打ち上げしよ!



昨晩は、どうやって自宅に戻ってきたかは定かでない。断片的に覚えているのは、冨岡先生の所に行ったら用件が既に解決されていた事と、悲鳴嶼先生に顔色の悪さを心配され帰宅を促された事くらいだ。
朝目覚めた時の気分は最悪だった。
今日が休みで良かったと思い2度寝を決め込もうとするも、目を瞑れば昨夜の女子生徒達の会話が頭の中を木霊して眠れない。ならばもう起きてしまおう。調度お腹も空いているしとキッチンに行くが、ここ最近の忙しさですぐに口に入れられるような物が家に何もない事を思い出した。はぁと溜め息をついてノロノロと着替え、財布とエコバッグを持ち近くのコンビニへと向かった。滞在時間5分弱を経て、自宅に持ち帰ったのはカップスープとパン、そして求人情報誌。

ーー転職しようかな。

チラシ置き場でそれを見掛けた時、先程まで無かった考えが頭の中にポンと出た。
胡蝶先生と不死川先生が付き合ったなら、まず間違いなくあの2人は結婚に進むだろう。そうして2人から出される転居届けに、組合に請求する結婚祝い金の書類、結婚式への電報依頼、果てには産休育休の書類作成等諸々の手続きをするのは事務である私だ。2人の慶事に職員室が湧く度に「おめでたいですね」と周囲と同調しなければいけない惨めさ。

そう、今の気持ちを表すなら正しく惨めだ。

だってそうじゃないか。
不死川先生は胡蝶先生の事が好きで好きで仕方ないらしい。何度か他の女性に目を向けてみたけど、それでも諦めきれなかったらしい。諦めるために向いた矛先が、きっと私なのだ。私と何度かプライベートで会って、その度に不死川先生は「やっぱり違う」と思ったのだろうか。
好きにならないようにと蓋をしていた私の気持ちを曝け出しておいて、結局自分は本命とくっつくというのか。酷い男だ。
「大嫌い…」
言葉に出した途端、涙が両の瞳からぽろぽろと流れ落ち止まらなくなった。これまでの楽しかった思い出があるから余計に辛く悲しい。だがそれでもお腹は空く。止まることのない涙をそのままに食べたパンの味は一生忘れないだろう。

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月曜日に出勤すれば、私の態度に傷付いたような顔をする不死川先生を見て傷付いているのはこっちなんですけどと腹が立った。帰宅すれば文化祭が終わったからまた出掛けようと誘うメッセージになんでと疑問に思う。そういえば後夜祭を見ていた屋上でも誘われたな。胡蝶先生の返事待ち中なのだろうか。それとも胡蝶先生に振られたのか。もしそうならば少しだが溜飲が下がる。
なんて、自分がここまでドス黒い気持ちを持つなんて、知りたくなかった。

翌日、幹事から文化祭の無事の終了を労う飲み会を週末に行うという回覧が来た時、行きたくないと真っ先に思った。皆と楽しくわいわいしながら飲み食いなんて気分ではない。何か適当な理由をでっち上げで断ってしまおうかと、クリップボードに挟み込まれた2枚目の出席表と幹事のメンバーに名前を連ねている不死川の文字を見つつ頭の中で理由を模索する。
「なにシケた面してんだよ。そういう時は派手に飲むって決まってんだよ」
参加に丸しといてやるからよと、手元にあったクリップボードを取り上げて勝手に書き込んでいるのは宇髄先生だ。

「あ、ちょっと宇髄先生!私行くなんて言ってませんよ!」
「なんだ、何か予定でも入ってんのか?」
「それは…」
「何もねぇんだな?なら良いじゃねぇか。今回の飲み屋はいつもの店じゃねぇぞ。ほら」

再度手元に戻った回覧を見れば、飲み屋の名前がいつもの「藤ノ屋」ではなく老舗料亭になっていることに今気付いた。
予約を取る難易度に比例してお値段も高いそのお店は、一度でいいから入ってみたいなぁなんて思っていた店だ。
「理事長がスポンサーになってくれたから、会費も普段と変わらずだぜ」
でもこんな高級店なら普段より会費もお高いんでしょう?なんて先程とは違う理由で行くのを躊躇う私の心を読んだかのように宇髄先生が教えてくれる。

「理事長の古くからの知り合いが経営してる店らしいぜ。たまには来てくれって言われたから今回ここになっただけで、もう2度目ないかもなー」
「…」
「まぁでも、予定あるのにムリに誘うのもなー。名字先生は欠席って事で…」
「…予定無かったような気がしてきました。出席します」

