられたと怒り、その後にお詫びだと渡されたアイスが美味しかったので許したと笑う。くるくると変わるその表情は見ていて飽きることはない。家族以外の女性からこんな話を聞かされたら「へぇ」で終わらせるような内容でも「そりゃあ悲しいなァ」「そんなに美味かったのか。良かったな」と気持ちに寄り添う発言になるのは惚れた弱みからか。まぁ、そのお陰で伊黒にはあっという間に好意がバレたわけなのだが。
不意にすぐ前を歩いていた伊黒達がその場で立ち止まったのでぶつかりそうになる。

「ねぇ、皆でこの祭りに行きましょうよ!」

甘露寺がくるりとこちらを振り向き、民家の塀に貼られたポスターを指差す。それはこの近くの神社で催されるお祭りの告知だった。毎年開催されているのか、第23回とチラシの上部に記されている。

「このお祭り、屋台がいっぱい出てて良かったよね」
「名前は行ったことあるのかァ?」
「うん、去年に蜜璃ちゃんと2人で行ったよ」

男と行ったわけではないことに内心ホッとする。日付を見れば夏休みに入った直後の土曜日。夏休み中といえど部活はあるのだが、夕方からなら参加できそうだ。

「実弥くん、行けそうかな…?」

様子を伺うようにこちらを見ている名前に、夕方からなら行けるかもしれないと伝えれば嬉しそうに笑った。
決まりねと甘露寺と名前が楽しそうに時間と待ち合わせ場所の相談をし始める。名前は浴衣を着るのだろうか。出来れば着てほしい。絶対に似合うはずだ。普段の制服でも私服姿でもない彼女を見ることが出来る貴重な機会だから是非とも着てほしい。

「実弥くん、楽しみだね!」
「そうだなァ」

楽しみでしかない。邪な思いが表に出ぬように取り繕って頷いた。


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当日、待ち合わせ場所に着けば浴衣を着た名前と甘露寺、私服姿の伊黒がいた。可愛いだろうなぁとは思っていたが、現実は妄想をも凌駕した。浴衣姿のせいか夕暮れ時のせいか、いつもとは違う雰囲気の彼女からは色気が滲み出ている。

「どうかな?変じゃないかな?」

薄っすらと赤らめた頬に上目遣い。纏め上げられた事により露わになる白い項。その全てが可愛い。

ーーすっげぇ可愛い…

隣にいる甘露寺の事を「とても可愛いぞ。だがそんなに可愛い姿が他の輩の目に入るのが心配だ」と伊黒が堂々と惚気けているが全面的に同意だ。これは名前を1人で歩かせるわけには絶対にいかないと固く誓う。
そんな事を脳内会議で決めていて反応がない俺に「変だったかな?」と不安がる彼女。慌ててよく似合っていると伝えれば良かったと嬉しそうに笑うのがまた可愛い。

「実弥くんは浴衣じゃないんだね」
「あー、時間がなくてなぁ」

部活を終え、汗だくになった体で行くのは憚られたためシャワーを浴びに一旦帰宅した。母親が「いつも兄弟の世話をしてくれてるんだから、今日は楽しむんよ」と浴衣を出しておいてくれたのだが、部活が想定よりも長引いた事もあり時間がなく断念したのだ。折角母が用意してくれた浴衣に袖を通すことが出来なかったことを思えばチクリと胸が痛む。

「そっかぁ…。じゃあまた来年だね。実弥くんは背が高いし絶対似合うと思うよ!」

来年も一緒にお祭りに行ってくれるのか。出来れば4人ではなく2人がいいのだが、それはこれからの自分の頑張り次第だと己を奮起させる。



交通規制により通行止めになった道路にずらりと並ぶ屋台は圧巻であった。神社の境内まで続くので、そこに行く道すがら目当ての屋台で購入し、境内で食べようという流れになった。
流石とも言うべきか、伊黒の両手はあっという間に甘露寺が頼んだ物で塞がる。甘露寺の手も塞がりそうになった時、境内に辿り着いた。少しでも腰を掛けられそうなありとあらゆる場所には、既に先客達がいる。だが運がいい事に、ちょうど社務所の土台に4人が腰を掛けられそうな場所が出来たので、そこに腰掛けて各々が購入した食べ物に箸をつけつつ談笑する。

「ここのたこ焼き、当たりだわ!中がトロットロでとっても美味しいの。名前ちゃんも食べて食べて」
「わ、蜜璃ちゃんありがとう」

まだ熱かったようで、ハフハフと少しでも冷ますように口の中に空気を入れながら「本当に美味しい」と幸せそうに笑う。それを見ているだけで、こちらも幸せな気持ちになる。じっと見すぎていたせいか、名前と視線が合った。

「実弥くんこれ食べる?美味しいよ」

そう言って差出したの名前が先程まで食べていた唐揚げだ。串に刺さっている唐揚げからは、揚げたての食欲を唆る匂いがする。美味そうだなと思わず出しかけた手がはたと止まる。

ーー串ごと差し出すってことは、これは間接キスになるんじゃねぇのか!?コイツはそれを分かってやってんのかァ?

狙っているのか天然なのか。読めない名前の行動にどう対応するのが正解なんだとグルグル考える。すると、名前も気付いたのか「ご、ごめんね!人が口をつけたのなんて嫌だよね」と顔を真っ赤にして残りの唐揚げを自分の口に入れてしまった。
その様子に「しまった…気付かないフリしときゃ良かった…」と後悔するも遅い。

「やっぱり足りないわね。私、もう少し買ってこようかしら」

名前との間に流れ始めた気まずい雰囲気を払拭するかのような甘露寺の声に救われた。

「甘露寺1人で行くのは危ない。俺もついていこう」
「伊黒さんありがとう!2人は何か食べたい物あるかしら。一緒に買ってきちゃうわ」
「じゃあ焼きそば頼んでいいかァ?」
「私はもうお腹いっぱいだから大丈夫」

甘露寺と伊黒が人混みに消えれば、残されたのは俺と名前。神輿を担ぐ声とシャンシャンと幾重にも鳴る鈴の音が喧騒に紛れて聞こえる。眼前を行き交う人々の楽しそうな声とは対象的に、2人の間には沈黙が降っている。

「あの」
「あのよォ」

意を決して口を開けば、運が悪く名前と被った。どうぞどうぞとお互いに発言を譲り合っていれば、なんだかわからないが2人で笑いだしてしまった。

「ふふっ。実弥くん先にどうぞ」
「あー…、おう。腹いっぱいって言ってたけど、デザートとかはどうする?クレープとかかき氷とか色々とあるだろ」
「デザートは別腹なので食べる!」
「別腹ねェ」
「実弥くん、別腹は科学的根拠があるんだよ」
「科学的根拠、ねェ」

反応が薄い俺に対して、以前にテレビで見たという根拠をとくとくと語る。

「だから私は食い意地が張っている訳ではないの!」

そこに帰結するのかと、可愛い主張にまたもおかしくて笑ってしまう。こんな他愛ない事で笑い合う時間と関係が、俺にとってはかけがえのないモノなのだ。
忍び寄っていた気まずさはとっくに消え話も弾みきった頃、名前がお手洗いに立った。ついていくべきか迷ったが、行き先が行き先だ。何よりも今いる社務所からはお手洗いの建物が見える。何かあったらすぐに駆けつけられる距離のため、念の為「気をつけろよ」と声を掛けて見送った。
同時に伊黒からメッセージが届く。順番待ちの列が長く、もう少し時間が掛かってしまうらしい。そして折角2人だけになったのだから、夏休み中のデートの約束でも取り付けろというお節介な言葉も目に入る。
アイツめェ、と思うが悪い気がしないのは心安い仲の伊黒だからだろうか。だが折角のチャンスだ。名前が戻ってきたらどこかに行こうと誘ってみるかと前向きな気持ちになる。
食べかけだったお好み焼きもキレイに平らげた頃、いくらなんでも遅すぎじゃねぇかと気付く。女子のお手洗いは混むのが当たり前だが、さっき見た限りでは空いていた。化粧でも直しているのかと思いかけた時、雑踏に紛れて名前の後ろ姿が目に入った。