だって仕方ないじゃないか。庶民の私とは無縁なお店にいつもと変わらない値段で行けるなんて、またとない機会だ。美味しい物を食べれば少しは気分も晴れるかもしれない。うんうん、と1人無理矢理納得するも今いる座席から嫌でも目に入る不死川先生と胡蝶先生の並びを見て無理矢理盛り上げた気持ちが一気に下がっていく。
冬のボーナスが出たら辞めようかと思っていたが、もっと早めに辞めてしまおうかな。帰りに履歴書を買って帰らなければ。
失恋如きで転職するなんて、馬鹿げているだろうか。ここみたいに福利厚生が充実していて残業代もしっかり払ってくれる所に転職できる可能性は低いんだろうな。不死川先生に関する記憶だけが無くなる薬があれば喜んで買うのに。それか婚活でも始めてみようかな。と、極力そちらを見ないよう、パソコンを一心に見つめながら様々な事を考えていった。

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立派な門構えを潜れば左右にはこれぞ日本庭園という景色。飛び石をゆっくりと踏みしめながら進めば中居さんらしき人が扉を開けて出迎えてくれた。手動による自動扉とはこの事かと背筋が伸びる思いだ。そうして通された離れの一室は、本日の我々の為に貸し切りらしい。
老舗料亭なんて初めてのため服装に悩み、他の女性の先生達と相談してキレイ目なシャツにスカートを着用してきた。場違いではないだろうかとドキドキするも、見知った顔が増えていくに連れ緊張も解れていく。
最初は理事長も一緒に席につき我々の日々の労働を労ってくれた。理事長の周りに人集りができ一頻り歓談した後、挨拶に来てくれた経営者の男性と連れ立って退場された。その後はいつも通りの飲み会だが、理事長縁の老舗料亭ということもあり、いつもと比べると大人しい飲み会だと思う。
恭しく運ばれる料理にそっと箸をつければ、美しい見た目に違わぬ繊細な味が口の中に広がる。

「美味しい…!今日来て本当に良かった」
「名字先生ったら美味しそうに食べるわねぇ。私も久し振りに此処に来れてよかったわ」
「先生は前にも来たことがあるんですか?」
「もう10年以上前だけどね。両家の顔合わせの時に使わせてもらったのよ。懐かしいわあ」

なるほど。確かにこういう格式高い場所はそういった顔合わせ等の慶事にも使用されそうである。

「顔合わせかぁ…今の私には無縁な言葉です」
「あら?名字先生は今お付き合いしている人いないの?」
「いませんよー」
「そうなの?私はてっきり…まぁ色々あるわよね。」
「色々ありました…あー、私も誰かに愛されたーい!」

愛されたかった。
誰かなんて不確かな存在ではなく、他の誰でもない不死川先生に。でも不死川先生の愛情のベクトルは私には向いていない。お酒を飲んでいるせいだろうか。泣き上戸ではなかったはずなのに、もう出し尽くしたと思っていた涙がじわりと出てきそうになる。湿っぽくなりそうな気持ちを払拭するためにも無理に明るく話す。

「でもその前に彼氏見つけなきゃですね!先生の周りにいい人いたら紹介してください」
「本当にその気があるなら、旦那の職場にいい子がいるか聞いてみるわ。名字先生はどういう人がタイプなの」

好みのタイプと聞かれて連想する事は優しくて、子供が好きで、料理が出来て、一緒にいて楽しくて、何よりも私の趣味を理解してくれる人がいい。そこまで挙げてから自然と不死川先生が頭に思い浮かび、頑張って引っ込めた涙がまた出そうになる。やっぱり今日は涙脆くてダメだ。

「文化祭お疲れ様でした。お酌に来ました」

俯向き必死に涙を堪える私の背後から、今一番聞きたくない声が聞こえてきた。

「あら、不死川先生ありがとう。私はちょっとでいいからね」
「わかりました。…名字先生もどうぞ」
「カクテルなので私は結構です。お気持ちだけ」
「不死川先生は?ビール注ぐわよ」
「いや、俺は今日呑んでないんで」

不死川先生が呑まない?珍しい事もあるのだなと思うも、ああ、胡蝶先生を送るために車で来てるのかと察した。甲斐甲斐しいな。今日は金曜日だしそのままどちらかの家に泊まるのだろう。

「何を話してたんですか?」
「名字先生が彼氏欲しいって話をね。誰か紹介してあげようと思って好みのタイプを聞いてた所だったのよ」
「それは…俺も気になりますね。どういう人が良いんですか?」
「……私の、好みのタイプは………絶対に他の女性に余所見しないで、私だけを好きになってくれる人、がいいです…」