なんでトイレから離れた場所にいるんだァ?との疑問は、すぐ様なんで男達に囲まれてんだ!?と焦りに変わった。

後ろ姿のため名前の表情は分からないが、年上の男数人に囲まれて怖くないわけがない。慌てて彼女の元へと駆け寄り名前と男達の間に割って入った。

「俺の彼女に何か用ですか?」
「さ、実弥くん!?」

名前の真ん前にいた男を睨みつけつつ、彼女を背中で隠す。自分の顔が強面に分類されることはとうに知っている。目付きの悪さも相俟って、自分が睨めば大抵の奴はビビる。しかしその男は目を真ん丸にしたかと思えば、次の瞬間には堪えきれなくなったように笑いだした。

ーーなんだコイツ?

呆気に取られた後、何を笑っているんだと沸々と怒りが沸いてきた。だがそれは次の会話で鎮火した。

「んだよ名前、母さん達に今日は友達と行くって言ってたのに彼氏と来てんのかよ。つーか、お前いつの間に彼氏出来たんだ?兄ちゃんは聞いてねぇぞー」
「えっと…」
「いやー、毎晩毎晩動画を見ながら髪の毛弄ってたのもこの日のためかぁ。セットする度に似合ってるかどうか聞かれて正直ウンザリしてたんだけど…そうかそうかぁ」
「ちょっ、お兄ちゃんうるさい!もう黙って!」

ニヤニヤと楽しそうに俺と名前を交互に見るその男を、今度は俺が目をまん丸にして見る番だった。

「兄貴…なのか?名前の…?」
「そうでーす!妹がいつもお世話になってまぁっす。ねぇねぇ、君は妹のどこが好きなの?」
「もう止めてってば!後藤さん達も兄を止めてください!じゃなければ兄を連れてどっかに行ってください!!」

半泣きになりながら後藤と呼ばれた兄の友人らしき人物に懇願すれば、ソイツは「もう行くぞ、名前ちゃんがかわいそうだろ」と兄の腕を取る。それでも粘る様子の兄の背中をグイグイと押しつつ、あっちに行ってと促せばようやく重たい足が動いたようだ。
慌てて名前の兄に勘違いで失礼なことをしたと謝れば2人の動きがピタリと止まる。

「気にすんなって。1人でこの人数に立ち向かうなんて、君は男気があっていい奴だなぁ。妹のこと、よろしく頼むよ」

じゃあ邪魔者は消えるからと楽しそうに笑いながら、今度こそ名前の兄貴とその友人達は雑踏に消えた。

「あー、その……なんつーか、悪かったな。彼氏とか言っちまってよォ…」
「そんなこと…!大丈夫だよ。実弥くんなら、全然イヤじゃないし…」
「それって…」
「お待たせー!なかなか列が進まなくって困っちゃったわぁ」

会話を遮るように再び両手に屋台の食べ物を抱えた甘露寺がにゅっと現れ、名前にクレープ買ってきたから一緒に食べましょうと悪気が全く無いにこやかな笑みで彼女を連れて行く。さっきの会話の真意を聞きそびれたが、去り際に見せた耳まで真っ赤な名前の様子に、期待してもいいのかもしれないと胸が高鳴る。

「…もしかして、邪魔したか?」
「いやァ、大丈夫だ…」

隣に立った伊黒から頼んでおいた焼きそばを受け取る。出来立てなのか熱を伴うフードパックから、自分の手にどんどんと熱が伝わってきて鉄は熱いうちに打てと俺に発破をかけているようだ。


この夏は、いつもと違う夏になるかもしれない。



20210815
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