あなたみたいに私と胡蝶先生の間でフラフラしない人がいいです。とは言わない。

「すみません、私御手洗いに行きたいので失礼しますね」

貼り付けた笑顔で2人にそう言ってから座敷を出た。しばらくあの場所に戻りたくない。御手洗いで少し時間を潰そうと、便座に腰を掛けてスマホを開く。ニュースサイトで今日のトピックを適当に流し見ていると、『私はこれで出会えました』の文字と共に幸せそうに寄り添って笑うカップルの写真が添えられたバナーが出てきた。
そのバナーをしばらく眺めた後、タップしてそのままマッチングアプリをインストールしたのだった。



お座敷に戻れば不死川先生はまだその場にいて先生と喋っていた。だがそれに気付かぬフリをして、1人黙々とご飯を食べている村田先生にお酌しますと笑顔で声を掛け座り込んだ。
不死川先生が宇髄先生達に捕まったのを見届けてから元の場所に戻り、再び美味しい料理とお酒を堪能してから隣の先生と一緒に料亭を出れば、少し離れた場所で二次会に行く人はこっちだと宇髄先生が仕切っている。不死川先生は幹事のため支払いがあるのでまだ店内だ。胡蝶先生と合流する現場を見る前にこの場からさっさといなくなりたい。

「私は塾帰りの子供と駅で待ちあわせして帰るからパスだわ。名字先生は?」
「私もこれで帰ります。今日は2次会って気分でもないですし」

なら一緒に挨拶して帰っちゃいましょと話し、駅に向かい始めた時冨岡先生がやって来た。

「名字先生、今いいだろうか」
「はい。何でしょうか?」
「不死川の………気持ち悪い……」
「え!?」

よく見れば冨岡先生の顔は真っ青であった。また宇髄先生あたりにでも飲まされすぎたのだろうか。前屈みになり口元に手を当てる様子から、リバースする寸前なのだろう。道端で吐くなんてと慌てていると、隣にいた先生がそういえばそこの通りを抜けた先に公衆トイレがあったと思い出してくれた。2人で冨岡先生にまだ出しちゃダメです!もう少しだから!と励まして男子トイレの前まで送り届けた。

「間に合いましたかね?」
「それを祈るしかないわねぇ。あ、冨岡先生に鞄渡しそびれちゃったわ」
「あー、それなら私が預かっておきますよ。先生はお子さんの所に行ってあげてください」
「いいの?」
「はい。どの道あんな状態の冨岡先生を1人にはしておけないので。落ち着いたら冨岡先生と一緒にタクシーで帰ります」
「助かるわ。ありがとう。タクシー代は冨岡先生に全部出してもらっちゃいなさい」

その言葉にそうしますと答えて笑い合い、先生とはそこで別れて自分一人になった。公衆トイレ前の植込みを囲う石垣に腰を掛け、冨岡先生の鞄を体に寄せてスマホを弄りながら時間を潰す。
10分ほどそこで待つも、冨岡先生が出てくる気配は一向にない。もしかしたらトイレの中で眠っているのだろうか。その可能性は頭から抜け落ちていたな。男子トイレの中を除くのは流石に抵抗がある。念の為村田先生あたりにでも来てもらおうかなと、男子トイレに向けていた視線を再度スマホに向けた。視線を下に向けた矢先、視界の上部に男物の靴が映り込んだ。
誰か応援で来てくれたのだろうかと顔を上げれば、そこにいたのは見知らぬ男性だった。
「はは、君可愛いねぇ。1人?」
少し酔っているのか、薄っすらと赤らんだ顔をした少し年上の男性が目の前に立っていた。

「いえ、連れがいますので」
「嘘だぁ。だってさっきからずっと1人でいるじゃん。あれ?顔赤いねぇ、もしかして酔っちゃってる?」

いつから見られていたのか。飲み屋街に近いとはいえ人通りもそこそこあるため、危機感が薄れていたようだ。無遠慮に顔を近づけこちらの顔を覗き込んでくれば酒臭い匂いがして顔を背ける。

「俺も酔っちゃっててさー、良かったらあっちで一緒に休憩しない?」
「だから、人を待ってるんで結構です」

腹立たしくて語気を強めるも、酔ったこの男には響かないようで、ヘラヘラ笑いながらも私の手を掴んできた。

「ちょっと!止めてください!」
「大丈夫大丈夫、優しくしてあげるからさぁ」

何が大丈夫なものか。助けて欲しくて辺りを見回すも、関わりたくないのか素知らぬフリをして人々は通り過ぎていく。本当に惨めな事ばかりだ。涙で視界がボヤケたせいか私の腕を掴むナンパ男の腕がダブって見えた。だがよく見れば、ダブって見えたように思えたその腕は、ナンパ男の腕を掴んでいた。新しく視界に入った傷だらけのその腕には、よく見覚えがあった。



20210628


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